第24話 彼女と共に生きる覚悟

 学院に着いた時、想像していたような注目は無く、誰一人として俺に声をかけてくるような人はいなかった。

 拍子抜けでありながら、少し残念な気持ちも湧いてくる。

 しかしそれは一瞬の事で、学院の門から校舎までの長い一本道の最中で人だかりがあって、登校してくる生徒が次々と野次馬となりその輪を厚くしているのだった。

 関わらず逃げようとも思うが、その輪の中に長い赤髪の見知った姿を見つけたため、その人だかりへと向かう。


「やぁイルティナ。何の騒ぎ?」

「珍しいねサボり魔。 ……レオはあんまり見ない方がいいよ、気分のいい話じゃないから」

「逆に気になるな、その物言いは――――」


 見ない方がいいと言われても、見てしまう。その人だかりの中心にはフィオナがいた。誰かを庇いながら複数人と言い争いをしているようだった。


「ちょっと通してくれ」

「辞めなって、レオ!」


 強引に人だかりをかき分けてフィオナの元に向かう。


「フィオナ様何故分かっていただけないんです! そいつは我が国に弓引く売国奴ですよ!」

「この学院にふさわしくない! 追い出すべきなんです!」

「貴女ほどの方が何故分からないのです!」


 そんな怒号が響いている。

 血気盛んな複数の男がフィオナに詰め寄っていて、彼女は毅然とした様子で男達に立ち向かっている。背後に倒れこんでいる一人の女生徒を庇う様に。

 制服ではなく、ドレス姿だから貴族の娘なのだろう。女生徒は目に涙を一杯に溜め、頬をはたかれたようで赤くなり、口元からは血が滲んでいる。


「たとえ」


 フィオナが口を開く。少しだけ声が震えているような気がしたが、続く言葉は毅然としたもので、彼等だけでなく取り囲んでいる群衆にも聞こえるように響く。


「たとえいかなる理由があろうと彼女は学院の生徒です。私にも貴方たちにも彼女を排斥する権利はありません」


 彼女の迫力に、詰め寄っている男達が一瞬たじろぐが、再び怒号を叫び始める。

 

 自分が冷静でないことが分かる。きっと俺なんかが出る幕はないのだろうけれど、足は群衆を抜け舞台へと進む。


「大丈夫? 立てる?」

「え?」


 倒れこんでいる女生徒に声をかけ、彼女の容態を確かめる。口元から血を流しているが、他に外傷はなく足を痛めた様子も無さそうだった。

 水生成を唱え、濡らしたハンカチで彼女の口元を拭ってやる。手を取り立ち上がらせると、ドレスが汚れてしまっていた。

 清潔魔法、と呼んでいる魔法を行使する。このドレスの洗浄方法が分からないからあくまで応急措置だが、火で温めた水で汚れを取り、水を操作する要領でドレスにしみ込んだ水分を奪う。

 ぱっと見ただけなら分からない程度に汚れが取れた。

 

「あくまで応急処置だから、ちゃんとした洗浄を行った方がいいよ」


 頭を下げ俺に感謝をしてくれる女生徒。けれど、悔しさからか伏せられた目にはまだ涙があって、唇は強く嚙み締められていた。

 こんな気障な真似をするつもりは無かったのだが、これだけ人間が居て誰も女生徒に手を差し伸べようとしない。紳士を標榜する貴族を育成する機関での一幕とは思えなかった。

 そして、フィオナに詰め寄っている男どもに視線が向く。徽章から彼らは伯爵位の生徒たちで、その後ろには彼らに仕える騎士の家の子と思われる生徒が塊を作っている。


「おい、ロートブルグ何のつもりだ」

「子爵風情が口を出すな! 不敬だぞ!」


 口々に好きな事を宣う男達に近づく。

 彼らのリーダー格と思われる男に、目を向け、絶対に視線を離さない。


「俺の婚約者に何の用だ」


 その一言で男が一瞬たじろぐ。

 学院で彼女を婚約者として扱うのは初めての事だった。これもまた面倒な不文律だが、面子が重要視される貴族世界で婚約者や妻を守るという行動は、何をおいても行うべきこととされている。

 学院で実際にそんな事が起きたという話は聞いたことが無いが、何なら俺が彼らと諍いになっても正当性は俺にある。

 そんな理屈を抜きにしても、フィオナを害そうとするこいつらに俺は殺意を抱いている。


「普段は逃げ回っているお前が今更婚約者気取りか?」

「ミッドウェル家のご令嬢と新たに婚約者に迎えたと聞くぞ。王家に歯向かうつもりか」

「お前も売国奴か!」


 また彼らが口々に何か宣いはじめるが、構わずに告げる。


「お前ら全員膾にするのはドラゴンより簡単だぞ」


 ドスの効いたその言葉は思ったよりも効いたようだ。だが彼等も貴族の子弟。口だけは達者な様で、まだ食い下がる。


「ド、ドラゴンを人間が一人で倒せるわけがないだろ」

「そうだぞ。騎士団の手柄を独り占めにした卑怯者め!」

「たかが子爵のくせに生意気だぞ」


「じゃあ確かめてみろよ」


 それがトドメのセリフで、剣呑な緊張感が漂う。後ろ手で制してフィオナと女生徒を下がらせる。

 生憎今は剣を持っていない。これだけの大人数と戦うのは流石に初めての事だから、完全勝利を狙うなら魔法は使わざるを得ない。手加減して戦闘不能だけにする余裕はないから、腕の一本二本くらいは覚悟してもらおう。

 誰かが一歩でも進めば、戦いが始まる。

 そんな緊張感に横やりが入る。


「やめよう。ロートブルグと争うのが本意ではないはずだ」


 そう理知的に諍いを止めたのは、ずっと黙り込んでいた男だった。たしか、ロンドという名前の男だった。いつぞや俺に戦いを挑んできたヴィルツ伯爵家の。

 彼は苦虫を噛み潰したような表情で、俺に告げてくる。

 

「お前と争う気はない。だがその女が売国奴の娘であることも事実だ。王家を裏切った貴族の面汚しだ。のうのうと学院に通っている神経は信じがたいよ」

「国王陛下は領地を没収なさっただけです。貴族位の剥奪までは行っていません」


 事の趨勢を見守ってくれていたフィオナが毅然と言い返す。


「貴族としての矜持は無いのかと説いているのですよ、フィオナ様。まともな神経があれば恥ずかしくって学院に来れる訳がない」


 それだけを吐き捨てて、ロンド達の一団は校舎へと向かっていく。野次馬根性で取り囲んでいた者や事なかれ主義者達が次々に学院へと立ち去っていく。騒ぎを聞きつけて教師もやってきたようで、人だかりがまばらになっていく。

 ボロボロと泣き崩れている女生徒に、人目をはばかることなくフィオナがきつく抱きしめていた。


「ごめ、ごめんなさい、フィオナ様。わた、わたし」

「いいのです。立ち向かっている貴女は強い人です。これからも私は味方です。くじけてはいけませんよ」

 

 事情を全て分かっている訳ではないが、女生徒が置かれている立場が朧気に見えてきて、何と言っていいかわからない。

 既に多大な権力を保有している法衣貴族ならいざ知らず、領地しか持たない貴族が領地を失えばそれはただの破滅だ。残された手段なんてほとんどない。遠縁を頼るか、貴族を捨て市井に降るか、貴族位を望む者に身を売るか。

 平民から貴族になる方法は事実上一つしかない。貴族の娘を娶り婿となる事。

 反逆罪を侵し没落したという傷があっても貴族は貴族。その席を狙う有力者は数多いる。

 

 普通の貴族は、貴族としてしか生きていけない。そういう教育を受け続けてきた女性ならば猶更に。

 貴族の子弟が退学することなく3年間学院に席を置くのは、学院の卒業をもって貴族と認められるからだ。途中で辞めたものは、貴族の血を引くものの貴族教育を終えていないものと見做される。

 どんなに苦しくても、彼女はここにいないと先がない。


「夏季休暇が終わってから、こういうことばっかりなんだよ」


 隣に来ていたイルティナがぽつりとそう漏らした。

 俺が知らなかっただけで、随分と学院の雰囲気は様変わりしていたらしい。

 レイさんと王宮で初めて会った時、反逆罪で裁かれる人を見た。こういう人が最近多い、という情報も聞いた。ユリ様が”馬鹿息子のせいできなくさい”と漏らしたのも聞いた。

 何より、婚約者が居るはずの俺に、王家に近い家の娘が宛がわれた。

 地方領主から、王家以上に信頼を集めているミスティリーナ侯爵家。

 そして目の前の現実。

 以前は父に一笑されたけれど、嫌な予感がぬぐえない。


 フィオナと目が合う。軽く目を伏せてお礼を伝えられた後、彼女は女生徒と寄り添って学院へと向かっていった。

 騒ぎを聞きつけてやってきた教師の中にレイさんの姿があった。彼女は俺を見つけると大きく手を振ってくれたけれど、軽く会釈をするのがせいぜいだった。

 ずっと目を背けてきたけれど俺が生きていくと決めたこの世界は、何とも歪で凄惨な場所であるようだった。


 そんな騒動があった後も、授業は進む。久しぶりに教室に顔を出した俺に対し、教師は何かを言いかけたが結局何も口にせず、つつがなく授業は進む。

 休憩時間の度に、メリーナ領での事をどうしてもお礼が言いたい、という生徒がやってきて、一瞬逃げ出したくなったが努めて丁寧に対応した。

 フィオナの他、新たな婚約者であるレイヴィンの事を聞いてくるものもいたが、それにはただ沈黙を浮かべるだけで、言い返すようなことはせず、相手が去るまで待った。


「なんか雰囲気変わったね、レオ。らしくないっていうか大人っぽい……。貴族っぽく振舞ってる感じがする」

「ちょっと思う事があってな」

「ふーーーーーん、まぁ私には関係ないんでしょうけど」


 イルティナとのそんな軽口。

 授業は滞りなく進んでいく。


 午前の授業が終われば、皆が昼食を摂るために教室を後にしていくはずなのだが、何故だか今日は教室内に人の数が多くそわそわとしている。心なしか俺の事をちらちらと窺っているような気がする。

 レグゾールとディリアスの元に向かう。

 珍しい事に彼等2人の他にイルティナが加わった組み合わせだった。


「なぁ皆、昼一緒に食べに行かないか」

「あーうん、そう、だなぁ」

「そうなるよなぁ」

「歯切れが悪いな。もしかして俺ハブられてる?」

「そういう訳じゃないんだけどさ」


 レグゾールとディリアスが言いにくそうに言葉を濁している。イルティナが教室の外を指さしながらはっきりと言う。


「レオ、逃げてないでちゃんと向き合いなよ」


 その有無を言わせぬ強い目と物言いで、しぶしぶ一人で教室の外へ向かう。

 しかしその先の光景を見た瞬間に、教室のみんなの落ち着きの無さやレグゾールとディリアスの態度、イルティナの言葉の意味の全てに合点が行く。

 教室の外に、いつぞや俺がそうしたように、フィオナが待ってくれていた。

 レイさんもその隣に。

 お互い気まずそうにしているが険悪な雰囲気はない。ただ周りはそんな風には思わず、彼女たちを遠巻きにして群衆が様子を伺っていた。


「なんかごめんね、引っ込みがつかなくなっちゃってさ」


 先に発言したのはレイさんだった。おそらく彼女がここに来た時、既にイルティナが居たのだろう。そして2人が鉢合わせた様子を誰かに見られてしまっていた。

 その場で立ち去るとあらぬ疑いがかけられかねない。仕方なく彼女の隣にいると、群衆が集まってきてしまったという事の様だった。

 

「3人で食事でもいいかな? フィオナ」


 フィオナの返事の前に、群衆がざわついたのを感じる。この学院に、フィオナ・フォン・ミスティリーナ侯爵令嬢を敬称なく呼び捨てに出来る人間はたった一人しかいない。婚約者であるレオナルド・フォン・ロートブルグ子爵令息の俺ただ一人。

 今まで敬称で呼び続けてきたのは身分を考慮した他、暗に彼女の婚約者として自分は不適格という事を周囲に知らせる為に彼女には様付けを徹底してきた。

 それを止めるということは、彼女の婚約者であると示していることに他ならない。

 彼女に肩入れするために婚約者と名乗った方便としてではなく、真に婚約者として振舞っている。

 新たに現れた婚約者の前で、初めて呼び捨てたということも重い意味を持つのだろう。


「えぇレオナルド。そう致しましょう」


 フィオナのそんな笑顔と溌溂とした返事も、俺たちの関係の深さを周囲に知らしめてくれることだろう。

 レオナルドとフィオナは恋仲で、子爵家と侯爵家の結びつきは堅く、例え王家の命であっても古い盟約を遵守する家であると。


「あはははは。お邪魔、だったみたいだね」

「そんな事はありませんわ、レイヴィン様」


 レイさんの自嘲めいた返答にすかさずフィオナが返答する。


「私とレイヴィン様は共にレオナルドを支える伴侶となるのですから。対等な関係であるはずです」


 フィオナの言葉に嘘は無いのだろうけれど、それは残酷な宣言でもあった。

 少し困ったような笑顔を浮かべながら、フィオナにうなづくレイさんの姿があった。

 

 それから、レイさんは少し遠慮がちに、フィオナは笑顔を浮かべながら、俺は居心地の悪さを感じながら並んで歩く。でもこれからはそんな座りの悪さにも慣れる必要があった。それがこの世界で彼女に向き合って生きるという事なのだから。

 3人で昼食を摂るためにレストランへと向かった。

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