第30話 戦争
バリエール平原に両軍が睨み合う。
十万近い軍勢同士が立ち並ぶその光景は圧巻だった。
早朝。朝もやが立ち込めていて両軍の姿が見えない。陽の光が差し込み始めると霧が晴れお互いを視認出来た。
まるでそれが合図だったかのように、戦争が始まった。
火ぶたを切ったのは王国軍。
一番槍の功績を得るために、若い貴族が率いる部隊が戦場を駆けだした。
すぐに反乱軍から魔法攻撃が放たれるが、進軍の勢いは止まらない。
帝国軍の他の部隊も遅れを取るまいと進軍し、反乱軍も歩を進めたために先陣同士の争いが始まった。
「ついに始まったな」
誰に言うでもなく俺は戦場に変わった草原を見つめながらそう零していた。
つい先日までの平和な光景はなく、血で血を洗う地獄が、顕現し始めていた。
俺達遊軍に与えられた仕事はとにかく待機だった。200名ぽっちの部隊じゃ戦場に出ても擦り切れて潰れる。戦場の左翼の端に追いやられ、もし万が一敵軍が迂回して奇襲をかけてきた時の鈴が俺たちの役割だった。
危険は少ないが、功績を得るチャンスも無い仕事という訳だ。
後ろを振り返る。
俺たちの出番があるかどうかも不明だが、皆良い顔をしている。
少なくても連日宴会に耽っていた時の様な緩さは無く、いつ何が起きてもいいように準備が出来ている男たちの顔だった。もちろん初めて目にする戦争に落ち着かない様子の新兵も多いが、ベテランの傭兵が上手く補佐している。
10万対10万の規模の戦いは、普通なら何カ月と続く大戦争になる。だが上手く相手をつり出せた以上、短期間で決着がつくかもしれない。
そして朧げな前世の俺の記憶は、たった一日で決着が付いた戦争を知っていた。
この戦争がどう決着を付くか分からない。
魔晶石の魔力をふんだんに込めた魔法攻撃や、ドラゴンの召喚にお互い警戒をしているから、午前中の戦いは先陣同士の争いだけで終始していた。
「戦争って意外と退屈なのね」
昼前、突然の奇襲に備えて弁当を交替で兵に食べさせていると、同じく弁当を食べているレイさんが緊張感の無い事をいう。だが実際待機だけしていると、そんな感想を覚えても仕方が無かった。
「退屈ぐらいが丁度いいんですよ」
適当にそんな返事を返しながら、自分自身にも言い聞かせる。
地響きと土煙が上がる戦場を眺めながら、ただ待機しているというのはなかなか焦れるものがある。
だが作戦を無視して勝手に前に出る訳にもいかない。
そもそも功績を上げる必要はなく、ただ従軍したという実績で十分なのだ。それだけで子爵家の面目は保たれる。
ごくりと水筒の水を飲み干しながら、戦場を見つめる。
「我が軍左翼の部隊が前進を開始しました」
先に我慢の限界が来たのは我ら王国軍だった。
伝令の言う通り、左翼が勝手に前進を始めている。
一応我々も左翼を構成する部隊の一つだが、連絡や命令を受けていない。彼等と歩調を合わせるべきなのかもしれなかったが、意図が分からない以上いたずらに動かすのはためらわれた。
一瞬の悩みの末、結論を出す。
「左翼本隊が通り過ぎた後、後詰として後ろに付く。無駄だと思うが誰か左翼指揮官へ伝令に走ってくれ」
俺たちはあくまで従軍したという実績があればいい。
功は他の部隊に譲ってもいい。むしろ死者を出さない方が俺にとっては肝要だった。
丘の上で、左翼本隊が進軍しきるのを待っていた時だった。本陣と連携を取らずに進軍を行った隙を敵は見逃さなかった。
「敵左翼来ます! 凄い騎馬の群れです!」
敵軍左翼の歩兵達の間から、騎馬が突撃をかましてきた。
ここからでも伝わる地響きと立ち上る砂塵。数十や数百では効かない、数千という規模の騎兵部隊。遠目からでも彼らの装備は良く、一糸乱れぬその壮麗な騎馬裁きは彼等が精鋭中の精鋭だということを物語っていた。
先頭の兵士が弓を強く引き絞り、一本の矢を我が左翼に向けて放った。
たった一本の矢。しかしその矢は地面に着弾すると大爆発を巻き起こした。
そんな矢が続けざまに何本も射られると、それだけで左翼は大混乱に陥った。落ち着いて槍衾を作るべきなのに、混乱で出来た隙から左翼が切り裂かれていく。
敵の騎兵も多くの死者を出しながらも勢いを止める事はない。ついに左翼を貫きがら空きになった本陣だけを目掛けて疾走を続ける。
魔晶石と魔道具を使った、乾坤一擲の攻撃。
このまま本陣を急襲されれば、敗戦は明らかだった。
そんな戦争の趨勢を決定づける瞬間が目の前にあった。
今から丘を降りても歩兵の足では追い付かない。可能性があるとすれば一撃で、巨大な炎で、敵先陣を焼き払い敵をひるませることくらいだった。
「レイさん、借りますよ」
傍らにいる彼女から魔晶石を奪う。
静止の声を聞かずに力を籠める。
俺に人が殺せるのか。
今更そんな事を思う自分もいた。
しかし構わずに体が動く。
「我に巣食いし炎よ。彼の敵を――――」
意識を集中し魔力を練り上げ、詠唱の途中だった。
魔晶石から汲み上げ体中から絞った魔力が腕の中を爆ぜながら奔る。
勢いで自分すら吹き飛ばす暴発しかけの魔力は、敵の騎兵隊に唸りを上げて襲い掛かり、火柱を作った。
いや火柱という言葉では生温い。炎の竜巻、といった方が近い現象だった。空高くまで燃え上がった炎は突撃する騎兵をことごとく燃やし尽くした。
炎嵐が消えた時、跡には兵士や騎馬と思われる黒い塊が残っているだけだった。
数千の兵士が、全て黒い塊。
戦場に沈黙が走っていた。誰もがその手も足も止めて、視線をその跡地に向けていた。
混乱し敵に食い破られた左翼の兵士も、突撃してくる騎兵に覚悟を決めていた本陣の兵士も全て。
風が変わる。
生き物の焼ける匂いが強烈に漂う。肉を焼くのではなく、生物を焼く匂い。
肉が焼け脂肪が爆ぜる香ばしい匂いだけじゃない。
異臭。普段嗅ぐことの無い匂いが風に乗って運ばれてきた。
吐き気がこみあげてくる。
魔力が枯渇した事でもなく、強い魔力にあてられたからでもなく、匂いを嗅いでしまったからでもない。
この絶望的な光景を目の当たりにして、どうしようもなく気持ち悪さがこみあげてくる。
何の実感も無い。人を殺した感触なんてこの手に残っていない。あるのは魔力を行使したという感覚だけ。
俺がただ魔力を使っただけで、数千という人間が酷く死んだ。
きっと剣で相手を突き殺したり、投石で原始的に殺し合った方がまだましだった。
何の覚悟も無い癖に、数千という人間を俺が一方的に殺してしまった。
「勝鬨を上げなさいっ! 我が部隊の指揮官の大戦果ですよっ!」
レイさんの悲鳴のような叫び声。それで我に返って、兵士たちが恐る恐るといった様子で声を上げる。
「声が小さいっ」
「お、おぉーーー」
「もっと大きく。戦場にいる全ての人間に伝えなさいっ」
「うおおおおおおおおおおおおおっ」
やけっぱちなのか、それともレイさんに上手く鼓舞されてか、俺達の部隊の兵士が大きな勝鬨を上げてくれた。
これが喜んでもいいことだと、示された王国軍の兵士たちが次々に雄たけびを上げる。
そして熱狂に至る。今ほどの絶体絶命の危機を我が軍の魔法使いが阻止し敵を焼き払った。その事実が知れ渡り、王国軍は湧きに湧き、反乱軍は一目散に撤退を始めた。
俺は目の前の光景を理解できなかった。
ただ気が付けばレイさんが強く抱きしめてきてくれていた。
「君は王国を救ったんだよ。大喜びしていいことなんだよ!」
彼女の言葉で、吐き散らす事にはならなかった。口の中は胃液の味がするが、少しだけ救われたような気分になれた。
人を殺したという実感がないまま、俺は数千人の命を屠った。一日にして大量殺人鬼となり、救国の英雄にもなった。
バリエール平原の戦いは、こうして幕を閉じた。
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