第8話 許嫁への直談判

 学院の歴史は古く、当初は貴族の子女のみを受け入れていたが、広く人材を募るために騎士や商人、そして平民達にも開放し、その度に校舎を改築増築していった経緯がある。お陰で3年間通っても全く立寄らない場所が幾つもある。俺にとって貴族棟がそうなるだった。

 貴族棟という名前も別称、正式な名前は他にある。学院開校時に建てられた由緒ある建物で、石造りの荘厳な建造物だ。施設の外からでもその見事さは伝わる。歴代の王族もここで学んだ訳で、そんな歴史を感じながら貴族の子女たちが学んでいる。

 だが堅苦しさの塊のような場所でもあり、俺は苦手だった。

 そんな校舎に部外者が訪れる事はない。フィオナ様と連絡を取ろうにも手段が無く、手紙等を使って約束を取り付けるのもあまりにもまどろっこしく、ここにやって来たのだが早くも少し後悔する。

 

 授業終了の鐘が鳴る。

 数分もすればぞろぞろと生徒が校舎を出て、俺を一瞥してくる。フィオナ様の婚約者としてレオナルド・フォン・ロートブルグは有名だが、名前と顔が一致する者は多くない。特に交流の無い貴族棟に通う生徒たちには。誰もが不思議そうな顔で一瞥だけしていく。

 時折鋭い目で睨み付けてくる連中も居るが、気付かないフリをしてやり過ごす。

 そして、彼女が校舎から出てきた。

 俺が声をかけるよりも先に向こうが気づいてくれたらしく、優雅に、けれど少し足早にこちらにやってきてくれる。


「突然お伺いしてすみませんフィオナ様」

「全然良いのです。 どうされましたかレオ様」

「夏季休暇の事で相談したい事があるのですが、少し時間を頂けますか」

「勿論です」

 そしてくるりと振り返る。

「皆様すみません、急用が入りましたので、お食事はまた今度」

 彼女と一緒に居た令嬢たちにフィオナ様が軽くお辞儀をして、令嬢たちが更に深いお辞儀を交わす。

「すぐに済む要件ですから」

「いえ、私もレオ様にお話ししたいことが沢山ありますから」


 驚くほど自然な手つきで、そうするのが当たり前かのように手を取られる。


「さぁ参りましょう」


 晴れ晴れとした笑みを浮かべる彼女に、何も言う事が出来ず、俺は彼女の後ろを付いていくしかなった。


 

「やっぱり私たちには一緒に過ごす時間が必要でしたね。こうしてまたレオ様と一緒に食事が出来て嬉しいです」

「ははは……、そうですね」

 

 彼女に連れてこられたのは、学院に存在する食事場所で最も格式の高いレストラン。俺自身足を踏み入れるのが初めてでガラス張りの窓から明かりが入り、大理石の床がきらきらと光沢を放っている。ウエイターやウエイトレスも洗練された佇まいで変な緊張感がある。

 メニューを見てもどんな料理が分からず、軽く食べれるものを適当にお願いした格好だ。

 フィオナ様だけはにこにこと、ご機嫌な様子でいる。

 きっとまず何か雑談から始めるべきなのだろうが、この空気に耐えられず本題から切り込むことにする。


「夏季休暇の予定でちょっと相談したいことがあるのですが」

「はい。何でも仰って下さい。レオ様のご希望はどんなことでも適えたいと思います。初めての旅行、ですものね」

「それなのですが、実は友人たちと先約がありまして――」


 空気が凍った錯覚が走る。紅茶を持つ彼女の手が一瞬だけ止まった。


「……先約を優先される。という事ですか?」

「いえそうではなく、大変厚かましいのですが彼等も一緒に行っても構いませんでしょうか? 大した目的があった訳ではないのですがやはり迷惑をかけてしまう手前心苦しくて」

「えぇ、その位でしたら構いませんわ。 レオ様のご友人ならば私にとっても大切な方々ですもの。 ゲストとしておもてなしさせていただきます」

「本当ですか。 助かります」

「いえいえ、こんな事なら幾らでも」

 フィオナ様は笑みを浮かべてくれているが、先ほどまでの手放しで喜んでいた様子ではない。何か含むものを抑えているように見える。尤も、彼女のポーカーフェイスは強く、何を考えているか俺には見当も付かない。

 だが本題を切り出さなくてはならない。


「……更に心苦しいお願いがあるのですが」

「何でしょうか、仰ってみて下さい」

「実は友人たちとはダンジョンに潜る計画を立てていたんです。 つきましてはラリーサ領のダンジョン探索許可を侯爵閣下から頂けないかと」


 笑顔の間から、一瞬だけ冷たい眼光が俺を射貫く。


「……それは流石に難しいですわ。 ゲストの方々をそんな危険な場所には」

「それがそうでもないのですよ。 ダンジョンの表層だけを探索するつもりだったんですよ、元々。危険が無い訳ではないですが、ダンジョンに入り魔物を狩ったことがある、という経験は冒険者だけでなく騎士団の面接でも役に立つんです。夏季休暇のようなまとまった休みでなければ腰を据えて取組むことも出来ませんし、絶好の機会なんです」


 穏やかな表情だが、じぃっと彼女が俺の様子を伺っている。

 魔物と対峙している時の方が、楽なくらいだ。全てを見透かされているようで、冷汗が浮き出る。


「イルティナ、さん。も来られるのですか?」


 凛とした声が響く。小さな声だが良く通り、少なくても俺の頭は彼女の言葉で一杯になる。

 表情から彼女の心情は読み取れない。

 嘘が通じる様な人じゃない。遅かれ早かれ分かる事でもある。意を決して言葉を紡ぐ。


「えぇ。 そういう予定でしたから」

「…………本当に仲が宜しいのですね」


 彼女の真意は分からない。改めて居住まいを正し、正眼に俺を見据える。


「レオ様。 条件、という訳ではないのですが私からのお願いも聞いていただけますか?」

「何でしょうか」

「避暑地、での社交とはいえ、私は立場上必ず参加しなければならないパーティーがあります。 そこに私のパートナーとして一緒に行って頂けますか」


 この国では未成年者が貴族の社交の場に出る事は少ない。学院に通っているという事もあるが、早い話貴族社会の一員として認められていない訳だ。だから貴族階級に属する学生は学院生である間にマナーやしきたりや教養といったものを叩きこまれる。社交界に出た時に一門の人間であるためだ。

 もちろん例外もある。それが彼女。

 侯爵家令嬢の彼女はただの社交の場だけでなく、儀礼式典にも参加が義務付けられていた。改めて自分とは違う世界の人である事を思い知る。そしてそういう場面に同伴するという事は、肩書だけではない関係である事の証明だった。


「なんて冗談です。すみませんちょっと意地悪、したくなっちゃっただけです。夏季休暇の時期は皆様バカンスに忙しいから固苦しい催しは無いのです。驚きました?」

「え、えぇ。フィオナ様もそんな冗談を仰るのですね」

「勿論ですよ。やはり末っ子の性でしょうか。悪戯が好きなんですよね、それでよく兄に叱られてます。

 でもパーティーのパートナーとして参加して欲しいっていうのは本当です。毎年招待されているパーティーなのですがお願いしてもよろしいでしょうか?」

「……承知しました。よろしくお願いします」

「はい。私も父に掛け合いますね。 でも趣味ばかりに興じられては嫌ですよ、ちゃんと私の相手もしてくださいね」


 その後のフィオナ様との昼食はつつがなく終わった。

 ただ、昨日のような手放しで楽しめる食事会とはいかなかった。上品なこの場所に気後れして味が分からないという事も勿論あったが、人を騙している、という感覚が苦手だった。

 つくづく自分が貴族世界とは相容れない存在だと認識を強くするのだった。

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