第21話 不思議な招待状

 レイさんとの婚約の件がおおやけになってから1週間が経っても、学院内での俺の噂は止む気配が無かった。

 一度授業に出席しに教室に向かった事があるのだが、それだけで大騒ぎになってしまい、教師たちとも相談の上、休学中という形で落ち着いた。

 遠方から来ている生徒が一時的に戻る必要があったり、身分の高い人間が公務の為に学院を離れる必要があったりと、休学すること自体は珍しくないとの事だった。

 そういう状態だったから、フィオナ様に連絡を取る事は出来なかった。彼女もまた格好の的となっているのだけれども、毅然と登院を続けているらしい。

 何だか申し訳ない気持ちにもなるが、気持ちになるだけだ。


 ドラゴンが突然召喚される可能性は限りなく無い、という事実を知ってからも、やはり違和感を拭えず、図書館に引きこもっている間はレイさんが選んでくれた文献を中心に読み散らかしている状態だ。

 そのほとんどが、魔道具の歴史や基礎の基礎の内容で、俺が求めている答えはないのだが、何かヒントが無いかと、虱潰しに励んでいるのだった。

 もっとも、結果はかんばしくない。


「よーう、レオ。頼まれてたモノ持ってきたぜ」

「陣中見舞いもだ。お疲れさん」

「おう、助かるよ」


 いい加減不毛な作業に絶望感を感じ始めていたころ、授業を終えたレグゾールとディリアスが図書館に顔を出してくれた。

 彼等には、俺宛に届いた貴族や有力者たちからの招待状や手紙の管理と破棄をお願いしていた。一度断ってもしつこく送ってくる所からの招待状は問答無用で破棄しているのだが、目を通しておく必要のあるものや、返事を出しておくべきものも結構存在し、それを届けてもらっている(寮生への手紙は寮ではなく学院に届き、担当の人の元に取りに行く必要があった)。


「いやー、今回も大量だぜ。そして例のフィルチ男爵家のご令嬢からまた届いてるよ。もうこれは恋文じゃなくて一種の叙事詩だな。お前を神聖化した物語になっているよ」

「他人が書いたモノを笑うのは流石に関心しないよ。でも送ってこないで欲しいと返事を出したのにな」

「こういう手合いには、そういうすげない態度の方が燃えるんだろ。よくわからんけど。 ほら小腹空いたろ」


 そう言って渡された、パンにかじりつく。図書館内は原則飲食禁止なのだが、簡単な軽食は黙認してもらっている。

 渡された手紙の束は全て開封してあって、片っ端から流し読みしていく。で、破棄するモノと返事が必要なモノとに仕分けを行っていく。


「有名になりたいって思う時はあったけどさ、レオを見てると遠慮したくなるよな」

「本当にそれな」

「……そういうのを本人の前で堂々と言うなよな。結構本気でしんどいんだぞ」

「でもさ、どう見てもそういうお誘いの内容のもある訳だろ? 実際そこんところどうなのよ」

「婚約者が二人になって死にかけてんだぞ。 恐怖でしかないわ」

「いや~でも俺なら誘いに乗っちゃうな。 見ろよ、この人社交界で超有名な美人」

「本当だ。 レオ、一時的に俺がレオナルドになってもいいか」

「勘弁してくれよ、ほんと……」


 そんな軽口の応酬。でも実際かなり救われている部分があった。自分を取り巻く状況が変わっても、変わらずに接してくれる友人の存在は本当に有難い。

 彼等の軽口や愚痴に付き合いながら、一つの手紙で手が止まる。

 美辞麗句や前書きが無く、物凄い達筆でただ一言。

 ”必ず来ること”

 とだけ記載があり、手紙とは別に、場所と日付が記載されたメモが入っていた。

 メモの日付は今日の夜遅くが記載されている。


「なぁ、この手紙いつ届いたモノか分かるか?」

「いや流石に分からんな。 3日に1回のペースでお前の所に持ってきてる訳だから、この3日間のどこかじゃないか?」

「何々? 誰からのお誘い?」

「それが名前が書いてないんだよ。一言、必ず来ること”って書いてあるだけ」

「何だそれ、怖い文書だな。新手の脅迫状とか果たし状とかか?」

「……レオ、ちょっと紙借りるぞ」


 横から覗き込んでいたディリアスが俺から手紙を取り上げる。


「お、名探偵ディリアスの出番か?」


 レグゾールのはやし立てる言葉。しかしディリアスは意に介さず、紙を透かして見たり裏側から眺めたりを続ける。


「多分だけどさ、これ相当上等な紙だよ。恋文や招待状なんかにはまず間違いなく使わない、重要な契約書とかに使われるような紙だ」

「何でそんなこと分かんだよ」

「俺たちがここ最近でどれだけ紙を見てきたと思ってる。ほら、その破棄する恋文なんかは最近流行りの薄いピンク色で染めていたり、判で押したような装飾があるだろ? でよく見ると、紙の中に不純物が入ってたりする。誤魔化してる訳だよ。 でもこの紙はそういう不純物がほとんど無い。おまけにこの紙の厚さ。本当にうっすい違いだけどさ、他の紙より厚いだろ? 紙はさキレイに作るのはすげー大変なんだ。そして長期保存出来るように厚く作るのも手間暇がかかってる」


 言われてみて初めて気づく。確かに彼の言う通り、他の手紙とは全く違う紙質だった。

 俺自身も気にかかったのは、文書の達筆さだけでなく、紙が他とは違うお陰かもしれなかった。


「多分だけどさ、行った方がいいと思うぜ。 何つーか、他の手紙とは敢て違う上質の紙を用意して、宛名も無いってのは、何かすげー身分の人がお前を試しているみたいな気がする」

「すげーな、マジで名探偵ディリアスだ」

「お前が大雑把すぎるだけだよレグゾール」

「でもそんな目敏いのに、なんで彼女出来ないんだろうな」

「うるせーな、彼女いないのはお前も一緒だろうが」

「いや俺出来たよ」

「は? 嘘だろ? いつだよ」

「メリーナ領でさ、あの後仮面舞踏会に行ったろ? そこで出会った子と付き合う事になった」

「おいこら、どういうことだ。もっと詳細を話せや」


 後ろでさらっと凄いカミングアウトがあったような気もしたが、ディリアスから返してもらった手紙を見て、やはりどうしても気になって仕方がない俺がいた。

 危険な罠の可能性もあるけれど、虎穴に入らざれば虎子を得ず、だと自分を言い聞かせる。


「2人ともありがとうな。 ちょっとこれだけは行ってみるわ」

「おう、楽しんでな」

「今度何があったか聞かせろよ」


 取っ組み合っている二人がその手を止めて、いい笑顔でサムズアップをしてくれる。

 何故喧嘩しているのか謎だったが、とにかく、俺はその手紙とメモを大切に仕舞い、図書館を後にした。

 

 メモに記載があった約束の場所は、王都郊外の何でもない小さな公園だった。

 周りに何も目ぼしいものはなく、仕事終わりの夕方頃でも人通りも皆無で、仮に俺を知らない人間が招待者だとしても、ここにいるというだけで、俺がレオナルド・フォン・ロートブルグである事は一目瞭然だった。

 周囲に警戒を怠らず、腰につるした剣をいつでも抜けるように心がけだけはしておく。


 あの手紙からには特別な意思があった。俺に会う必要がある。そんな意思。もちろんこれは唯の当て推量だが、他の手紙から感じられる、欲の為に知己になりたいとか、噂の人間に会ってみたい等の浮ついたものではなかった。少なくても俺はそう感じ、ここに来ていた。

 時刻はそろそろ約束の時間を迎える。念のため、時間を過ぎてからもしばらく待つ心積もりではいるが、謀られたかもしれない、なんて思いは拭えない。

 そんな不安を感じていたころ、馬車が石畳を行く音が聞こえてきて、それはだんだんと近づいてきた。

 そして公園の前で馬車が停まる。もしかしなくてもあれが俺を呼び出した人間だった。

 馬車の御者がこちらに歩いてくる。この闇夜に溶け込む様な黒い服に身を包んだ初老の男は俺を見据えると恭しくお辞儀をしてきた。


「レオナルド様ですね。お待たせいたしました。主人からレオナルド様をご案内するよう命じられております。どうぞ」


 そういって彼は場所へと俺を促す。

 馬車に家紋の類は無く、御者が言う主人を窺う隙は無いが、その辺の辻馬車なんかとは造りから違いそれが高級なものであることは一目で分かった。

 ディリアス、お前の推理が大当たりかもしれない。

 心の中でそう呟いて、馬車へと乗り込む。

 どんな人間が来るか分からなかったから、遠くから誰かに見張らせることも検討したが、誰も誘わなくて正解だった。馬車の窓には目張りがしてあって、何処に行くのか見当も付かない。仮に仲間に知らせていても、上手く巻かれたのだろう。


 御者は馬車の外で馬を操っているから、馬車の仲は俺一人。

 いつ、何が起きてもいいように剣を手元に置きながら、高級馬車ならではの乗り心地を堪能することにした。



 心地よい規則的な振動と、周囲が伺えず閉鎖空間に一人で居るから、馬車の中でどれほど時間が過ぎたか分からない。

 だがついに馬車が停まり、御者が扉を開けた。

 

「お待たせいたしました、レオナルド様」


 御者に促され、馬車を降りた時は既に建物の中で、外観や周囲の形式からここが何処かという事は割り出せなかった。


「どうぞこちらへ」


 今度は女性の声。メイド服を着た年配の女性が毅然とそこに立っていて、付いてくるように促す。館の中は暗く、彼女が持っている灯りが無いと足元もおぼつかないから、大人しく彼女の後ろを付いていく。

 年配のメイドは本当に毅然とした様子で、姿勢は一切ぶれず、コツコツと規則正しい足音が建物の廊下に響く。

 先ほどの御者と言い、彼女と言い、随分とこの仕事が長いようで所作や立ち振る舞いの一つにしても実に洗練されていた。それに年配の方であり堂の入った振る舞いは恐らくはこの館に長く使えているということだから、俺を呼び出した主人という人物もそれ相応の人物であるに違いなかった。

 ここまで連れてきていきなり殺すような事は無いだろうから、いつでも剣を抜ける様な心構えは解く。緊張は解けない。


「この奥でお待ちです」


 そしてある大きな扉の前まで案内された。彼女は会釈をして立ち去ってしまったから、ぽつりと俺だけが取り残される。

 覚悟を決めてノックを行う。少し待ったが返事は無く、中へと進むことにする。


 扉の先は、廊下とは違い明るい空間だった。魔石灯の灯りがふんだんに使われ、昼の様に明るい空間に、雑多にモノが溢れかえっていた。壁に備え付けられた本棚には豪勢な装丁から、単に紐で括られただけの紙の束が無造作に並べられ、執務机と思われる机の上には最低限の文書を書くスペースが空いている他は、紙の山と本の山がうず高く積み重なっており、そうでなくても床には古今東西の珍妙な品々が所かしこに無造作に転がっている。


「よく来たね。ロートブルグのレオナルドや。準備にもう少し時間がかかるようだから、まぁお茶でも飲んでいきなさい」


 雑多な品々の中に小さな老婆が居た。しわくちゃの顔をした小さな老婆。けれどもその声は凛と通るもので、柔和な物言いながら芯の強さが伺えた。何より品の良いシルクのナイトドレスの着こなしは見事で、その瞳の強さはとても老人の物とは思えなかった。

 一瞥してだけでこの老婆が唯者ではない事を思い知る。この人が若かりし頃はさぞ多くの男を手玉に取って来ただろうことも。

 彼女の向かいのソファに腰かける。

 そしてすっと、ポッドから注がれた紅茶が差し出される。


「ミルクと砂糖はいるかい?」

「いえ、大丈夫です。そのまま、いただきます」

「そうかい」

 

 カップを手に取り、口にする。途端にとても芳しい香りが鼻を突き抜け、芳醇な甘みと微かな渋みが舌を楽しませた。


「いいお茶ですね」

「そうだろう。 私はお茶にも目が無くてね。最近はこの茶葉に凝ってるんだよ」

「なるほど。風味もですが、淹れ方も本当に素晴らしい。とても美味しいです」

「この魔道具のポットのお陰だよ。 お前も魔道具に凝ってるんだってね」


 びたりと紅茶を口に運ぶ手が止まる。動揺を隠したふりを続けるが、嘘のように味が分からなく無くなる。

 目の前の老婆は柔和な笑顔のまま言葉を紡ぐ。


「このポッドは、よほど紅茶が好きな人間が拵えたようでね。温度と蒸らし時間を設定した通りに淹れてくれるんだ。随分と腕のいい職人の仕事だ。もう随分とこんな良い品は見なくなったがね」


 しみじみとそんな事を彼女は語る。

 冷汗がたらりと頬を伝い、心臓は早鐘を打っている。だが虎穴に来たのは八方塞がりの現状を打破する何かを得る為だった。恐れずに、言葉を紡ぐ。


「俺を呼び出したのはそれが理由ですか?」


 意を決したセリフだった。だがそれは小さく笑い飛ばされてしまった。


「くっくくくく。確かに私の耳にはお前が魔道具について調べ回っていることは届いているよ。王家に対してあまりいい感情を持っていないという事もね。 しかし私には一切興味がない事柄さ。 ここに呼んだのは単に色恋沙汰のお節介と、懐かしい顔をまた見たくなっただけさ。 どれ、ちょっと顔を寄せてくれるかい。最近はすっかり目を悪くしちまってね、近づかないと何も見えやしないんだ」


 そういって彼女が机から乗り出すように、俺の頬に両手を添え、ぐっと引き寄せた。

 彼女の芯の強そうな青い目が目の前にある。何もかも見透かすような眼に値踏みをされる。


「祖父とはあまり似てないんだね。どちらかというと、母親似だ。でもね、その眼だけは祖父と同じ色だ。あんまり、女を泣かすんじゃないよ」


 彼女はそう告げて、俺を解放した。そして彼女はカップに残った紅茶を優雅に飲み干した。


「さて、そろそろ準備が整ったようだから私はもう行くよ。もう一つだけアドバイスをしておくと、たった一度の逢瀬だけでも、それを胸に生きていける女は時々いるもんだ。まぁ悔いが無いように選択をするんだよ」


 意味深な言葉を残して、老婆は立ち上がり扉へと向かう。

 そして部屋を出る直前にふと思い出した様に何か小さな卵のようなものを取り出した。それに何か操作を行うと、風が部屋中に吹き込んで、雑多に転がったあらゆる品々や書籍や紙を撒き散らし、そしてどんなカラクリなのか彼女の持つその卵の中に納まった。

 伽藍洞になった白い部屋だけが残される。


「こいつも魔道具だよ、随分と古い、モノになってしまったけれどね」


 呆けている俺に、ネタばらしとばかりに嬉々とした様子で告げる老婆。


「この部屋の遮蔽性は本当に素晴らしくてね、魔道具で遊ぶには格好の場所だったんだ。だがまぁこれが本来の使い方さ。悔いが無いようにするんだよ」


 最後にもう一度そう告げて老婆は部屋を立ち去った。

 唐突な事にどっと疲れて、床に座り込んでしまう。

 魔道具というものは本来非常に貴重なものだ。子爵家では、魔物除けの魔道具を持つぐらいが関の山で、多くは上級階級が保管しているに過ぎない。

 そんな貴重なものを使いこなす老婆。この世界の広さというか深さというか、奥の奥をのぞき込んだような気分だった。

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