第26話 戦争が始まる
王都で巻き起こった、このクーデター騒ぎはとりあえず収束した。
とりあえず、という言葉が付くのは王都で混乱を起こす事こそが目的かのようで、翌日以降王都で戦闘が起こる事は無かったからだ。
そうは言ってもこの事件は、俺たちの生活を一変させた。
死者だけで数千人。負傷者や行方不明者の数は測りきれない。倒壊した建物は多く、数多の人々が避難生活を余儀なくされ、都の城壁外に避難場所が設けられている。
国王はこの一連の事件をミスティリーナ侯爵とその一派が引き起こしたクーデターと断定。即座に報復の為に軍の整備を行う事を発表し、この国は内戦状態に突入した。
王都の夜から魔石灯の灯りが消え、夜間の外出が禁じられるようになった。夜だけでなく昼間でも憲兵が街を徘徊するようになり、不審な人物は問答無用で取り押さえられている。
当初、ミスティリーナ侯爵家が王都に貢献した功績と現当主の人柄を知る市民からは国王の発表に耳を疑うものが多かった。しかしこうして問答無用に生活が一変してしまった事と、ドラゴンを召喚し兵器として使ったという事実が、その現実を受け入れざるを得なくした。
あの日、王都で暴れたドラゴンは6匹。その内1匹は俺が討伐し、残りは王国騎士団が討伐に成功したということだった。
何故王宮を攻めなかったのか。という疑問は残るが、ドラゴンを6匹も王都に放つという行為は悪逆非道という他無かった。運よく騎士団が討伐に成功したが、失敗していれば死者数は数倍に膨れ上がり、1夜にして王都が壊滅する未来すら考えられた。
学院は、校舎の倒壊とドラゴンの襲撃で生徒の多くが亡くなった。
しばらく休校になるという事だったが、学院制度すら廃止になるのではと囁かれている。
そして貴族界隈では、踏み絵が始まっていた。
侯爵家と血縁関係があったり近しい家柄の者が本当に王家に忠誠を誓っているか試すもので、各家に無理難題が降りかかっている。瓦礫の撤去や物資の輸出入、避難民の炊き出しや医者や回復術師の手配等、緊急性が高いモノが片っ端から領地持ちの貴族家に任されていた。
金が無くても、資材が無くても、人材がなくても、各家は何とかするしかなかった。自身に向けられる疑いを払しょくする為に必死にならなければならなかった。
子爵以上の領地持ちの貴族は伝統的に貴族間での婚姻を進めてきた。歴史を紐解けば少なからず侯爵家と縁続きであり、資金難から侯爵家に頼った経験がある家が多かったのだ。
そしてその筆頭が我がロートブルク家だった。
子爵と侯爵という身分差にも関わらず、生まれた時から許嫁と定められていた家を疑わない理由が無かった。よって我が家は侯爵家との婚約を破棄し、正式にブラックウェル伯爵家との婚姻を結んだ。
それだけではまだ疑いは晴れず、王都での奉仕だけではなく、ミスティリーナ侯爵領への進軍に従事することが決まった。
家格から最低でも200名を従軍させねばならないのだが、子爵家にそんな余裕も金もなく、早速妻として迎えたレイヴィンの実家に頼る形で傭兵を雇入れ体裁を整えている格好だ。
この数週間で、俺を取り巻く状況はまるっきり変わってしまった。
1年前の俺にはまるで信じられない異常事態だろう。
「ねぇレオナルド君。少しは休まないと本当に死ぬよ」
「……そうですねレイさん。ではキリがいいところまで」
俺は今、ブラックウェル伯爵家の一室を間借りしていた。婚約者となりながらロクに挨拶にも伺わなかった男が、略式とはいえ結婚を申し込み、金を貸してくれとせがみ、更には住むところが無いからと勝手に居着いた訳だから、心証は最悪だろう。
お陰で俺は妻となったレイさんと、そのお付きの方のメイドさんと、書類仕事の秘書を買って出てくれている執事さんの3人としか会話しない生活を送っている。
レイさんに甘えっぱなしだった。
「ありがとう、レイさん。とりあえずこれで何とかなりそうだ」
「……無理しないでって言っても無理だろうけれど、私は何でも協力するからちゃんと言ってね」
「えぇ有難うございます。本当に助かってますよ」
こういう状況になり、レイさんに結婚を申し込んでから、彼女はずっと寂し気な雰囲気を纏っている。何か言いたげで、でも言葉に出来ず静かに遠巻きにしている。
彼女とちゃんと話す時間が必要だった。
けれどそういう事が分かっていながら、俺はただ彼女を利用するだけにしている。
子爵領まで最短で1週間かかる。何か事が起きれば平気で2週間かかる。いちいち実家にお伺いを立てている時間は無かった。
王家に睨まれ他の貴族家から輸入を止められると、子爵領はあっという間に干上がってしまう。そうならないようにするには、俺が王家に忠誠を誓っている事をアピールしなくてはならなかった。
彼女の気持ちを考えず結婚を申し込んだのも、まともな夫婦生活を送っていないのも、ただ彼女と彼女の家を利用するため。人でなしであることは分かっている。
泣き言が許されるのなら。一番成りたくないものになってしまった。
だが今の俺の状況は、そういう泣き言を許さない。
「ってい!」
そんな掛け声と共に、レイさんが俺に飛びかかり抱き着いてきた。
「うわ、ちょ、危ない! いきなりどうしたんですか」
「そんな深刻な顔をしているからだよ。生意気だぞ後輩」
「いやいや。こっちは200人の命を預かっているんですよ。ちょっとのミスや手配漏れが彼等を殺すんです」
「その為に君が死んだら元も子もないって言ってるの」
「そんな大げさな……」
「大げさでも何でもないよ。人間ってね、寝ないで仕事しているとマジで死ぬの。本人は頭がとち狂ってるから平気だと思い込んでるけど、顔に黒い影が差すようになってね、目に光がなくなって、乾いた笑いか無表情でいるの。 君は今、そんな顔してる」
「…………」
抱きしめられた腕に、強く力が込められている。
慣れない事をしている自覚はあった。随分と心配をかけていたらしい。
「分かりました。じゃあ今日はもうこれで寝る事にしますよ」
「ダメ」
「言ってることが矛盾してますよ」
「そんな死にそうな顔で寝て、本当に死んだらどうするの。私が隣で貴方を繋ぎ留めてあげる。一緒に寝よう」
「……疲れを自覚したらものすごく疲労が……」
「あー違う違う。そういうやつじゃない。突然君が結婚を申し込んできて、でもずっとないがしろにされて正直凄いもやもやしてるけど、君の事情は分かってるから。だから襲ったりなんてしない。これは性愛じゃなくて情愛的なやつ。君の傍に居てあげたいだけ。下心はちょっとしかない」
「下心があるんじゃないですか」
「そりゃ年頃の女だもの。あるよ。 でも本当に抱きしめて隣に居てあげたいだけ。人肌はあったかいよ。安心して眠れたら悪夢なんて見ない」
そこまで言われてしまうと、断れる口実が無かった。
今、俺の現状はこの人なしには成り立たない。あまり、不興を買い続ける訳にはいかなかった。
ベッドに2人、並びながら横たわっている。
体を横たえると急激に全身が重くなった。確かに疲れは溜まっていた様だ。
けれども全く眠くなる気配が無い。頭だけが妙に冴えている。
気が付いてみればこうして伯爵家のベッドに入るのは初めての事だった。仮眠はソファかあるいは机でつぷして取っていた。野宿が慣れてしまった人間だから、返って高級なベッドの方が寝苦しく感じるのかもしれなかった。
寝そべっていた彼女が意を決した様子で、衣擦れの音を立てながら俺を抱きしめてくる。
彼女の体温は熱くて、その肉体の感触が柔らかくて余りにも艶めかしい。湿った吐息がすぐそばにあり、無防備な瞳が俺に向けられている。
普通なら、理性が崩壊してもおかしくない状況なのかもしれなかった。普通なら。
曲がりなりにも自分の妻として求めた相手なのに、お互いが求め合う事なんかなく、ただじっとそこに在った。
気まずいようで気まずくない、沈黙の時間が過ぎる。
「疲れてるのに寝付けない時はさ、脳が覚醒状態を続けているからだそうだよ。だから無駄話でもして脳をゆるゆるにしようか」
「……いつも思うんですけど、それってどこ情報です?」
「まぁいいじゃない細かい事は。政略結婚とはいえ夫婦になったのだから、そんなコミュニケーションをしても誰も咎めないよ」
「すみませ――――」
「謝るのはダメだよ。君が家の為に私を選んでくれたことは分かっているけれど、それを受けた私の意志は私だけのもの。それを簡単に踏みにじらないで欲しいかな」
「……レイさんって時々アホな人なのかなって思いますけど、かっこいいですよね」
「そういう軽口が出てくるのはいい傾向だね。さぁ、生産性の無い会話を続けて脳を緩めよう」
そう言って彼女が強く抱きしめてくる。
「……少し苦しいですよ」
「少しくらいいいじゃないか。ハグはストレスを軽減させるのだから、かわいい妻の頑張りを受け入れるのが夫の度量だよ」
「かわいい妻って自分で言いますか」
「旦那様が言ってくれないからね。おっと、プレッシャーをかけるつもりはないよ。私がそうしたいからそうしているだけだから。君はただ大人しく抱き枕にされているといい」
「それもどうかと思いますけどね」
気返事でそんな事を答える。
先ほどまでは気付かなかったけれど、レイさんから甘いバラのような匂いがする。ずっと嗅いでいたくなるような脳に直接届くような甘い香り。それから微かな魔力の流れも。
魔道具にはあまりにも沢山の種類があるから、俺が知らないだけで、人を眠りに付かせる魔道具があるのかもしれなかった。
「レイさんは、どうしてここまでしてくれるんです?」
そんな事を聞くつもりは無かったのに、なぜだか頭の思考が鈍く、聞いてもしょうがない事を聞いていた。俺はもう彼女を利用するしか術がない。だから恨まれるのだって覚悟で、婚姻を決めた筈だったのに。
「君は本当に優しいね。そして嘘が付けないんだ。そんな事にまだ縛られてるんだね。私は君の、夫の為に力になりたいだけだよ。…………信じられない?」
「メリットが、ないですから」
「そう来たか。メリットと来たか。うーん、惚れた弱み、かな。なんか勘違いしているかもだから一応言っておくけど、私は君の事好きだからね。そして君を私にドロッドロに溺れさせたいなって思ってる」
「ははっ、何ですかそれ。何か怖いですよ」
「おっ、やっと笑ったね。やっぱり君は笑っている方が素敵だよ」
魔道具の効果か、頭がぼうっとする。睡魔ではないのだが、体から意識が離れていくような、浮ついた感じがしている。
彼女の手が俺の体を這って、服が脱がされる。
ドロリと彼女の掌には温かい粘液のようなものが湛えられていて、剥き出しになった俺の体に彼女が触れて前進を触られていく。
「ちょっと、何やってるんです」
「大丈夫大丈夫。これは大丈夫なやつ。ただの魔法の触媒だよ」
いつの間にか彼女の体が俺の体の上にあって、布切れの一枚も介すことなく肌と肌とが重ねられている。彼女の顔が近づいてきて、彼女の唇が俺の首筋に宛がわれて小さな跡を残した。ぞくりと体の奥に緊張が走る。
「私もね。水魔法の使い手なんだ。でもレオナルド君とは違って、戦闘には向いてないんだけど。他人との魔力の循環には長けているんだ。魔力の発現の補助が出来たり、ちょっとした医療行為が出来たりするつまらない能力だけど、相性がいい人と行うととっても気持ちいいの」
彼女の熱い体温が伝わると共に彼女の魔力が体に流し込まれていく。自分のものではない異物。でも決して相容れないものではなく、水色の温かいそれは俺の体に馴染んでいく。そして俺からも魔力が彼女に流し込まれていく。時々苦悶の声を上げるものの、彼女がそれを心地よく感じていることが感覚的に理解できる。
息も絶え絶えで、上気させながら、彼女がはにかんだ笑顔を向けてくる。
「ね。いいでしょ。肌と肌が合わさっているだけでも心地いいのに。魔力の循環まで行うと蕩けそうでしょ。今日はこうしててあげるから、君はただこの心地よさに身を任せて。大丈夫。怖い事なんて何もないよ」
彼女のそんな囁く声すら心地よく感じられて、あれほど冴えていた頭が随分と鈍くて、意識が解けていく。
「そして私の事を大好きになって」
消えゆく意識が、最後にそんな言葉を聞いた気がした。
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