第7話 許嫁との距離に悩む

 翌日。色々な事が突然に起こりすぎて、脳が熱ダレを起こしていた。どうしても一人になりたくて、校舎の屋根伝いに行けるちょっとした屋上広間で佇んでいた。(増築を繰り返して校舎が拡大された為、こういった秘密基地めいた場所が学院にはいくつか存在する)


「いやいや、ホント時の人だねぇレオ」


 一人になりたい筈が、早々に来客が訪れる。寝そべる俺をのぞき込むように見下ろしてくるイルティナを、思わず睨みつけてしまう。


「そんな怖い顔しなくてもいいじゃん」

「……よくここが分かったな」

「レオが教えてくれたんじゃん。 学院で人目に付かない所は意外と少ないからね。案の定ここだった」

「…………」


 上体を起こしイルティナが差し出してくれた水筒を受け取り、ぬるくなった水を飲み干す。

 

 朝一でフィオナ様と遭遇してしまった。全くの偶然だった。昨夜のことを軽くお礼でも言えば良かったのだろうが、ご友人と一緒だったので軽く会釈だけしてその場を去ろうしたのだが、彼女が一言声を掛けてきた。


「レオ様。昨夜はありがとうございました。

 私、楽しみに待っていますね」


 たったそれだけの事。何でもないただの日常会話だ。美しい女性が素敵な笑みを浮かべただけだ。それがフィオナ・フォン・ミスティリーナでなければ、取るに足らない出来事になるはずだった。

 しかし彼女は学院で最もVIPな存在だった。お陰で驚くほどのスピードでそのニュースは学院中を駆け巡った。

 そして俺に襲い掛かったのが怒涛の質問攻め、という訳だった。

 

 前日にカフェテリアでの些細な諍いがまだ話題だったから、相乗効果で話題が話題を呼んだ格好だ。

 誰と誰がどうなろうと、本来他人にはどうでもいい話だ。そうでなくても、学院内で有名なカップルは無数に存在する。特に貴族は学院卒業後は家の繁栄の為に結婚を義務として捉える慣習が強いから、学生の間だけは自由恋愛、と割り切って楽しんでいる人間が一定数居る。お陰でそういうゴシップは彼等のものだったはずだ。

 にもかかわらず、俺たちが槍玉に挙げられる。

 それだけフィオナ様が特別ということであり、いかに俺たちの婚約が無茶苦茶なものであるかの証明だった。


「レオが煮え切らない態度ってのも悪いと思うよー。 もうさ、開き直ってイチャイチャしてれば? 婚約者なのに全然進展しないから皆が面白がるんだと思うよ」

「そんな事出来る訳ないだろ」

「真面目っていうか、ヘタレっていうか。 まぁ私には関係ないんだけどさ」


 そう言って大きく伸びをした後、彼女も屋上に寝転がる。この時間、斜塔が作る影は細長く狭く、自然と距離を詰める格好になる。


「何寄ってきてんだよ」

「日向は眩しいんだからしょうがないじゃん。 ほらほらもっと詰めてよ」

「……まったく」

「ふふ。 でもレオは本当に良い場所見つけたよね。 見晴らしもいいし、静かだし、風も抜けて気持ちいいよね」

「俺はお前に教えたことを後悔してるよ」

「自分の口が軽いのを恨むことだね」


 そして心地の良い沈黙が訪れる。校庭の喧騒がずっと遠くから聞こえて、風が木々を揺らす音が微かに聞こえる。空は高く、くっきりとした雲が遠くにあって、夏の気配のする空だった。

 何も話す必要なんて無いのに、イルティナと居るとどうしても口が軽くなる。


「夏季休暇さ、フィオナ様から領地に遊びに来いって誘われたよ」

「へー良かったじゃん。何々? ご両親に挨拶に行ってくる訳?」

「そういんじゃなくてさ、単に遊びに行くだけ。本領じゃなくて、北方の飛び地になってる領地だってさ」

「あぁなるほどー。行楽地で有名なヤツじゃん。 さっすが貴族様だね」

「断ったらダメ、だよな」

「うん。普通にダメだと思うよ。 よっぽど火急の用事があるとかじゃないと、相手のメンツを潰すヤツだね」

「だよな」


 そんな分かり切った事を口にして、分かり切った答えを耳にする。何が変わるという訳でもないのに、そんな無意味な問答をもう少し続ける事にする。


「レオはさ」

「ん?」

「フィオナ様との婚約、嫌がっているみたいだけど何で?」

「何でってそりゃ……」

「身分の差? それとも冒険者になるため貴族を辞めるから?」

「まぁそんなところだ」

「嘘だね。 レオは自分を誤魔化して返事するとき、右手で頬に触れるんだよ。知ってた?

 ……身分の差は気にしたってしょうがないじゃん。家が決めた事なんだし。 それに本当の意味で貴族を辞める事は出来ないと思うよ。

 何もかもを捨てて、ずっと遠くで自分の為だけに生きるなんて、出来るならとっくにやってるでしょ? レオは優しいからさ」

「今日はやけに絡んでくるな。 何が言いたいんだ」

「実は他に好きな人がいたりするの?」

「何言いだすんだよお前は」

「えぇー。全然普通だよ。私たちはまだ15歳で、誰かに憧れたり気になったり、恋心を抱いても可笑しくない年頃なんだよ。女子は集まったらしょっちゅうそんな話しているんだし」

「……で、それがどうした」

「別にー。 レオがフィオナ様と近づこうとしないようにしているのはさ、何か意思を感じるから。それが何かなって気になっただけだよ」

「そんなんじゃないさ……」

「そ。 なら別にいいけどさ」


 再び沈黙が訪れる。イルティナと話していて少し浮き彫りになった脳内を整理する。

 と言っても出てくる言葉は2つだけ。

 バッドエンドと冒険者、という言葉だけ。

 前世の記憶なんてものが、本当はまやかしであって欲しい。何度そう思ったことだろうか。だがそれが現実逃避でしかない事を幾度も味わってきた。

 『悪役令嬢を追放しないと死んでしまう件』。その遊戯の記憶で思い出せるのがフィオナ様の名前と、彼女と結ばれると凄惨な結末が待っているという漠然とした結果だけだとしても、俺には確かに前世の記憶がある。

 空虚としか形容出来ない毎日、立ち上がろうとするたび叩きのめされて心が折れてもそれでも生きていかなければならない毎日。託された物も守りたかった物も愛した人も、全て自分の手から零れていった無力感。自分にならやれると情熱を持っていた時もあった。巡り合えた事に心から震えた事もあった。だから余計に全てを喪ったあの感情は筆舌に尽くし難い物があった。

 それが具体的に何だったのかを思い出せなくても、生まれた時から持ち合わせたこの得体の知れない感情と朧げな想い出たちは前世の記憶と呼ぶしかなかった。

 時々、この世界では知り得ない事象を思い出すことも、その裏付けを強くした。

 

 フィオナ様以外の登場人物や出来事のほとんどを思い出すことが出来ず、そんな得体の知れないものに人生を左右されるなんてナンセンスなのだとしても、自分の裡に在るこの記憶を誤魔化す事はできない。

 彼女がいかに素晴らしい人でも、彼女と結ばれてはならないのだ。


 そして冒険者。

 それだけがこの世界で生きる俺が明確に憧れたものだ。その夢を諦めて生きるのであれば、俺はただ生き延びるために生きる事になる。

 それでは生を謳歌しているとはいえない。何のために生きたのか、2度も問うのはご免だった。


 大きく息を吐きだす。

 立て続けに事が起きるせいで、少し混乱していたようだ。やらなくてはならない事はシンプルだ。

 主導権を取り戻さなくてはならない。魔物を安全に狩るコツは、相手に行動選択の余地を与えないこと。万全の状態と状況を準備することで、凶悪な龍すら狩る。それが冒険者という生物の生き方だ。


「なぁイルティナ」

「なんだいレオ」

「確か北方の貴族の飛地の所領はさ、確かラリーサ領を共同管理しているんだったよな」

「あぁうん確かね。 避暑地として様々な貴族が集まるから、夏の王都、なんて別称があるくらいでさ、郊外の町を1つ2つ名目上所領としている貴族がほとんどの、完全な行楽地だよね。羨ましいことに」

「ラリーサ領のダンジョン探索権、侯爵家なら用意するのは容易いよな」

「お、何々? 何を思いついたのさ」

「いやさ、フィオナ様のお陰で俺達の夏季休暇の予定が崩れたことにしてさ。そのお詫びって事でダンジョン探索許可をもらって滞在中に潜ろうかなって、未登録のショボいダンジョンじゃなく、領主所有のダンジョンに合法的に潜れるし、魔石を侯爵家に直接買い取って貰えば更に一石二鳥じゃないかなって」

「わお、中々あくどいね。 お姫様の純情に付け込むんだ。 でもさ、私も一応女の子なんだよね。婚約者とのバカンスに女連れって外聞は流石に酷すぎない?」

「4人パーティーだった事にしよう。後2人巻き込む」

「……気に障ったらごめんだけど、レオって友達いるの? ポーズでもダンジョンには潜るんだよ?」

「魔物を狩った事がある、という経験は就職に有利。という理屈で巻き込む」

「まぁ一概に嘘じゃないけどさ……」

「名案だと思うんだけどな。 帝国との国境沿いの未登録ダンジョンを探そうと思ってた訳だし、メリーナ領に行かない選択肢は無いわけだし。 イルティナも似たようなもんだろ」

「そりゃ私もモグリでやるよりは魅力的な話だけどさ」

「話だけど?」

「正式な仲間じゃないでしょ? 私たち。 学院1番の剣士を、どうやって口説くのかしら」


 彼女の冗談めかした言葉に、気の利いた言葉を返せるほど器用じゃない。正直な気持ちを伝えるしか術がない。

 

「イルティナ。頼むよ。お前の協力が必要なんだ」

 

「……ふーん。まぁ及第点ってところね。 いいわよ、付き合ってあげる。でも1個だけ、条件」

 

「何だよ。 俺の出来る範囲で頼むぜ」

「いつか私が”一生のお願い”をしたら絶対叶えて」

 

「……安請け合いする訳にはいかないよ。 俺の信念を曲げない範囲で可能な限り、なら約束しよう」

「ダメ。 せめて信念を曲げない範囲なら全力で取り組む、なら認めてあげる」

「……わかった。じゃあそれで」

「やった。下僕ゲット」

「下僕ってお前な」

「あながち間違いじゃないでしょ。 いつお願いをするかを決めてないもの。いつか、だからね。 明日かもしれないし死の間際かもしれないし。 それまでレオはずっとこのお願いの事を忘れずに生きていかなきゃいけないんだから」

「……やっぱり撤回するわ」

「ダメ。 もう約束したから絶対ダメよ。 安心してよ、変な事をお願いしたりはしないからさ」


 主導権を取り戻さなくてはならない。等と意気込んで、別の人間にイニシアチブを握られている。思う事が無い訳ではないが、少しだけ解決の糸口を見つけたような気分だった。

 だがまずはフィオナ様との交渉を行わなければならない。それがまとまらなければ、何も始まりはしないのだから。

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