第9話 許嫁たちと避暑地へ
レグゾールとディリアス、普段からよく行動を共にしている2人の説得は思った以上に簡単だった。むしろ彼らは驚くほどに乗り気だった。
単に魔物を狩った事があるのではなく、侯爵閣下の公認の下魔物を狩った事がある。という実績は、箔を付けるのに申し分がない。貴族世界はつくづくコネクションの世界だと辟易もするが、俺にとっては有難い展開だった。それに、避暑地のラリーサ領では、仮面舞踏会が催される。学院ではどうしても肩身の狭い彼等には、手放しで楽しめる数少ない機会でもあるのだろう。
友人の誘いだから乗ってくれたと思えない所が、俺のひねくれさを表しているなと思う。
友人の説得が完了し、侯爵閣下からのお許しを得、そしてダンジョン探索の為の準備を進めると、あっという間に学期末になり夏季休暇を迎えた。
そして現在、ラリーサ領ミスティリーナ侯爵の別荘でご厄介になっている。
「おはようございます、レオ様」
「……えぇおはようございますフィオナ様」
「今日も朝からレオ様と過ごせるなんて夢のようですわ」
「……ははは、えぇそれは良かったです」
結論から言えば俺は貴族という存在を、フィオナ・フォン・ミスティリーナという人物をなめていた。ダンジョン探索権を得られるなら安いものと思っていた、パーティーへの参加の約束だが、それは王太后陛下が催されるものだった。彼女の私的な友人たちが招待されるというパーティーだが、裏を返せば彼女に気に入られた人間しか参加できない、招待状にはプレミアが付くパーティーだった。
お陰でラリーサ領についてからの3日間。俺は缶詰状態で儀礼やマナー、ダンスといった社交に必要な要素を叩きこまれていた。開催日まではまだ時間があるが、今まで学んで来なかった分、付け焼刃の一夜漬けが続いている。
ちなみに、イルティナ達3名は別荘の別館で滞在しており、目的を忘れ夏季休暇を満喫している。彼女たちはパーティーに招待されるような事は無かったから、昨日会った時は早速街に遊びに行っていた事を心底楽しそうに話していた。
こんな筈ではなかった。という叫びが喉元迄出かかっているが、王族から不興を買って、家が取り潰される事態だけは避けたい。
「それではレオ様。朝食も済みましたし、今日の予定をご連絡しますね。午前中は、衣装合わせです。装飾前の衣装が出来上がったので一度着てみて頂き、細かいデザインを調整いたしますね。その際なんですが、私のドレスとも並べさせて頂きますね」
「……えぇはい、わかりました」
「午後からはダンスのお稽古の続きです。レオ様は呑み込みが早いですからびっくりします。もうちょっとですから一緒に頑張りましょうね」
「……えぇはい、わかりました」
「…………やっぱり怒っていらっしゃいますか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。 約束は約束、ですから」
王太后陛下のパーティーである、と知ったのがメリーナ領についた初日の事。衣装は用意するし、私的なパーティーだからダンスも最低限ステップを踏めれば問題無いとフィオナ様は仰ったが、鵜呑みにしては絶対にいけない。
俺たちの感覚からすると、王太后陛下の前で絶対に粗相は許されない。仮にそのパーティーの場では許されたとしてもその噂が貴族社会に広がり、俺が離れた後の事を考えると家への被害がでかすぎる。侯爵家からの後ろ盾もない貧乏子爵家など容易く貪られる事だろう。食う場所もないほどに貧乏という思いも湧くが、ここで何も努力をしない理由にはならない。
だからこうして社交術を学んでいるのは俺がお願いしての事だった。俺が願い出た時点ですぐに準備を進めてくれるあたり、フィオナ様の掌の上である感もやはり否めないのだが、現状やる、以外に選択肢が無い。
目の前の美しい女性は、やはり貴族世界で生きる人なのだと改めて強く思わされる。
「でも辛そう、ですよレオ様。 陛下は不作法を気にされる方ではありませんから――」
「そんな訳にはいかないんです。 いえ、すみません。色々とお願いしている立場なのに気を使わせて申し訳ないです」
「…………レオ様の事をようやく少し分かってきたのですが、レオ様は意外と溜め込む性格ですよね」
「そんなことないですよ」
「そんなことあります。 今だって、何でこんな事やらなくちゃいけないんだって内に抱えておられますよね?」
フィオナ様の言葉に怒りよりも羞恥心が湧いたのは、おそらくそれが図星だったからなのだろう。
彼女と目が合うと、やっとこっちを見たと言わんばかりに少し困ったような笑みを浮かべている。
「私もレオ様と一緒に居られて浮かれ過ぎていたようです。 しばらく予定は全部取止めてイルティナさん達と合流することにしましょう。知っていました? 彼女たち今日はダンジョン近くの森で哨戒活動を行なうそうですよ」
「いやしかし」
「いやも、しかしも、なしですよ。 衣装は職人に丸投げで問題ありません、ダンスも数日練習をしなかったからと言ってどうって事ありません。 そんな事よりレオ様が笑顔になってくださる方が何倍も大切です。 さぁそうと決まったらすぐに支度をしましょう」
そしてダイニングを追い出されてしまう。
釈然としない思いもあったが、これでやっと冒険者として行動が出来る、なんて思いも湧いている。随分と現金なものだった。
しかし心持は軽い。やはり俺は貴族社会では生きていけない人間らしい。
森での哨戒活動。これは平時における騎士の基本任務の一つとなる。今回侯爵からダンジョンの探索許可を頂いたが、正確には騎士団に随行し研修を行うという内容だった。俺としては実入りのいいダンジョン探索をメインにしたかったのだが、レグゾールとディリアスといった新人がいるため、妥当とも考えている。
土地ごとに違うが、ダンジョン周辺は森が生い茂っている事が多い。これは単に未開の地にしかダンジョンが残っていないという事でもあるが、ダンジョンから離れた場所にしか集落を作ることが出来ないという意味でもある。
魔素と呼ばれる、魔力の根源みたいなものが澱みやすい場所にダンジョンが作られ、ダンジョンから魔物が生み出される。この魔物にはざっくり2つの種類がある。
ひとつが、魔造型、と呼ばれるもの。スライムやゴーレムといった、本来自然界には存在し得ない魔素の力で動き出した生物を指す。こいつらは基本的にダンジョン内に存在し、極まれにダンジョンの外に這い出して来る。魔素から生み出されただけあって、強い魔石を持つ事がほとんどで冒険者が好んで狩る魔物たちだ。
もうひとつが、魔獣型、と呼ばれるもの。オオカミや熊、あるいは野生化した家畜が魔素の影響を受け魔物となったとされている。この魔物はダンジョンだけではなく、ダンジョンの外にまで徘徊し場合によっては人里を襲う。危険な個体には懸賞金がかけられ、冒険者に討伐依頼が下るのはこのタイプの魔物だ。
スケルトンやドラゴン、といった分類が難しいものや、魔造型と魔獣型の両方の特性を持つものも存在し細かな分類は限りが無いが、ざっくり分けるとこの2つとなる。
そしてこの魔物の特性が騎士と冒険者の溝が深くし、冒険者という職が見下される理由の一つにもなっていた。
騎士は戦争に参加する義務の他、平時は領内の治安維持と税の徴収を任務とする。故に人里を積極的に襲う魔獣型が彼らのターゲットになる。市民にとっても魔物と言えばこのタイプを指す。
対して、効率良く稼ぐために冒険者は魔造型の魔物をターゲットにする。
実入りが少ないが実質的な脅威を狩る騎士と、実入りを優先する冒険者。幾ら身分と誇りがあっても騎士が冒険者を蔑んでも仕方のない土壌がこの辺りにある。また市民も自分たちの脅威を見逃し森の奥の魔物を狩る冒険者にいい感情を抱くはずがない。冒険者が手に入れる魔石が必需品であり生活を豊かにするものだとしても、その恩恵を受けるのが都市部の人間に限られており、辺境に住む者にとっては実質的な脅威との戦いがどうしても喫緊の問題となる。
こんな事でも冒険者という職業が蔑視される理由が分かる。
森での哨戒活動は、魔物に人間の縄張りを主張する行為と言える。
森の入り口に住む様な魔物は人間が森に入ると力の差を感じ取って森の奥へと逃げ込んでしまう。そうすると森の勢力図に一石を投じる形となる。大抵は魔物同士の小規模な争いに終始するが、時々異物の根源である人間を狙ってくる魔物も存在する。それを狩る。
森で野営を張り、様々な痕跡からどんなタイプの魔物が襲い掛かってくるかを算出し、野営地で待ち構える。積極的に狩りに行くこともあるが、騎士団の魔物の狩り方としてはこれがスタンダートなやり方である。
この時、騎士としての武力よりも、どの程度まで森に踏み入るのか、痕跡を見落とすことなく見定めるか、といったレンジャー(専門家)の能力が特に重要な要素となるのだが、侯爵家の騎士団ははっきり言ってレベルが低かった。
半日をかけて哨戒を終え、開けた場所に野営地を作ったのだが、これをピクニックか何かだと勘違いしているのか早速酒盛りを始めている始末だ。
「なぁイルティナ。どう思う?」
「どうだろうね。私も本職じゃないから何とも言えないけど、ちょっと緩すぎる、かな」
「だよなぁ。少し不味いよな」
酒を飲むこと、森で騒ぐこと、火をくべる事。これが悪いわけではない。森に人間の痕跡を残す事が哨戒任務の肝であるからむしろ推奨されるべきことなのだが、それはおびき出す敵が決まっている場合だ。
音に敏感な魔物、匂いに敏感な魔物。単に魔物のヘイトを集めるのが目的なのか、痕跡を作る事で相手の動きを誘導するのが目的なのか。そういうものが定まって初めて効果があるのだが、今の彼らはただ騒いでいるだけのようにしか見えない。
どんな魔物が襲い掛かってきても返り討ちに出来るだけの練度と強さがあるようにも見えない。
「おぅ。レオじゃねーか。魔物狩りって楽しいんだなぁおい」
「改めて礼を言うぜ。こんな楽な仕事ですげー実績が手に入るんだ。マジで有難いわ」
レグゾールとディリアス。騎士団の面々から酒を振舞われたらしく、顔を赤く染め陽気な様子で彼等は話しかけてくる。
「あんまり羽目を外し過ぎるなよ。緊張感が無さすぎだ」
「へいへい。本当に真面目だよなぁレオは。 先輩方が居るんだから大丈夫だって」
「イルティナちゃんもさ、お酒飲もうよ。楽しいよ」
「あはは、私はいいかな。遠慮しとく」
俺達は固辞したが、騎士団の面々から振舞われたら彼らの立場では断る事は出来ないだろう。前後不覚になるまで飲む様な事は騎士も彼等もしないだろうが、少し不安を覚える。
義理は果たしたと言わんばかりに、2人が騎士団の面々の中に戻っていく。
「何というか、すまないな」
「ん? レオが謝る事じゃないでしょ。 まぁ私もどうかと思うけどさ、このやり方でこの土地の治安は守られてきたんだから、とりあえずは受け入れようよ」
「そう楽観的に考えられればいいんだけどさ。案内人の人と少し話してくるよ」
「行ってらっしゃい。あんまり根を詰めないでね」
案内人、というのは騎士団が雇ったこの森を拠点にする狩人の男だ。居着きのレンジャーを抱えているものと思っていたのだが、この騎士団では専属を置かず、こうして土地の人を雇うのが慣例のようだ。
「お疲れ様です。 すみません、いろいろと教えていただいてもよろしいですか?」
彼にとっては、こんな若造でも貴族の子弟。騎士団の面々にも強く主張が出来ない彼は、俺に対しても歯切れの悪い回答に終始するのだった。
本人も風紀が緩いという認識があるものの、立場上強くは言えないという事。長年この任務に従事しているが対処出来ない魔物に出会した事が無い。という事だけは聞き出す事が出来た。
だから、俺の杞憂なのだろう。
数だけは確かに揃っている。多少羽目を外したところで彼等だって騎士に任じられる実力者達なのだ。
だが、悪い予感は拭えない。
子爵領は荒野が広がるだけの不毛な土地だった。
各村々に魔物除けの魔道具を設置する事が出来るような財政では無かったから、市民が自衛の為に武装をする必要があるような土地だった。
領主の仕事は税を取ることでも領地を発展させることでもなく、いかに人を減らさないか、が仕事だった。
お陰で祖父も父も叔父たちも、皆いつも領地の巡回をしていた。それに付き従っていた俺も、馬を駆り、野営を繰り返し、見様見真似で剣を振るう生活が日常だった。
荒野の土地は見晴らしが良い分、突然沸く魔物にいつも神経を擦り減らされる。木々の揺れ、轍や獣道、フンの位置や形、足跡といった縄張りにしている分かりやすいサイン。そういった類の物がほとんどない。
荒野には他に獲物なんて居ないから、人間が獲物だった。だから奴らはありとあらゆる手段を駆使して人を襲う。
何時だって何処だって戦場。気が抜ける瞬間なんてある訳が無かった。
比較対象がそんな場所だから、過敏になっているだけなのだろう。或いは嫉妬があるのかもしれなかった。
自分がいかに貧しく、厳しい人生を生きてきたか、まざまざと見せられているような気分だ。
万が一が有っては絶対にならない姫君を、現場の責任者の判断だけで連れて来れるくらい、ここは安全な場所なのだ。
俺だけの感覚に頼ってもいけない。
「やっと解放されましたわ、レオ様」
「えぇお疲れ様です」
騎士団の面々が浮かれているのは、普段は領地に来ないフィオナ様が直々に現場を視察しているからでもあるのだろう。団員全員が挨拶に訪れ握手を求める様は、前世のちょっとしたアイドルイベントのようだった。
「……まだレオ様は怖い顔をされたままですね。息抜き、にはなりませんでしたか?」
「いえいえ、そんな事は無いですよ」
「でも皆様と交流もされていない様ですし……」
「まぁまだ初日ですから」
「……えぇそうですね」
騎士団での研修に俺がどれだけ参加出来るかは分からないが、とりあえず一泊し明日は屋敷に戻る事が決まっていた。騎士たちが哨戒を続け安全を確保した後、ダンジョンにも潜らせてもらう事になる。
まどろっこしい。そんな感情が浮かぶのは少し苛立っているからだろう。
「そうだ。ねぇイルティナさん。少しお話しませんか?」
「え、え? 私ですか?」
「えぇ貴女です。 ずっとお話してみたかったんです。天幕も同じですし、ね、行きましょう」
そしてイルティナが連行されていく。
俺自身も夜警の時間が来るまで、仮眠を取る事にした。
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