第22話 人生の選択

 老婆との遭遇で、ぐったりと倒れこみたい衝動に駆られる。だが間髪なく部屋にノックがされ、扉が開けられた。


「お待たせいたしました、レオ、様」

「え? フィオナ様!?」

 

 驚きを隠せず上ずった声が出る。やってきたのはフィオナ様だった。

 唐突の事に更に頭が真っ白になる。シルクのナイトドレスに身を包んだ彼女がこちらに近づいてくる。露出はほとんどなく、全身を覆い隠したデザインだが、体のラインを一部強調するようなデザインでもあって、思わず目を逸らしてしまった。

 彼女は構わず俺の元までやってくる。

 何故、ここに。先ほどの老婆とはどういう関係。随分と久しぶり。気まずい。

 色んな感情がぐるぐると渦巻いている。


「お久しぶり、ですね。フィオナ様」

「そう、ですね。久しぶりですね、レオ様」


 ぎこちない会話。聞きたいことは沢山あるが、そもそも嫁入り前の女性が男と同室でそのような格好はいかがなものか、なんて思う。


「えっと、どうしてここに?」

「そうですね。お話ししたい、しなくてはならない事が沢山ありますが、まずは座る場所を作りましょうか」


 そう言って彼女は、先ほど老婆が持っていた卵のような魔道具を取り出す。厳密には少しデザインが違う。彼女はそれを操作すると部屋中に風が吹き荒れた。どういうカラクリなのか卵から風に乗って様々な家具が飛び出し、部屋に並べられていった。

 あっという間に伽藍洞から、落ち着いた個室に変わっている。ソファとローテーブル、ドレッサーや本棚、天蓋付きのベッドまである。


「すごい魔道具ですね」

「えぇ。でも陛下が言うにはこの部屋限定の品だそうです。調度品の置かれる位置が決まっているので、間取りの違う部屋では使えないそうです」

「あぁ、なるほど。それでもとんでもない品ですよ。……え? 陛下?」

「…………もしかして気付かれませんでしたか? あの方が王太后陛下です」


 とんでもない人物と話していた事を知らされる。今更冷汗がどっと出る。

 ソファに、だらしないがどっさりと座り込み、思わず天を仰ぐ。


「どうりでおっそろしい婆さんな訳だ」

「レオ様は素だとそんな話し方ですのね」

「あ、すみません。思わず気が抜けしまいました」

「いえ、そっちの方が嬉しいです。くだけた話し方の方が本当に嬉しいです」


 対面に座っているフィオナ様がにこにこと笑みを浮かべている。

 その笑顔に、嘘が無い事をしっているから、目のやり場にやはりとまどう。


「ちょっと色々と混乱しているのですが、少し整理してもいいかな」

「えぇもちろんです。レオ様」


 敬語とため口が混じった変な喋り方だが、フィオナ様の目にはパッと光が差している。

 慣れないが続ける。

 

「……俺は一風変わった招待状を受け取って、この場に居るんだけど、フィオナ様が手配されたことでしょうか」

「いえ、実は私も突然陛下に呼び出されて、本当に先ほどレオ様がいらっしゃるということお聞きしたんです。ですので本当に緊張しています。陛下からお借りした衣装なのですが、少しはしたないでしょうか」

「すごくお似合いですよ。 しかしそうすると、陛下が俺たちを会わせたがった、ということになるんですかね」

「恐らく、ですが。 実は陛下から招待していただいた仮装パーティーに欠席のご連絡をした時に、レオ様と一緒に過ごす時間が少なくて寂しい、というような事をつい漏らしてしまったのです。陛下は何というか本当におせっかいな人なので、こういう場を、設けられたんだと思います」


 それに、と彼女は続ける。


「ドラゴンの一件以来、私とレオ様をとりまく状況が一変してしまいましたし、学院でお会いするのは本当に難しくなってしまいましたから。普段社交界には出てこられないのに、何故かこういう情報だけは本当に耳聡いのです、陛下は。そういうのも含めて、おせっかいを、焼いていただいたのだと思います」


 なんとなく、王太后という人物が見えてきた気がする。フィオナ様との関係も。陛下に振り回されているけれども憎めないでもいる。まるでファンキーな祖母と優等生な孫の掛け合いみたいで、少し微笑ましく思う。


「あぁよかった」

「どうしましたか」

「いえ、レオ様が微笑んでくださったから。遠くからしか拝見できませんでしたが、最近は本当に難しい顔ばかりでしたもの、ですので、よかったなと」

「そんな顔をしてましたか」

「してましたよ。図書館での時はちょっと泣きそうになりました」


 図書館の時、とは新たに婚約者となったレイヴィンと初遭遇した時だろう。あれはちょっとした修羅場だった。まさか自分の人生であんな場面がやってくるとは思わなかったから、難しい顔になっても仕方なかった。

 話さなくてはいけない事。彼女は話したい事と、話しさなくてはいけない事がある、と言った。

 レイヴィンという新たな婚約者の話題は、出来れば触れたくないものだけれども、間違いなく話さなくてはならない事だった。

 逃げ続けてもしょうがない。丁度話題にも上がり、話すべき時がきた。


「ねぇレオ様」


 しかし機先を制して彼女が言葉を紡ぎ始める。まるでその話題をしないようにするために。


「私達、いつまで経っても探り探りの会話ばかりですね。私はもっと親密な話題を、レオ様としたいなって思います」

「……と、言いますと?」

「今だけは、許嫁とか婚約者とか、爵位の違いとか。そういうの全部取り払ってお話をしてみませんか? いつかした設定をやるんです。ただのフィオナと、ただのレオナルドとして」


 震える声で、でも確かな意思で告げられた彼女の提案。

 それは今まで俺たちが、いや、俺がずっと避けてきて事そのものだった。

 ただの男女として話をしよう。

 何か言い訳を紡ごうとして頭は働くけれど、彼女の真剣な目を見ると、ちゃんと向き合わなくてはと思い直させられる。

 これで、何かが決定的に変わってしまっても。受け入れる覚悟が彼女には出来ている。

 ”悔いが無いようにするんだよ”

 王太后の最後の言葉がこんな時にリフレインする。


「分かりまし……。いや、分かった。でも具体的にどうするんだ?」

「ちょっとした遊戯をしましょう。ただのフィオナとただのレオナルドとして出会えていたらどんな事がしたいか、を挙げていくんです。これなら相手をどう想っているか、相手を傷つけることなく伝えられると思うんです」

「…………わかった。じゃあそういうルールで」

 

「えぇ。じゃあ私から。 まず私は貴方にフィオナって呼び捨てにされたいです。壁なんかなくとっても親密な感じで、レオナルドに名前を読んでもらいたい」


 この遊戯は思った以上に恥ずかしい。ままごとと分かっているが、それが嘘偽る本当の気持ちだから、彼女は顔を赤く染めている。けれども視線に茶化した色は全くなく、真剣にこちらに向けられている。

 手本を示されて俺の番になる。

 ただ、彼女と仲良くなることが出来ていたらどんな事がしてみたかったか。それを自分に問いて心をなぞり、口を開く。


「フィオナの、手料理が食べてみたい」

「手料理、ですか?」

「あぁ。 家では母が食事を振舞ってくれるんだ。昔は違ったんだけどさ」

「……頑張りますね」

「いや、これは願望を言い合う遊戯で、決して要望を言った訳じゃないんだ」

「でも、レオナルド、だって私の名前を呼んでくれたでしょう。叶えられるものは叶えたっていいじゃないですか」


 お互いに顔を真っ赤にしている。こんな幼稚な事。そう思う自分も居るけれど、初めて、フィオナに対して本音を言い合っている感覚があるのも事実だった。

 遊戯は続き、彼女の手番に移る。


「レオナルドと、もっとデートがしたいです。もっと色んな場所を紹介したいし、貴方が好きな場所に連れてって欲しい」

「……あのデート、は楽しかった」

「うん。本当に楽しかった」


 面と向かって行為を伝えられるより、気恥ずかしいものがある。でもどんなに顔を真っ赤にしても、真剣な面持ちで彼女は居る。


「フィオナと、ダンスが踊りたい。もっとうまくなった状態で。あれはちょっと酷かったから」

「そんなことないですよ。誘ってくれて本当に嬉しかった」

「……あぁ、でも次はもう少し練習してからやりたい」


 彼女の番。


「手を握って欲しいです。指と指を絡めるやつで」


 おずおずと彼女が手を差し出してくる。彼女の手に触れて、温かさと湿っぽさを感じた後、指が絡められて強く握り合う。


「フィオナと授業を一緒に受けたい。机を並べて、横に座って」

「そんな風に想ってくれてたんですね。何度誘ってもクラスを変えてくれなかったから嫌われてるかと思ってました」

「クラス変える云々は別の話だよ。クラスを変えると出たい授業に出れなくなるからさ」

「そっか。うん。そう、だったんだね」

「フィオナの番、だよ」

「やっぱり、フィオナって呼んでくれるの嬉しい」

「そういう事言うのやめてくれ、すげー恥ずかしい」

「この状況がすげー恥ずかしい、けどね」

「いいから続けなよ」

「……うん。今みたいにレオナルドと軽口を言い合いたい。貴方にとって気を許せる、人でいたい」

「そうか」

「うん。そう」


 俺の番。


「フィオナと星を見に行きたい」

「星?」

「あぁ、草むらに寝そべってさ、綺麗なモノを一緒に見たい」

「いいな、それ。今したいくらい」

「……王都は明るすぎるから、もっと灯りが無い場所の方が綺麗だよ」

「そっか」

「あぁ」

「……レオナルドの故郷に連れて行って欲しい。貴方がどんなものを見て、何を感じてきたのか。教えて欲しい」

「………………何もない、ところだよ」

「貴方はいつもそういうけど、私にとっては大切な人が過ごした、憧れの場所なんだよ」


 何かを、意識することなくただ、内に秘めていた本音を口にする。

 それはとても恥ずかしい事で、お互いがどうしようもなく顔を真っ赤に染めている。

 けれど、お互いに掴みどころの無かった相手の心が形を成していくような時間でもあって。どうしようもない恥ずかしさの中に、愛おしいという気持ちが溢れてくる。


 俺の番。

 目の前の、顔を真っ赤にし、可愛くて、綺麗で、手の届かない存在の筈なのに、俺を想ってくれる人と、何のしがらみもなければやりたい事。

 浮かんできたのは、彼女の凄惨な末路。俺の前世の記憶が教えてくれる、彼女の悲しい結末。ただ命を奪われるだけでない、もっと悍ましい最期。それだけは避けてほしかった。


「フィオナには長く生きてほしい」

「…………一緒に生きたい、ではなくて?」

「君が生きてくれるならそれでいい」

「……そっか」


「レオナルドと幸せな家庭を築きたい」

「一気に飛躍しなかったか」

「そんなことないよ。そんなことない。 子供が居て、貴方が居て。何でもない事を話してるだけなのに、満たされていて。この人の事が大好きだなって、毎日しみじみ思いたい」

「…………そうか」

「うん、そうだよ。ずっとそう想ってるよ」


「ねぇレオナルド。ただのフィオナとただのレオナルドは、お互いを想い合っている。ということでいいかな」

「そう、だな。あぁうんそうだ。俺はフィオナの事を本当に大切に想ってる」

「私も。私も、レオナルドの事が大好きです」


 フィオナの真っ赤に染まった顔が近づいてきて、おでことおでこが触れられる。

 彼女の温かい体温が伝わってきて、息遣いがすぐそこにあって、彼女が笑顔で居てくれることが分かる。


「怖くて聞けなかったけど」


 そんな前置きがあり、息を整えた後彼女が続ける。


「ずっとそれが確かめたかったの」


 その言葉に、ずっとずっと慕ってくれた女性に、俺は答えなくてはいけないことがある。

 それを話そうとする。

 けれど彼女の指が俺の口に充てられて、言葉は紡げなかった。


「今はいいの。貴方が私を大切に想ってくれる事が分かっただけでいいの。今はまだ、ただ幸せなだけで居させて」


 そう言われてしまえば、それ以上は何も言えない。

 だからただ、絡め合った両手とおでこから、伝わってくる彼女のぬくもりだけを心に刻み込んだ。


 しばらくそうしていて、くすくすと笑いながら彼女が離れていく。

 相変わらず顔は真っ赤で、でも幸せそうな笑顔で、それを見て嬉しくなる自分も居る。


「何だか今、すごくあったかい気分です。もやもやが晴れたっていうか、些細な事だなって思えるっていうか」

「それは良かった、です」

「敬語に戻らないでよ。 遊戯はもう終わりでいいけど。2人きりの時は、ただのフィオナとレオナルドでいたい」

「……改まって意識するとすげー恥ずかしいな、これ」

「そういうこと言わない。言ったら興ざめだよ。 でも恋は盲目とか、人をおかしくさせる、とか。そういうのが本当なんだって身をもって体験した感じ」

「本当にな」


 そう言って俺は笑って、彼女も笑みを返してきた。

 ただ年頃の男女であるように。しがらみはなく、ただ笑い合った。


 でも俺たちは貴族だ。俺はまだ冒険者の夢を諦めてはいないとはいえ、まだ貴族だった。己の想いや価値観は捻じ曲げても呑み込まなくてはならないものがある。

 気持ちは確かめ合った。つぎは話さなくてはならない事を話さなくてはならない。


「出来れば、忘れてしまいたいのだけど」


 そんな前置きで、フィオナが話し始める。甘い空気がゆっくりと消えていく。名残惜しいけれど、夢ばかりを見続けては生きていけない。


「レイヴィンさんとの事、話し合わなくては駄目、ですよね」

「そう、だな。この件でフィオナには本当に迷惑をかけたと思う」

「謝罪はいいですよ。国王陛下から命じられれば、お断りなんて出来る訳ないですから。 それに、レオナルドにとっては決して悪い話ではないのは本当だもの。侯爵家と王家という2大勢力の板挟みになるけれど、それは貴方の価値が増すという事だから。ただの子爵では出来なかった事が出来るようになる訳だから、決して悪い話じゃないわ」

「そう言ってくれると、助かるよ」

「でもこれは理屈の話。感情はいつだって別よね。貴族に第2夫人や妾が居ない方が不思議だけど、こんなに早いとは思わなかったし、分かっていても、嫌なものは嫌、というのが正直な気持ちだよね」

 

 気持ちを確認し合ったことで、彼女の物言いにこちらを窺うような敬語は無い。それは距離が縮まったようで嬉しく、この貴族世界で生きてきた彼女のはっきりとしたそれは頼もしかった。

 そしてちゃんと気持ちを言葉にしてくれることも。

 

「ねぇ。レイヴィンさんとの事は浮気、だよね?」

「それはどういう意味?」

「本気なのは私だけ、ということの確認。 レオナルドは私だけが大切で大好きで本気だけど、立場上仕方なく他の娘に浮気をするの。それだったら許せると思う」

「俺はそもそもレイヴィンさんとは――――」

「もうそういう話じゃないんだ。私達の気持ちだけで終わる問題じゃなくなってしまったの。

 王家から無理やり嫁がされただけだから、と一生レイヴィンさんを飼い殺しに出来る? 貴方は優しいから根本から間違っていると言いがちだけど、もうそうなってしまったから、その状況に対応していかないといけないの。どんなに嫌でも。

 もう一度聞くね。レイヴィンさんを飼い殺しに出来る? 貴方の心情として、他家への外聞として、王家への忠誠として、そんな事本当に出来る?」


 やっぱり俺は貴族世界は向いていない、ということを思い知る。

 そしてこんな世界で生きてきた目の前の女性に、尊敬も覚える。


「無理、だな」

「……それはそうだよ。誰だってそうだよ。 だから、レオナルドが私にだけ本気で居てくれるなら。私はそれで充分。本当にそれだけで十分なんだよ」


 覚悟を決める時が来たのだと思う。

 決して流されている訳では無い。

 ずっと思っていた。こんなに素敵な女性が何故自分を好いてくれるのだろうと。

 そして俺はずっと、前世の記憶に縋って彼女と離れる方法を探し続けていた。

 そうしなければ死んでしまうから。と彼女を避け続けてきた。

 でもそれが根本から間違っていたとしたら。

 前世の記憶なんてものを持ち合わせた理由は、その記憶に沿って生き延びる為ではなく、それを使って人生を変えるものなのだとしたら。何か全ての歯車が噛みあい、あらゆるものが動き出すかのような予感がある。

 そんな予感は大抵が外れるものだとしても。まだ十分に時間があった。卒業まで2年近くある。それだけの時間を懸命に生きれば、何故フィオナが悪役令嬢と呼ばれるようになったのか、何故凄惨な結末しか待っていないのか解き明かせて、彼女を救う未来に向かうことだって出来るのではないだろうか。

 

 そんな事を本気で思いかけてしまえる位には、俺は彼女に惹かれている。

 

 だから覚悟を決める時が来たのだろう。人生の岐路、というやつ。

 どっちを選んでも、少なからず後悔するであろう、人生の選択。

 不安がある。でも高揚が勝る。一抹の寂しさは遠い日の思い出になるのだろう。

 選択はより強い感情に従うべきだった。

 

 冒険者になるという夢は、少年時代に思い描いた淡い夢となる。子供の時になりたかった職業。

 ほとんどの人が子供時代の夢だけを追い続ける訳じゃない。人生という大きな道程で、様々なモノと色んな人に出会っていく。その途中でもっと素敵なものに、もっと大切な人に出会うというだけの話だ。

 諦める、訳じゃない。もっと価値あるものに変わるだけ。


「フィオナだけが本気だよ」

「え?」

「フィオナだけが本気。流されているわけじゃないよ。ちゃんと考えて決めた事なんだ。俺にとってはフィオナだけが特別だよ」

「後悔しない?」


 あれだけ、俺への想いを教えてくれたのに。彼女からは不安で一杯の様子が伝わってくる。それもまた、彼女の魅力だと思ってしまうのだから、本当に俺は彼女に参っているらしい。

 フィオナの手を取って、彼女の目をしっかりと見据えて告げる。


「後悔なんて絶対にしない」


 そして彼女を抱きしめた。少し強いくらいに、自分の気持ちが伝わるように、強く抱きしめた。

 おずおずと彼女も俺の背中に手を回し、抱きしめ返してくれた。


「レオナルドが、こんなに積極的な人って知らなかった」

「嫌だった?」

「ううん。もっと早くにこうしたかったって思うだけかな」

「これからは、沢山時間があるからさ」

「うん。本当だね」


 フィオナが目を閉じている。躊躇う理由なんてもう無かった。

 俺は彼女の唇を奪った。

 彼女も戸惑うことなく答えてくれる。

 唇は柔らかく艶めかしく、脳髄が甘くしびれている。でもそれ以上に、心に触れた実感が堪らなかった。

 唇と唇が離れた時、俺たちは見た事もない程顔を紅潮させ上気していた。

 濡れた彼女の目は吸い込まれるように愛おしい。

 ずっと見つめ合っても居られたけれど、彼女がこくりと小さくうなずいた。

 言葉はもう要らなくて。俺たちは互いを抱きしめ合い、その体温を確かめ合った。

 それはとても柔らかくて、心から満たされるような至福で、自分の人生で一番の、特別な瞬間だった。

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