第6話 許嫁とのデート 続

「おいしい。 私も大概ですが、レオ様もお酒好きというのは意外でした」

「ははは、まぁエールはほとんど水みたいなものですからね」

「む。 随分飲みなれた様子ですね。 さては幼いころから飲んでいたものと見ました。 不良ですね」

「子供の時分から良くは飲んでいましたね。 不良かどうかは分かりませんが」

 

 ふと領地の事を思い出す。顔には絶対に出さない。作物が育たず、満足な飲み水を確保できないあの土地では、エールを水代わりに飲むのが一般的だった。もちろんもっと酒精の薄いものではあるが。

 こんなに人が溢れた街なのに、水に困る事は無い、王都で生活を始めた時に知ったあの驚きを生涯忘れる事は出来ない。

 

「不良ですよ。 ルールとか、暗黙の了解とか、そういうの平気で破れちゃうじゃないですか。私はせいぜい隠れてお酒を飲むくらいですから。 少し憧れます」

「ルールを破った記憶はあまりないのですが」

「噂を沢山聞きますよ。 入学初日に決闘したとか、魔法学の教師を退校に追い込んだとか、派閥を作らずどの派閥とも敵対してるとか、休日はダンジョンに出入りしているとか。色々、噂を聞きます。 私は婚約者なのに全部噂で聞きます」

「まぁ話半分に聞き流してもらえれば」

「全部本当ですよね。 私だって情報の精査くらいはしますよ。 そうしたら噂は全部本当。 それにファンクラブがあるとか、女性と遊び歩いているという噂も、どうやら疑わしいようですし」

「女性関係は根も葉もない噂ですよ、本当に。 それに俺は、火の粉を振り払っているだけですから」


「それは、そう、ですね。 えぇレオ様はいつも誰かに目の敵にされているだけで、自分から始めたことはほとんどありませんものね。 私は全部、噂で聞くだけですが」

「ははは、料理、なかなか来ませんね」

「レオ様。 そうやって話を逸らそうとするのは、レオ様の悪い癖ですよ。私はあまり好きじゃありません。

 ……それに私には話してくれてもいいじゃないですか。婚約者なのに全部誰かの口伝なんて、寂しいですよ」

「しかし迷惑が掛かってしまいますから」

「そんなことありません。 知ってました? 私が一番貴方のファンなんです。

 取り巻きも派閥も作らない1個人に、学院の誰も適わなくって皆を振り回してる。とっても痛快です。私の婚約者様はとっても凄い人だって鼻が高いんですよ」


 そんな会話を交わしていると、タイミングよく料理が届く。彼女の前に、大きなプレート皿に盛られたザワークラフトとバターの香る茹ジャガ、そして真っ黒のソーセージが置かれる。

 話題を変えるために水を向ける。


「そういえばフィオ……、フィナの頼んだソーセージは随分変わったソーセージですね」

「えぇ、血のソーセージです。クセがありますし、名前と見た目のインパクトで苦手って人は多いのですけど、血の一滴も無駄にしない最高の料理だって、やはり祖母の好物でして。ちょっと食べてみたくなったんです」


 そう言って彼女が優雅にソーセージを切り分け口に運ぶ。


「うん。やっぱり苦手です」

「えぇー。やっぱりってなんで頼んだんですか。 取り替えてもらいましょうか」

「大丈夫です大丈夫です。 珍しさと雰囲気に中てられてつい頼んじゃいました。 ちょっと苦手なだけで美味しいは美味しいのですよ。 レオ様も少し食べてみますか?」

「その感想を聞いた後では積極的に食べたいとは思えないのですが」

「いいじゃないですか。 その、料理のシェアってやったことがなくて、やってみたかったんです。 どうぞどうぞ」


 ソーセージを一口大に切り分けたものを食べるように促される。憚られたが、彼女に逆らえる訳もなく、一口頂くことにする。恐る恐る口に運んだが、想像していた匂いと味ではなかった。少しクセがあるがレバーのような味で、ソーセージのパリっとした食感はなく、とろりと舌でとろける様な柔らかさだった。


「美味しいですね、これ」

「ですよね。 よかった。 さぁどうぞ沢山食べてください」

「え、えぇ。では遠慮なく頂きますが、フィナは何故これを頼んだんです?」

「美味しそうでしたもの。でも満足しました」

「いやしかし……」

「私は満足しましたから」

「……わかりました。では本当に遠慮なく頂きますね」

「えぇ、どうぞ召し上がってください。 レオ様が注文されたのは領地の郷土料理とお伺いしましたが、一体何でしょうか」

「珍しいですよね。凍り豆腐の煮物ですよ。 領地は内陸にありまして、塩を輸入に頼っているのですが、その副産物で作る保存食なんです」

「その、大変はしたないのですが、私も一口、頂いてみてもいいでしょうか」

「どうぞ。 崩れやすいのでスプーンでそのまま食べてみてください」


 彼女が優雅な手つきで豆腐を掬い口にする。味を確かめるようにゆっくりと咀嚼し、嚥下する。そんな当たり前もこの人は画になる。

 

「柔らかい食感で、スープを吸ってジューシーで、お豆、の味がします。 こおり、と聞いていたのでちょっと驚きました」

「ははっ、やはりそうですよね。 崩した豆を固めて、寒い時期に外に出して凍らせるんですよ。なので名前に凍りが付くんです」

「なるほど。 でも意外でした。男の方だからてっきりがっつりしたものを好まれるかと思っていましたが、粗食なものを好まれるのですね」

「いえ、これが例外ですね。普段はもっと肉々しいものを食べてます。ただ、大して旨くもないけれど、無性に食べたくなるんですよ」

「故郷のお味、なんですね。 私にはそういうものが無いから羨ましいです」

「どうですかね。 あまりいいものでもないですよ」


 王都は食材が豊富だ。このスープも幾種類から取って濃厚な味を出しているが、故郷では塩と干肉のスープが一般的だった。そういう意味でも故郷の味とは呼べなかった。それに、王国で豆を有難がって食べる文化は無い。俺の領地を含め王国のごく一部で食用にされているだけだ。基本的には家畜が食べるモノという認識が強い。豆の加工物なんて王都では一般的な店ではおそらく取り扱っていないだろう。だが何故か、無性に恋しくなる食材なのだった。


「でもよかった。 やっぱり私たちには一緒に過ごす時間が必要だったんですね」

「どうされました」

「一緒に楽しく食事が出来て嬉しいってお話です。こうして楽し気に私に語らってくれるのは本当に嬉しいです」


 反応に困る。

 彼女に嫌われるのなら、傍に居て自分の汚い面を幾つも見せるのが手っ取り早いはずだ。しかしそれをせず彼女を避けていたのは、こうした直球の好意を向けてくれるからだ。

 人として、彼女の在り方は本当に好ましい。だからこそ募る罪悪感は重い。


「あ、いえ、責めている訳じゃないんですよ。 でももう少し私との時間を作って下さったらいいのにとは思っています」

「……善処します」

「そういう役人みたいな物言いは好きじゃないです。 でも今日は特別に許してあげます」

「ははは」


 お酒は好きなようでも強いとは限らない。白磁の肌に朱が挿して、饒舌に彼女は色んなことを話してくれた。領地の事や祖母との思い出の事。学院でのちょっとしたニュースや日々の他愛の無い話も。俺自身も答えられるものは答えた格好だ。

 食事が終われば辻馬車を捕まえて、すぐに送り届ける流れだったが、フィオナ様がどうしても行きたい所があるといい、目的地が変わる。時間に遅れる事を気にするも、少し酔いを醒ました方がいいとも思ったので、彼女に付いていく。

 

 そして辿り着いたのが、東地区のメイシュ川沿いの歩道。東地区は貴族街に近いので、西地区以上に清潔で通りのひとつを取っても洗練された美しさがあった。先ほど彼女が話題に出した通り、街灯の灯りが街路樹や歩道を照らすだけでなく、淡い光が水面に列を作り、観光船が通ると波に揺れて瞬いて、それがまた幻想的な光景だった。


「ね。 綺麗でしょう。 どうしてもレオ様にも見てもらいたかったんです」

「驚きました。 人の手でこのような景観を創り出すことが出来るのですね」

「えぇ。 実はここは祖父が整備した場所なんです。本当は濠と運河として使われていたものをこんなきれいな場所にしたんです。 この街路樹は3年に1度しか花を咲かさないので今年は見れなかったのですが、満開の時は、もっと素敵なんですよ」

「それは凄い。 お爺様は稀代の芸術家ですね」

「身内びいきですが私もそう思います。 私が物心付いた時はもう亡くなっていましたから祖母から聞いた話でしか知らないのですが、なかなかユニークな人だったそうです。 でも、こんな素晴らしいものを創り出すのは、やっぱりそういう人なんだなって変に納得もしてしまうんですね」


 川沿いの歩道を並んで歩く。ふと彼女がこちらを振り返り、街灯で淡く照らされた顔を緊張で一杯にして俺に告げる。


「でもレオ様のお爺様が居なかったら、この光景は無かったんですよ」


 その言葉の真意を測りかねて、黙ってしまう。彼女が続ける。


「その、だから、という訳でもないのですが。レオ様の家とどうしても縁戚に成りたかった、祖父の気持ちが少し分かる様な気がするんです」


 彼女の頬が真っ赤に染まっている。

 濡れた瞳が光に揺れている。


「レオ様の許嫁になれて、私はとても嬉しいのです。 学院で一緒になり、時々しかお会いできなくても、その気持ちはずっと募っています。

 ……その、お酒と雰囲気って怖いですね。本当はこんなこと打ち明けるつもりは無かったのですよ本当に」


 フィオナ様の声は少し震えていて、瞳には涙が湛えられている。

 もしもこれが演技なら、傾国の美女とは彼女の事を言うのだろうと思った。普段は貴族たらんとし凛とした佇まいで、冷たさすら感じる様な方だけれども。だからこそ、こうして胸の裡を吐き出すことは稀な事で特別な事で、強い勇気が必要だったのは明らかだった。

 あまりに真摯だから、ジョークや煙に巻く物言いは許されるはずがない。

 口を開こうとする。しかし一体何が言えるだろう。

 前世の記憶なんて、不確かなものを鵜呑みにして、彼女と向き合ってこなかった俺に、紡ぐ言葉は無かった。

 冒険者になりたい、だなんて荒唐無稽な夢を盾にして、現実から逃げ続ける俺に、話せる言葉は無かった。


「……いつか、答えを聞かせてくださいね」

「申し訳ありません」

「いえ、いいんです。 私とレオ様とでは、温度差があるのは分かっていますから」


 助け舟を出された格好だ。自分でも優柔不断さに辟易とする。

 

「それにしても今日は楽しかったです。レオ様も同じ気持ちだと嬉しいです」

「えぇそれは本当に。 久しぶりに肩の力が抜けた食事が出来ました」

「あぁよかった。 また連れてきてくださいね」

「それは流石に……。 流石にアリーさんに怒られてしまいますよ」

「そんな事はありませんよ。 でも、そうですね。次は私に付き合っていただけますか?」


 上手く誘導されてしまったようだ。フィオナ様がいたずらっ子のような笑みを浮かべている。掌の上で完全に転がされているが、断る選択肢はない。

 

「……えぇ。わかりました」

「よかった。 では今度の夏季休暇、我家の領地へいらして下さいね。約束ですよ」

「ちょ、ちょっと待ってください。 それは性急過ぎませんか」

「そんな事ありませんわ。 私たちの気持ちがどうであれ、王家にも認められた婚約者同士ですもの。むしろ、夏季休暇の間私と合わない方が不自然ですよ。 ですからレオ様。 必ず約束守ってくださいね」


 にこりと今日一番の笑みを浮かべているフィオナ様。

 頭の中で色んな事が渦巻くが、そもそも論として、彼女と婚約破棄するなんて無理ゲーなのではなかろうか。

 そんなことを思うのだった。

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