第25話 けれど、運命は
昼食の間、上辺だけの会話に終始していたと思う。
お互いにほぼ初対面みたいなものだったし、彼女たちは唐突に本題に切り込む様な無粋な人間では無かった。だから表面上は和やかで優雅な顔合わせ。
洞察力の無い俺には、その微笑みの裏で何を考えているかは想像もつかないが、2人は気が合うのではないかと頓珍漢な事を思った。
建国記にも名だたる名家として名を残し、王家と敵対関係を続けながらも最後は臣従を選択することで乱世を終わらせ、もう一つの王家と称される程の権威と影響力を持つミスティリーナ侯爵家。
初代国王の直系の子孫としてその血を保存し現代まで生き永らえ、伯爵にまで降爵し臣籍降下するも、血統や伝統を重んじるならば、現王家よりも王家として由緒正しきブラックウェル伯爵家。
そんな王国を代表するかのような名家の娘が、ただ一介の貧乏子爵家に嫁ぐことになり、正妻の座を取り合わなければならなくなってしまった。
そんな奇怪な立場を共感できるのはお互いだけのはずなのだから。
いやこれはただの俺の願望だな。
逆の立場なら、間違いなくはらわたが煮えくり返っている事だろう。
午後からは誰も授業が無く、フィオナは朝の女生徒たちと約束があると言い、レイさんは俺に学園の魔道具を見せてあげると言ってくれた。フィオナの手前、断るべきかもと一瞬思ったが、興味があるなら見に行った方がいいと後押ししてくれたこともあって、そういうことになった。
レストランを出て途中まで一緒に歩く。
何でもない昼下がり。
そんな陽気な空模様だったが、辺りの雰囲気は妙に騒がしく、様子をうかがって生徒たちが建物から出てきていて、通りが騒然としている。
普段と何も変わらない筈なのに、やけに目に映る光景がはっきりとした輪郭を持っていて、嫌な予感が心の奥底でふつふつと募る。
「ちょっと見てきますね」
そう言って2人から離れ、騒ぎの現況を確かめに行こうとした時だった。
耳をつんざくような爆発音が市街地から轟いた。
唐突の事に、生徒たちが悲鳴を上げたりうずくまったりと、ちょっとしたパニック状態に陥っていた。
「お、おい! あれを見ろ!」
様々な怒号や悲鳴が響き合う中で、誰かが市街地の建物を指さした。
それは王都に居を構える国一番の商会の建物で、王宮ほどではないが大きな建物で学院からも臨むことが出来た。
その巨大な建造物が音を立てて崩れていく。もわもわと土煙が上がっていく。
「テ、テロだ!」
「クーデターだ!」
根拠のないデマが錯綜する。
俺は2人の元に戻る。彼女たちは茫然とした目でその光景を眺めていた。
「一度学院内に戻ろう。 このままパニックが起こると身動きが取れなくなる!」
そう指示して2人の手を取ろうとしたとき、再びけたたましい轟音が轟いた。今度は市街地からではなくもっと身近な所から。
「危ないっ!」
誰かがそう叫んだ時には、俺は2人を抱えて走り出した後だった。爆発はすぐそばの校舎からで、通り側が大きく抉れた校舎が、ギシギシと軋みを立てながら崩れ始めていて、自重に耐えきれなかった校舎が学院内の通りを目掛けて倒れこんできた。
轟音と共に立ち込める土煙。俺たちは間一髪助かったが、辺りは阿鼻叫喚だった。
考えたくないが、校舎の倒壊に巻き込まれた者は助からない、のだろう。瓦礫が周囲に飛び散っていて、その破片や残骸で大怪我を負ったらしい生徒たちが沢山倒れこんでいた。
悲鳴とうめき声の怨嗟が渦巻いている。
本の少し前まで、何の変哲もない毎日の一つだったのに。
恐怖にがたがたと震えて、2人が目を見開いていた。立ち上がらせこの場から避難させなければならないが、2人とも腰が抜けてしまったようで満足に立ち上がれない。
逃げ惑う人混みが四方八方に向かうから、パニックが起き始めていた。
「レ、レオナルド君。みんなを、助けなきゃ」
学院の教師であるレイさんが、震える声を絞り出しながら言う。
「今は貴女たちの安全が優先です」
冷静なふりをしてそう答える。しかし、一体どこに行けばいいというのだろうか。
轟音はもうどこからでも轟いている。市街地では火事も起こっているようで、黒い煙が立ち上っている。
倒壊した校舎は比較的新しいレンガと木造りの建物だった。石材で積み上げられた貴族棟であれば、大丈夫かもしれない。誰が、ここで爆発なんて起こしたのか、は今は考えない。
「貴族棟へ逃げましょう。ここよりも安全でしょうから」
学院に興味が無く、知識が無い自分を少し恨む。
名だたる貴族の子息が通い王族まで通うこの学園なら、緊急時のセーフルームの一つや二つあるはずだ。そうでなくとも最近身をもって体験した転移の魔道具、或いは逃走用の地下道等。考えられる避難経路は幾つもある。そしてそれがあるとすれば貴族棟だろう。
フィオナに視線を向ける。彼女はまだ茫然とした様子でいるが、俺の視線に気づくとはたと平静を取り戻す。
「貴族棟は駄目。逃げ惑う人が非難する場所だから身動きが取れなくなってしまう。それよりも今は門に向かいましょう。攻めてくるなら固めなければなりませんし、救助を待つにしても導線を確保する必要があります」
こんな時でも、俺の婚約者は冷静だった。
冷静すぎるとも思う。だが人の上に立つ宿命を背負って生まれた人は、こういうものなのかもしれなかった。
「ま、待って。皆を助けなきゃ」
もう一度、レイさんが言う。震える声と、震える足で何とか立ち上がりながら。
そっとフィオナが目を逸らせながら言う。
「……助けられないです。私には」
その拳が強く、音が出るほど強く握りしめられている。
魔法という超常的な力を使いこなせなければ、非力なその腕で瓦礫をどけて回るのが精いっぱいだろう。回復魔法も使えず医術の心得も無ければ、助け出したとしても満足な治療を施すことも出来ない。
悔しさは俺も同じだ。俺が行使できる魔法は破壊にしか転用できない。
土魔法の才能があれば、きっと違ったのだろうけれど。今はそんな事を嘆いている時間ではない。
レイさんの手を取る。
「まずは自分たちの安全を確保してから。それから出来る事をしましょう」
自分にも言い聞かせるようにそう言って、倒壊した瓦礫を迂回しながら通りを抜け、学院の門へと向かう。
道中、座り込み茫然としている生徒。亡骸に縋っている生徒。必死に瓦礫をかきわけ救助を行なおうとしている生徒。体が千切れたり、ねじ切れたりして事切れている生徒。そういうものを見た。
こんな地獄を顕現したヤツに殺意が募る。だがそれは今は押し殺す。
そういうものを目にしても、何も考えないように終始した。
この2人を守る事が俺の使命。そう自身に言い聞かせながら。
学院の正門にまで辿り着く。ここは広場の様になっていて、倒壊する建物に巻き込まれる心配がないから、逃げてきた生徒が黒山の人だかりを作っている。
彼等は、散発的になったが時折響く轟音に耳を覆い体を伏せながら、倒壊した校舎の一部を眺め、市街地の様子に目を配っている。
多くの生徒がただ呆然とするしか出来ないでいた。
そんな一団の中にフィオナの姿を見ると駆け寄ってくる集団がある。
「フィオナ様」
「よかった。みんな無事でしたのね」
その一団の中に今朝の女生徒の姿を見つける。
この騒ぎになる前に約束していた生徒たちと合流が出来たようで、フィオナも顔を綻ばせながら安否を確認し合っている。
ひとまずは安全な場所まで来ることが出来た。
ならば次を考えなくてはならない。
噂を信じる訳では無いが、これがもしもクーデターならば、この学院は格好の狙い場だ。例えばフィオナを攫えば、ミスティリーナ侯爵家の弱点を掴んだ事になる。侯爵を意のままに操る事は出来なくても行動を制限することは容易い事となる。
普段は学院の関係者しか入る事が出来ないこの場所に押し入るとしたら、今が最高のタイミングだった。
そんなまどろっこしい事をしなくても、俺が首謀者なら直接王宮へ攻め込んでいるが。
だが、最悪の事態を想定してそういう闖入者に備える必要は十分ありそうだった。
周囲に目を配る。
何も出来ずにうろたえている生徒たち。平民の生徒たちだけでなく、貴族の生徒たちの一団もある。再会を祝し話し合いを続けているフィオナ達。不安そうに俺の袖を掴みながら体を寄せているレイさん。
そして学院の外から鎧の擦れる金属音と馬蹄の音を鳴らしながらやってくる騎士団の一行。
「通してください。我々はミスティリーナ侯爵家のものです」
先頭の騎士団長らしき男がそう声を張り上げる。
メリーナ領の騎士団とはまた違う部隊のようで、見知った顔はいない。だが鎧の胸元には侯爵家の紋章が刻まれていた。
フィオナも見知った顔であるようで、侯爵家を騙った賊という線は無いようだった。
ざわりと、何か違和感が一瞬頭を過ぎる。
「姫様。まずは王都から脱出しましょう。ここはもう戦場です」
「分かりました。でも私よりもまずこの方たちを」
フィオナと騎士団長のやり取り。騎士団は非難を想定していたようで、フィオナが乗る馬車だけでなく大人数が乗れる馬車や荷台を用意していた。
そこに乗り込むのは、フィオナとその知り合いたちだけ。他の群衆や貴族の子弟には見向きもしない。彼らの一団が俺を乗せろとして詰め寄っても来たが、騎士団員によって一蹴されてしまっていた。
「さぁレオナルドも」
フィオナが手を伸ばしてくる。
その手を取ろうとして、手を握る事は出来なかった。
「なぁフィオナ。あまりにもタイミングが良すぎないか?」
何を思って俺はそんな事を口にしたのだろう。
フィオナの目が見たことも無いほど丸く大きく見開いていて、俺の言葉の真意を測りかねているようだった。
でも詰みあがった違和感が思ってしまったんだ。
今、王都でクーデターを起こすとしたら誰か。誰ならこんな騒ぎを起こす力と動機を持っているか。
この学院を抑えれば、数多くの人質を手に入れる事が出来る。
それは逆も然り。
この学院に生徒が通っている限り、人質を取られている事と変わらない。
領地を没収された貴族が恥辱に塗れながら今まで暴発してこなかったのはここに人質が居たから。人質が居なければ、座して死を待つことも無いのではないか。
王国に恨みを持つ貴族たちを纏め上げる事が出来れば。反旗を翻すなら、今が絶好のタイミングなのではないか。
そんな事がちらりと頭を過ぎってしまった。
フィオナの目から涙が伝っている。
「レ、レオナルド君! 後ろ!」
レイさんの悲鳴のような声で後ろを振り返る。
そこにはけたたましい叫び声を上げながら、グリーンドラゴンがいつの間にかいた。ダンジョンが近くに無いこんな街中でこんな怪物が現れることなどありえない出来事だった。
ドラゴンがその鋭い爪を一薙ぎする。それだけで数多の命が潰えた。
1秒判断が遅れるだけで、それだけでどうしようもなく人が死んでいく。それでももう一度フィオナの方へと向き直った。
彼女はボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
堰を切ったように、ボロボロと。涙があふれ続けていた。
初めて見る彼女の様子に、とまどいだけが募る。
もっと早くに彼女と親しくなっていれば良かった。子供のころから定められた許嫁だというのに、俺は彼女の事をほとんど知らない。
癖や、ほんの小さな表情の変化で、お互いの事が分かる関係だったら良かったのに。
それだけの時間があったはずなのに。
フィオナが何を想っているのか、俺には分からなかった。
「レオナルド君っ!」
レイさんの悲鳴のような叫び声。
ドラゴンと対峙するのか逃げるのか。もう躊躇している時間は無かった。
「ちぃっ! アレには適わんっ! 出すぞ!」
騎士団長のがなる様な叫び声。鞭が打たれて馬が嘶きながら、馬車が走り出す。
最後に大きく、縋るように、フィオナの腕が延ばされたけれど。
それを取る事は出来なかった。
走り出す馬車とは逆を向く。
ほんの少し目を背けただけで、そこは虐殺会場だった。眼を覆いたくなる程の死体の群れと血に染まった地面と色とりどりのむき出しの内臓。そういうものが沢山散らばっていた。
今も逃げ出す一人の女生徒と目が合ってしまったけれど、次の瞬間には彼女の上半身は吹き飛ばされていた。
体が前に進む。あのドラゴンを殺さなくてはならない。
1度目からまだ時間が経っていない。生憎罠など持ち合わせていない。魔力についても向上したとは言い難い。
それでも、1度目よりは幾らか上手く出来るだろう。
「我に巣食いし炎の精よ。我求めに応じその力を顕現せよ」
幸いなことにその怪物は目の前の人間を狩る事に夢中で無防備だったから、一撃目は難なく決まる。高温の炎の矢がドラゴンの逆鱗を焼き貫いた。
ドラゴンが倒れ、悶え暴れる。
前世の記憶が曖昧だから概要だけだが、炎とは、燃焼のことで、燃焼とは急激な酸化のことだ。酸素が燃えている訳では無く、酸素を糧に可燃物が化学反応を起こしている。
では燃えるものもなく、空気中でも顕在する炎とは一体何なのだろうか。
この疑問を考えると、ではなぜ何もない所から水が発現するのかとか、土や岩を自在に動かすことが出来るのは何故かと、疑問が疑問を呼ぶ。この世界では当たり前のことらしいからまともに研究を行った先達もいない。
だから俺は単に魔力にはそういう力がある。という結論でいいことにした。
思考も考察もあったものじゃないが、魔力は想像力自体で何だって出来るのだ。
故に魔法で顕在した炎は、魔力と酸素が反応して燃焼という現象を起こしているという結論に至った。
ドラゴンは、よく燃える事だろう。魔晶石という魔力の塊を内包しているのだから。それはそれは良く燃える事だろう。
八つ当たりなのは分かっていたが、俺はドラゴンを火だるまにした。自分の魔力を注ぎ込むだけでなく、ヤツの魔晶石すら使い切る勢いで魔力を注ぎ込みドラゴンを焼き尽くすことにした。
生まれてきたことを後悔させるために、慈悲も遠慮も無く。
赤い炎が黄色に、そして青白い火柱に変わりドラゴンを焼いた。ヤツはのた打ち回り何か叫び声も上げようとしたが炎が全てをかき消した。
骨どころから灰すら残さない程徹底的に、俺はドラゴンを焼き殺した。
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