第5話 許嫁とのデート
王都の地理に疎い俺でも、フィオナ様が指定した西地区広場前の噴水近くは、待ち合わせの定番である事は知っていた。行きつけの店が西地区と南地区の間にあると告げると、真っ先にこの場所が指定されたのだった。
魔石を活用した街灯に、点灯者と呼ばれる職人が灯りを付け始めていた。地方では考えられない魔石を贅沢に使ったこのインフラは、王都でしか見られない特別な光景だった。
街灯が灯り、ぼんやりとした灯りが夕闇に沈む街を灯す。噴水近くは特に力を入れていて、噴水の中に魔石灯があり、水しぶきをきらきらと灯し、幻想的な雰囲気を生み出している。
そこに彼女は佇んでいた。髪を軽くまとめ、花柄があしらわれたワンピース姿で、街歩きしやすい様ヒールの低い靴を彼女は履いていて、手には懐中時計か何かを持っているようだった。
学院のイベントでドレス姿の彼女を見かけたことがある。その姿も美しかった。学院で過ごす学生服も美しい。
初めて見る私服姿の彼女は、目が離せなかった。街灯に灯されているせいか、彼女の周りにだけぼぉっと淡い光が纏っているように見え、その場所だけ違う世界に在るようだった。
突然立ち止まったせいで、街を行く誰かとぶつかってしまう。その衝撃で正気に戻った。
「すみません。 遅くなりました」
「あぁレオ様。 よかった来てくださって」
そう言ってにこりと彼女が笑う。いつも薄っすらとしか化粧を施していないが、そのやり方が少し違っていた。普段の貴族然とした風貌からは考えられないくらい柔らかな雰囲気を纏っていて、柄にもなくどきりとしている自分がいる。
ごほんと一度咳払いが聞こえる。
「それではお嬢様。私は離れますがくれぐれも約束を守ってくださいますように」
「えぇアリー。わかってるわ」
「それとレオナルド様。貴方もあまり羽目を外し過ぎないようにお願いします」
「え、えぇ。わかりました」
「あまり、外し過ぎないように、お願いします」
大切な事なので、2度も念押しされてしまった。
それでは、これで行きますね。とフィオナ様の傍で控えていた女性が立ち去っていく。
「彼女がアリーです。 アリーは昔から私のお付きのメイドで、その、市井のことには詳しいのです。その彼女が選んでくれたものですから、変、ではないと思うのですが、いかがでしょうか」
街灯の灯りは淡く辺りを照らすものだから、はっきりと表情は見えない。けれどお互いに顔を真っ赤にしている。
「すごく、似合っていると思います」
「本当ですか。 よかった。 こういう衣装は初めてですが、その、褒めていただいて嬉しいです」
「混みだすといけませんから、そろそろ、行きましょうか」
「そうですね。 宜しくお願いします」
そうして並んで歩きだす。普段並んで歩くことなどないから気が付かなかったが、彼女の歩幅は狭い。学園での様子を思い返してみても、今日はやけに歩幅が狭い。彼女はヒールの高い靴も履きなれているから、靴が合わないという様子でもない。
理由はワンピースの丈の短さだった。
市民の服ではこの位は全然普通だが、貴族のドレスでは上半身は際どいデザインが多いものの、脚部は例外なく隠されている。ダンスの際、翻ったスカートから足が覗くのですらはしたないとされる文化だ。脛が隠れるほどのワンピースの丈でも、心もとないのだろう。
歩くスピードを落とす。
「すみません、レオ様」
「いえ、時間はありますからゆっくりと行きましょう。 それに寮に引きこもっていた性で知らなかったのですが、王都の夜はこんなにも幻想的なのですね」
「えぇ。 私も好きな光景です。 メイシュ川沿いも水面に反射して素敵なんですよ」
そんな探り探りの会話をしながら、目的地へと歩く。
「そうだレオ様。 今日は私の事はフィナ、とお呼びください。 アリーからそう言われておりまして」
「そうですね。フィオ……フィナ様はこの街の出身ですから、知っている人に逢うと良くないですからね」
「いえ、単に設定、らしいです。 その方が盛り上がると言われました」
「ははは……。面白い方ですね」
「そうなんです。 それに今日の私は、とある商会の一人娘なのだそうです」
「凝った設定ですね」
「えぇ。ですから私の事はフィナとお呼び捨てください」
「……それは少し、困りますね」
「でもそうしてくれないと怪しまれる、そうです。商家の娘に敬称付けるだなんて、貴族のお忍びだとばらすようなものだ、そうです。 設定は大事、だそうです」
「ははは……。ではそのように心がけますね、お嬢様」
「嫌です。 フィナ。ですよレオ様」
「…………フィナ。これでよろしいですか」
彼女がにんまりといたずらっ子のような笑みを作る。
「本名でもそしていただけたら嬉しいのに」
「それは余りにも恐れ多すぎますよ」
西地区の広場から南にまっすぐ歩き南西部に入ると、そこは狭い路地が増え、建物も細く長いモノばかりとなっていく。王都の中でも下町と呼ばれる民衆の街だ。
南西部の門の外には、あえて魔物除けが施されていない森とその奥地にはダンジョンがある。魔石を集める為の狩場だった。そのため、この地区には冒険者が多く、ギルドの他、魔物から得た牙などの加工所、武具や防具を作る工廠等が立ち並ぶ。もちろん冒険者に関わりの無い工場も多く、労働者の多い街だ。そして治安が悪いエリアの一つだ。
今日行く店は西地区と南西部の間のような場所にあり、比較的客層がまともだった。
「いらっしゃいませ……ってレオ! 久しぶりじゃないか! ……へーほーふーん。なかなか隅に置けないじゃないか」
「リディアさん、本当にそういうのは間に合ってますから。 席空いてますか」
「もちろん。 奥の席が空いてるからごゆっくりねー」
店の中は、がやがやと熱気が強く、アルコールの匂いもする。早い話がここは居酒屋だった。こういう場所に未成年2人で来るなど、場違いもいいところで、俺の能力の無さの証左なのだが、俺が知る店で一番まともなのがこの店だから仕方無い。
「リディアさん、ですか。 本当に気が多いですねレオ様は」
「彼女は本当にただの知り合いですよ。子爵領から王都へ移った方で、その縁で贔屓にしているんです」
「彼女は、本当に、ただの知り合い。 まるで別に仲の良い方がいらっしゃるような物言いですね」
「フィナさん? これはただの言葉尻で――――」
「敬称がついてますよ」
「……フィナ。 あんまりいじめないでください」
「はい。レオ様の仰ることを信じますね。 それにしても面白いお店ですね。メニューが壁に貼ってあるんですね」
彼女がきょろきょろと店内を見渡す。店内には王国文字で書かれた料理名と値段が壁いっぱいに貼り付けられ、ところどころには帝国文字や獣人族の文字、更にはもっと遠方の国の文字と思われるメニューまで張り付けられている。
「この地区は王都への移民が多いですから。各土地ごとに同じ料理でも名前が違ったりするので、それで大量に商品名を張り出したそうですよ。外国の方も多いですし。 食べたいものを探している内に懐かしいモノを見つけて、ついついそれを頼んでしまう人が多いそうです」
「なるほど。面白い試みですね。 あ、キャベシのザワークラウトがある。シュワの腸詰も。そうしましたら……、あった。ガジャのバター焼き。 確かに懐かしいモノを探してしまいますね」
「ははは、ではそれを注文しましょうか」
「いいのですか? 嬉しいです。随分久しぶりに食べます」
店内を切り盛りしているリディアさんを呼ぶ。
先ほどフィオナ様が口にした料理と、子爵領の郷土料理を注文する。
「あんたはホントにそれ好きね。 いい加減食べ飽きたりしない訳?」
「俺はこれが食べたくてここに来てるんですから。黙って出してください」
「はいはい。 それにしてもお連れのお嬢ちゃんは随分渋いものを頼むね。久しぶりの注文だよ。あっちの出身なのかい?」
「祖母の故郷の料理なんです」
「なるほど、それなら納得だ。 腸詰は変わり種でブルートブルストなんかもあるけど、食べるかい?」
「本当ですか! じゃあそれでお願いします」
「はいよ。 飲み物はエールでいいよね、ワインの方がいい?」
「いや俺たちまだ未成年なんで、水下さい」
「はい? ……あ、そういえばあんたまだ未成年だったね? うわおい、今まで散々エール出してたじゃんかよー。ちゃんと言ってよそういう事はさー。 それにここ飲み屋だぜ? なんで未成年がデートでこんな店に来てんのさ」
「私は赤ワインがいいです」
「お嬢ちゃん? 話聞いてる? あんたも未成年なんでしょうが」
「あら? ブルストを食べる時はワイン、というのが我が家の掟ですのよ。 それに今日の私は17歳です」
「今日の私はって……。まぁもうしょうがない、未成年にも酒を出す店って吹聴して、他の知り合いは連れてくるなよレオ」
「あぁ分かっているよ」
リディアさんとの軽口に、少し懐かしさを覚える。彼女も俺もまだ子爵領に居た時、彼女の母が城の厨房に勤めていた関係で彼女とは知り合いだった。俺を領主の息子と知らず初対面で大喧嘩になった事を、ふと思い出す。昔から真面目だが結構抜けた性格だった、それは生涯きっと変わらないのだろう。
「レオ様。 お忍びデート中に他の娘の事を考えるのは酷いですよ」
「そんなこと考えてなんか無いですよ。 というかフィオ……フィナ、お忍びという言葉は使わないでくださいね。使うと正体をばらすも同然ですからね」
「……まぁいいでしょう。 ねぇレオ様。私は未成年なのにワインを注文しましたけれど、何か仰りたいことがあるのではありませんか」
「ワインは美味しいですよね」
「いえそういうことではなく。わざと、ってわかってますけど。私だって気が立つことはあるんですよ」
「それはすみません。 しかし俺は今日商会の一人娘のフィナとデートに来ているのでしょう? 彼女の事はまだ良く知らないですし、彼女が17歳なのだと言うのであれば飲酒を咎める訳にもいきませんから。 それに年上とさっき知って、少し緊張しているのですよ」
「設定は大事、ですものね。 そうですね、えぇ悪くない。悪くないです」
冗談めかしてそんなことをペラペラと口が回る。しかし彼女には思いのほかウケたらしい。
「今更ですが俺には設定は無いのですか」
「レオ様はレオ様ですよ。 ……うん、でも少し設定を深めましょう。レオ様はフィナに気があるから食事に誘ってくれたのです。フィナもレオ様に気があるんです。ですから2人のお喋りはとっても弾むはずですね」
「……努力はしてみますね。 しかし意外でしたね。フィナ、は、お酒を飲まれるのですね」
「そうなのです。 祖母が本当にお酒が好きな人で私にも時々飲ませてくれたのです。 祖母は酔うと”私の血はワインで出来ている”っていつも言っていました。 ですから私の血も1/4はワインで出来ているかもしれません」
「それは凄いお婆様ですね。 先ほどの注文もお婆様の故郷のものと伺いましたが、本当に仲が宜しいのですね」
「えぇそうなのです。 本当に祖母は良くしてくれました。 私は早くに母を亡くしましたから、父は忙しい人ですし兄達も年がずっと離れていますから、祖母が一番の家族だったんです。 王都が苦手だと言って領地から離れたがらない人でしたから、頻繁には会えなかったのですが、会うと本当に、素敵な人でした」
タイミング良く、或いは悪く、テーブルにジョッキが置かれる。料理はまだ少しかかるようだ。
「乾杯をしましょうか」
「そうですね。 では酒豪のお婆様に」
「えぇ。 祖母に」
そう言って不作法ながらこの場所には相応しく、軽くジョッキを併せた。
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