第23話 王太后との交流
深夜になる前に、フィオナは家に戻り、俺は一晩泊っていくよう指示され宛がわれた客室に居た。
王太后の離宮は、かつて外交時に非公式の密談を行う場として使われており、今も俺とフィオナのような表立って動きにくい人間の密会の場として活用しているらしい。
明日、俺は転移の魔道具を使いこの離宮を姿を消す事になる。
俺が離宮に向かったことを尾行したヤツがいたとしても、出てくる所を抑えられない訳だから、フィオナと俺の密会した確証を得られないという事になる。良くできたシステムだった。
そして、せっかく魔道具を使用できる機会だから、ありがたく提案に乗る事にした。
かなり高品質の魔石を消費するというのに、格別の計らい。
格別すぎると疑う心も湧いてくるがここで何か思案しても何も始まらないから、今は王太后の言うとおりにするのだった。
翌日、メイドに促され、ダイニングで朝食を摂る事になる。てっきり一人でと思っていたが、王太后と同席する事になった。気恥ずかしさを覚えながら唐突な出来事に、何を喋ろうと思い悩む。
「無理して話題を振る必要はないよ。私は朝は静かに食べたいんだ」
見透かされたように彼女にそう言われて、俺たちは無言で食事を摂った。
時々フォークが食器を叩く音がして、静かに朝食の時間は過ぎていく。
朝食が終われば、紅茶を振舞われる。昨日いただいたポッドは使わず、給仕のメイドがこの場で淹れてくれたものだった。昨日とはまた別の少し強めの渋みが目を覚ましてくれる、そんな味だった。
「悔いが無いようには出来たかい?」
紅茶をゆっくりと口に運びながら王太后は何でもない事のように訪ねてきた。本当にただの雑談として。
「えぇ。貴重な時間をありがとうございました」
「それは良かった。力を抜けという方が無理だろうけどね、レイヴィンと婚姻を結ぶのならお前は私の孫同然さ。可愛げがあるところを見せれば婆は孫には弱いものだよ」
ただの雑談の様に淡々と。どこまで本気か分からない。フィオナと対峙することで貴族というものの一端を知った気になっていただけだった。国政の趨勢を左右する修羅場を生きてきた人相手に、付け焼刃は全く歯が立たない。
「だから最後にフィオナ様と話す機会をくれたのですか?」
だから直球。何か遠回しに聞くようなことを、俺は本当に出来ない。
王太后は「そんなんじゃないよ」と否定し、紅茶をゆっくりと味わっている。
「あの子はあの子で孫のような存在さ。だからお前がどちらを正妻にしようが私は構わない。どちらも娶らざるを得ないのだから。どっちを正妻に選ぶのか観客として興味はあるがね」
表情も声の抑揚も変わることなく彼女は淡々としている。だが相手は指示一つで他人の人生を決めることが出来る立場の人間だ。その一言一言にどうしった傾聴せざるを得ない。
「あの子の恋は長く見てきたからね」
ぽつりとこぼしたそんな言葉。
俺が長く待たせた張本人である訳で少し居心地の悪さも感じるが、この格別の計らいの理由は、彼女のその言葉に全て凝縮されていた。
それだけで貴族世界の権化みたいなこの人物の印象が変わる訳では無いが、想像以上に愛情深い人なのかもしれなかった。
「それに馬鹿息子のせいできな臭い世の中になっちまったしね。想いを伝えておくに越した事はないさ。
さて、そういえばお前は魔道具に興味があるんだったね。良かったら見ていくかい?」
「え! いいんですか?」
思いがけない提案に思わず上ずった声でそんな返答を返していた。
さっきまで淡々としていた王太后の目に小さく光が差し、少し笑みがある。
「ふふふ。コレクター心をくすぐるね。よし、私手ずから説明しようじゃないか」
そして生き生きとした様子で彼女が立ち上がり、そういう事になってしまった。
王太后に連れられ魔道具の山を一つ一つ説明をされたのだが、結論として特筆すべきことは無かった。期待したのは、ドラゴンの召喚に使用されるような魔道具、あるいはそのヒントが無いかと思ったのだが、そういった類のものはなかった。
王太后の説明は詳細でユーモラスで興味深く、気が付けば昼食も共に取る事になり、晩御飯も共にすることになり、もう一泊していく事になっていた。思いがけず気に入られたようだった。
「その年で魔道具の良さが分かるとは見どころがあるね。魔法の才能もあるんだってね。どうだい、魔道具職人にならないかい? パトロンになるよ」
晩酌にまで付き合う事になり、お酒が入ってお互いに少しは気を許せるようになると、王太后は愉快な人だった。
「有難いお話なんでしょうけど、魔道具職人になりたい訳では無いんですよ」
「勿体ないね。レオなら間違いなくいい職人になるよ。昨今の職人は金ばっかり見て製作意欲の無いクズばっかりだ。芸術家としての矜持がない」
「でもまぁユリ様みたいな後援者がいるから希望はありますよ」
「そのとーり。みんな私の様に金に糸目を付けず芸術振興に邁進すべきだ。だから私がパトロンになってやろう」
「いやだから魔道具職人になりたい訳では……」
ユリーティア様だからユリ様。そしてレオと愛称で呼ばれるくらいには距離が縮まった。王太后なんて立場の人なら、周りに幾らでも人間はいるのだろうが、気兼ねなく趣味の話が出来る人間は少ないのかもしれなかった。
魔道具なんてものはどうしたって高価な品だから、誰もが金銭的な価値を重んじる。そんな中、その機能を詳しく聞いてくる孫みたいな存在が居れば、彼女が俺に気を許し始めた理由にも納得がいった。
ここに、ドラゴンを召喚するような異常事態を引き起こす代物のヒントは無かったけれども、これから貴族として生きるのであれば、王太后との知己はかけがえのないものになるはずだった。
翌日、”いつでも来るといい”なんて言葉までもらって、離宮を後にする。転移の魔道具というものを初めて拝むことになった。
もうわざわざ魔道具を使わずとも心配ないんじゃないかとも思ったが、せっかく使わせてくれるというのだから、ありがたくその提案を受け入れる。
転移の魔道具は、ひとつの部屋だった。離宮のある地下室に魔法陣が床にも壁にも天井にもびっしりと書き込まれた部屋があって、魔力を注ぎ込むとこの部屋と対応した転移先の部屋と空間内が入れ替わるらしく、転移が起こるとのことだ。
細かい仕組みはちんぷんかんぷんだが、任意の場所に行けるのではなく、あらかじめ用意された対となる場所への移動しか出来ない。
メリーナ領でドラゴンが召喚されたという線はこれで完全に潰えた格好だ。
違和感がまだ残っているが、本当にあのドラゴンが痕跡を確認されることなくあの森にいたのかもしれなかった。
気にかかっているがそれはもう忘れて、もっと大切なものを見るべき時が来たという事。そう思う。
渡された小さな魔晶石を握りしめて、石に魔力を通す。石の魔力が解放されると、それを魔法陣の中心に置いて、転移の魔道具を発動させる。
空間内に風が吹き荒れ、閃光が爆ぜる。
思わず目を瞑ってしまい、次に目を開けるとそこは似た造りだが違う場所だった。
握りしめた魔晶石は、ボロボロと崩れ、ただの土くれとなっていた。
「こんなにあっという間なのか」
そんな感想をポロリとこぼし、事前に言われていた様に行動を起こす。転移の部屋の階段を上がり部屋の外に出る。そこは離宮の石造りの高級さはなく、木造りの一般的な家屋だった。言われた通りに部屋の鍵をかけ、言われた通りに歩くと、宿屋のカウンターに出る。
強面の店主は特段俺に事情を聞くことなく鍵を受け取り、さっさと行くように出口を指さす。
宿の外は王都の下町だった。
何の変哲もない、城壁近くの宿屋。まさかこんな場所が離宮に繋がっているだなんて誰も思わないのだろう。それほどに何の変哲もない場所だった。
夜が明けたばかりの王都は静かでありながら、人々の営みが始まろうとしている熱気もあった。パン屋とおぼしき店には行列が出来始め、眠い目をこすりながら往来を行く人々。
そんな街の中に俺も足を踏み入れた。
随分とサボってしまったが、学院に行かなくてはならない。
足早に、早朝の王都を行くのだった。
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