第10話 突然のドラゴン

 そして翌日。

 夜警でも何も問題無く、周辺に魔物の気配もなく、引き揚げる組と、野営地に残る組に分かれて行動しようとした時だった。


 グォオオオオオオオオオオオオ!


 思わず耳を塞いでしまう程の轟音が響いた。

 そして音の鳴る方を見ると、巨大な影が木々を薙ぎ倒しながら怪物が野営地へとやって来た。

 それはここにいるはずのない存在だった。

 身の丈は6m近くもあり、全身を分厚い緑の鱗に覆われ、鋭い牙と爪を有し、飛べないにも関わらず立派な双翼を持ち、意思の疎通がかなわない無慈悲な瞳をこちらに向けてくる。怪物はドラゴンだった。

 俗にグリーンドラゴンと呼ばれる品種。空も飛べず炎も吐く事も無いが、驚異的なスピードを誇る。ドラゴンという括りの中では驚異度は落ち、劣等種とされるが、コイツが出現すると町の一つや二つは一日で消し飛ぶ。


 逃げろ! という怒号と隊列を組め! という怒鳴り声。悲鳴も上がっているし、この一瞬で騎士団は恐慌状態に陥った。だがまぁ騎士団の練度不足云々を嘆くような相手じゃ無い。どんな組織でも突然コイツと遭遇すれば壊滅するのは自明の理だ。

 そう言う意味では事前の情報収集を怠った事を嘆く。この怪物の目撃情報が無かったとしても、最近の森の様子や仕留めた獲物の種類やその位置など、集められる情報を集めきっていたならば、こいつの存在に気付く事が出来たかもしれない。哨戒を行っていた連中は何をやっていたんだという怒りも湧く。

 だがまぁそれは、たらればだ。

 怪物が振りかぶった右腕が振り落とされれば、何人もの命が無慈悲に消し飛ぶ。

 出し惜しみは無しだ。


 振り下ろされるドラゴンの右腕に爆音が轟く。その衝撃で狙いが狂い、ドラゴンの腕は逃げ惑う騎士の頭上を掠めていった。間髪入れずに今度はドラゴンの目や耳を狙って爆音を轟かせる。


 魔法は便利だ。俺には水と炎の適正しかないが、工夫を凝らせば十分に応用が利く。前世の記憶だよりだが、水は分解すれば、爆鳴気とやらに変化する。理屈を理解できておらず不完全な力でも、目くらましくらいにはなる。

 

 古には、千や万を相手にする魔法使いが居たらしいが、今では10人を相手にすることが出来れば一流とされている。俺にはそんな力すらないが、怪物とやり合うにはどんな些細な力も使い切らなくてはならない。

 魔法も剣も、魔物を狩ってきた些細な経験も、自分のすべてを使って相手に向かわなくてはならない。

 

「イルティナ。フィオナ様と2人を連れて逃げろ」

「何言ってんの。 私も戦う」

「ドラゴンにそんな剣が刺さる訳ないだろ。 3人を頼む」

「っ! わかった。死んじゃダメだよ!」


 恐慌状態の騎士団にまで指示する気力は回らない。友人たちの安否がせいぜいだ。

 耳元で爆音が轟き、のた打ち回っていたドラゴンがようやくこっちを見る。ようやくこの怪物に、俺が敵であると認識させた。

 血が滾る。同時に脳が冷たく冷静になっていく。

 

 一番最初に狩った魔物は狼の魔物だった。襲い掛かってくる狼に布を幾重にも巻き付けた左腕をわざと噛ませ、空いた右腕で剣を何度も狼に差し入れた。

 返り血で血だらけになりながら、動かなくなってからも何度も突き殺した。それが一番最初。死を覚悟した冷たい感触と止まない動悸と返り血の温かさ。あの瞬間は命を奪った重みと命を生き永らえさせた歓喜があった。

 そんな強烈な体験はその1度だけ。2度目からはただの作業になった。魔物をなめた事は一度も無いが、魔物は殺せるという経験は、相手を過大評価させることを無くした。

 

 だがこいつは違う。目の前にして強く思い知らされる生物として格の違い。

 強者と相対して血が湧くと同時に、背筋が凍る怖気も同時に走る。歓喜なのか恐怖なのか、感情がオーバーフローして変に冷静になる。

 冷静になった頭は一つの感謝を思う。こんな怪物に相見える好機は人生に幾度あるのだろう。

 どうしてこんな所にいるのか、何故騎士団はこいつに気付けなかったのか。疑問ノイズは色々湧くがそれは無視する。

 昔の事や余計な事を考えられる位に脳はクリアで、やけに世界はゆっくりと動く。

 これが走馬灯というヤツなのだろうか。もっとも、そんな簡単にこの一瞬を無駄にはしない。

 勝ち筋はない。こんな怪物に正面切って戦う等愚の骨頂。しかし体は前のめりに進む。


 規格外の怪物、とはいえドラゴンは純粋な魔造型の魔物じゃない。あり得ない程強大な生き物だが、生物の仕組みに沿って動く動物だ。爪を振るうとき、噛みつきを行うとき、尻尾を振り回すとき、全て生物として当然の予備動作がある。どこに体重がかかりどう関節を始動させるか、そういう細かい動きを満遍なく追えば避ける事はさほど難しくない。読み違え、判断を一瞬間違えば間違いなく命を屠られるが、読み違えず、判断を間違わない限りは問題ない。

 相手がその動きを勘定に入れて、フェイントやフェイクを交えてくると厄介だが、まだそんな気配はない。

 むしろ問題はどうにも攻撃が通らない事だった。鱗が分厚い金属質で、肉もみっちりと詰まった筋肉の塊でまるで剣が通らず、試しに剣で相手の関節を狙ってみたが、関節を折る前に金属剣が折れてしまった。

 素手でどうにか出来る相手でもない。これだけ強大な相手になるとリーチが違い過ぎるから距離を取って戦う方が不利なのだが、意を決して相手を距離を取る。

 大きく息を吸い込み、右手を怪物に向ける。

 

「圧縮されし水よ、敵を屠れ!」

 

 短章の詠唱を行い、水弾を放つが、流石は魔力で顕現した怪物。魔力感知は並外れているようで、魔力の高まりを感じた瞬間に回避行動を取り、強大な魔力を込めた水弾は木々を背後の薙ぎ払っただけで無駄打ちに終わる。

 詠唱を行なえば、魔力の強化を図り安定性も増すが、やはり止まった的にしか当たらない。長章の詠唱などもっての他だ。回避行動を取る位だから当てればダメージは与えられるのだろうが、相手に取り付きながら使えるほどの曲芸は出来ない。

 相手の尻尾の振り回しを紙一重で交わしながら、再度試してみる。


「圧縮されし水よ!」

 

 短章の詠唱を行い、今度は両手の指先から水弾を放つ。まともな威力を持ったのは7発程。狙いも満足に付けられない数と速度重視の魔法だが、逆に相手の混乱は誘えたようだ。

 7発の内3発が相手を掠める。1発が相手の左腕を貫く。そして本命の1発は相手の頭部に直撃するが、その1点に魔力を集中させたようで受け流されてしまった。

 左腕は貫いたとはいえ、小さい穴だ。奴にすればかすり傷みたいなものだろう。

 散弾の様に放つこの魔法は、雑魚相手や目くらましには使えるが、ドラゴン相手にはやはり力不足。魔力の消費も半端なく、多用するのは現実的ではない。

 何より魔力操作で、頭部の防御力を高める事が出来るというのが厄介だ。よほど相手をかく乱させなければ、まともなダメージは与えられないということだ。

 重たい鱗、頑強な筋肉。魔力というブースターがなければ維持できないであろう歪な体。体力切れを狙って長期戦も一瞬視野に入れるが、すぐに頭を振って叩きだす。魔力の塊であるあの生物に、体力切れ等は期待する方がおかしい。

 逆に長期戦になれば不利なのはこちらだ。今は余裕をもって相手の攻撃を捌けているが、いつまで持つかは分からない。今は興奮状態でリミッターが外れて動けているが、こんな緊張感での戦いは初めてだから、いつ限界が来てもおかしくはない。

 

 つまり現状では、手詰まり。

 普通に考えれば、ドラゴンはその首元の逆鱗が分かりやすい弱点だ。だが前腕の範囲内であり、最も噛みつきやすい位置でもある。つまりもっとも危険な場所でもある。

 まともな武器もなく、一撃で仕留められる保証もない以上、それは最後の手段だ。


 こちらの攻撃に危機感をようやく覚えてくれたのか、ドラゴンが今までにない行動を取る。大きく息を吸い込んでのぞけった。

 それを警戒して動きを止めてしまったことを後悔する。

 ドラゴンが大きく咆哮をかましてきた。

 それは音の暴力だった。耳をつんざき、大地を振るわせるほどの轟音は耳をふさいだって鼓膜を破り三半規管がやられる。

 前後不覚になりたたらを踏んだ瞬間を怪物は見逃さない。

 右腕の爪が俺の命を屠ろうと振るわれる。

 体の制御が効かない中、相手の攻撃に自分の右掌底を上から食らわせ、その反動と跳躍で無理矢理攻撃を交わした。そんなアクロバットを成功させたが、それまでだ。

 逃げ場のない空中で、怪物がその牙をむき出しにし俺を食いちぎろうとする。


 死を、明確に意識する。

 これは駄目だな、そんな諦観が頭を占める。


 相手の鋭い牙が足を捉える瞬間、無意識で魔法を行使していた。

 出鱈目に足の裏から高威力の水弾が放たれ、自分の体を吹き飛ばす。意図しない行動だったため、受け身も取れず地面に体を強く打ち付けてしまう。だが五体満足だ。


「死地で覚醒なんて、眉唾だと思っていた……」


 話にしか聞かないような事が自分の身にも起こった。


「怪我の功名だが、絶体絶命だな」


 死の諦観か、戦いの高揚に中てられたか、思いがけずベラベラと口が回る。

 脳みそはまだ半分くらいはマトモなようだが、精神的な怠さと肉体的な疲労が大きい。まともに動けるのは後数分といったところだろうか。

 こくりと唾を飲み込み喉が鳴る。

 本当の意味で土壇場がやってきた。

 

 しかし不思議な事に怪物は俺に追い討ちをかけるのではなく、その場でうずくまっていた。

 不審に思うが、答えは他愛の無いものだった。

 少し拍子抜けすらする。

 仕留めたと確信した瞬間に、想定外の反撃を喰らった。苦し紛れの水弾だが、至近距離で神経が詰まっているであろう鼻先にぶち込まれた訳だ。その現実が怪物に混乱を与え、目を回し意識を失っていたのだ。

 戦いの、熱がすっと冷えていく。

 怪物だと思っていた相手は、殊の外ただの生き物であるようだ。それも、か弱く幼い個体のようだ。

 図体のデカさに引っ張られ見誤っていたが、コイツには俺が与えた以外の傷が無い。幾らドラゴンが強靭な生き物だとしても、全く無傷で成長する事なんて考えられない。どんな生き物も傷という失敗の経験を得て成長する。肉食の生き物ならば、相手が狩れる生き物なのか、どうすれば効率良く狩ることが出来るかを、そういった経験から学ぶ。

 だがこいつにはそれが無い。

 自分の強さを確かめようとして手酷くやられたしまった訳だ。

 こんな時、生き物には2つの選択肢しか無い。尻尾を巻いて逃げ出すか、蛮勇と知りながら立ち向かうか。しかしコイツはそのどちらも出来ずただ伸びている。

 圧倒的な経験不足。

 図体はでかいがそれだけの、幼い個体なのだろう。ひどく違和感が募るが、大きく外してもいないだろう。

 ただもうコイツは戦い用の無い怪物から、危険な生き物へと格下げした。生き物なら、殺し用は幾らもある。もっともそんな事で油断する事は無い。手負の獣が一番危ない事は身に染みて理解している。


「我に巣食いし炎の精よ、我求めに応じその力を顕現せよ。幾層にも重なりし炎によって彼の敵を穿て」


 小声で簡易詠唱を行う。俺は水と炎に適性を持つのだが、炎の方が相性が良い。相性が良すぎて制約も多いのだが、極少の魔力で最大の威力が期待できる。

 左手から放たれた炎は収束し、光の矢となってドラゴンの逆鱗を焼き貫く。


 断末魔の叫びが響き、怪物が痙攣を繰り返し始める。


 おそらくこのまま放置してもドラゴンは死ぬのだろうが、完全にトドメを指すことにする。

 相手に近づくと、無意識に放った水弾はドラゴンの牙を幾本も折っていたらしい。手頃な牙を拾い、気配を殺してドラゴンの傍へと寄る。

 水弾で鼻はひしゃげ血をまき散らしている。眼もまともに機能している様子はなく、魔力も放たなければヤツに感知する術はない。喉元は焼け焦げ穴が開いていて、空気と血が漏れ出ている。

 虫の息の怪物。だがまだ死んでいない。ドラゴンの牙でも余程の力が無ければ体には食い込まない。心臓を貫くのは諦め、柔らかそうな眼球に狙いを絞る。

 ドラゴンの眼は高価に買い取ってくれるらしい。一つを無駄にする事は多少躊躇われたが、さっさと葬ってやった方が情けだろう。

 拾ったドラゴンの牙を力強く振り下ろし眼球に突き刺す。何度も何度も突き刺して、眼底の頭蓋骨を突き破り、脳幹を滅多刺しにして、そしてドラゴンの息の根を止めた。

 

 体は重く、気を抜くと意識が途切れそうになる。けれど、どうしてもそれが見たくて体は動く。

 ドラゴンの魔力を探りその源である心臓を抉り出すために、鱗の一つ一つを剥がし、牙を何度も胸に突き立てる。

 数時間にも数日にも及んだかのような長い長い作業の後、ついに竜の心臓に辿り着いた。小さな子供程もある巨大な心臓を裂き、そこから魔晶石を取り出した。

 

 掲げて陽に翳すと、白みがかった半透明な石のはずなのに、青や黄色、赤といった眩い光の影を落としていた。

 ずっと昔に祖父に見せてもらったものと同じもの。

 

 その美しさを見届けた後、ドラゴンの亡骸の傍らで睡魔に身を任せることにした。

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