第17話 故郷へ 続

 深酒と夜更かしと、旅の疲れも相まって、目が覚めた時は昼過ぎだった。

 眠い目をこすりながら、着替えを終え、ダイニングに向かうと母が鎮座していた。


「おはようございます、母上。 昨日、戻りました」

「えぇおかえりなさいレオナルド。 もうお昼過ぎですけどね」


 そして俺の席の前に食事を並べ始めてくれる。普通、貴族の奥方という人物は食事を作る事も準備を行う事も無いが、うちは違った。さる男爵家から家に嫁いだお嬢様が、一から家事を覚えていったのだから、我家では誰もこの人に頭が上がらない。


「積もる話がありますが、まずは食べなさい。 旅の糧食ばかりでしたでしょうから、ゆっくり味わうのですよ」


 そうして母が用意してくれた食事を摂る。

 目の前に鎮座され、食事の様子を逐一チェックされるのは非常に座りが悪いのだけれど、昔から母との食事はこうした監視付きの中行われてきた。

 物心付いた時から父や叔父たちに連なって領地を駆け回っていた俺は、マナーとは完全に無縁のガキだった。それを矯正するために母親の監視付きという食事スタイルが形成されたのだった。


「そういえば弟達は元気ですか? 土産を買ってきたので渡したいのですが、やはり叔父さんたちと領地を回っていますかね?」

「いいえ、今はお勉強の時間です。 言っておきますがレオナルド。貴方が例外なのですからね。10にも満たない子供が騎士と共に魔物を狩って回る等普通はありえないのですよ」

「ははは、そうでしたね。失礼しました」

「いいえ。 よく噛んで食べるのですよ。貴方は早食いのクセがありますから、気を付けるのですよ」


 久しぶりの母の監視付きの食事が終わった。

 小言がほとんど無かったからテーブルマナーは許されるレベルを維持しているのだと信じたい。

 まだ、弟達の授業が続いており、食器が下げられた後、紅茶を振舞われ、母からの尋問タイムが始まる。


「それで、レオナルド。フィオナ様とはどうなのですか? 仲良くしていただいていますか?」

「えぇ、はい、まぁなんとか」

「歯切れの悪い返事ですね。 いいですか、何度も繰り返しましたが、フィオナ様程の名家の方と婚姻を交わせるなど私たちのような貴族に取って望外の喜びなのです。夫婦となるのですから臣下の様に尽くせとは言いませんが、彼女の事を第一に想い真心を尽くさねばなりませんよ」

「……えぇ、はい、頑張ります」

「いいお返事ですこと。 大変なのは分かっていますが、頑張りなさい」


 そんな小言も相変わらずだった。

 顔には出さないけれど、少し頬が緩みそうになった。


 母とのそんなティータイムが終われば弟達の授業が終わり(王立貴族学院はあくまで高等教育機関として存在し、基本的に幼少期は各家庭での教育が主流である)彼等がダイニングへと雪崩れ込んでくる。


「兄ちゃん、おかえりなさい」

「兄さん、お土産をください」


 10歳になる弟と8歳になる妹。あまり甘やかすと母に叱られるのだが、子供にとって1年ぶり、というのは長い時間だ。母はただ目を細めるだけだった。

 この土地は娯楽が本当に少ないから、王都では有り触れたおもちゃがとても貴重なもので、王都の街並みや店の様子なんかを話すだけで彼らは目をきらきらと輝かせて話に聞き入っていた。

 ひとしきり話し終えた後は、庭に出た。夕方になるまで弟の剣の稽古に付き合う。妹は植物図鑑にご執心のようで、王都で見聞きした植物について詳しく聞きたがり、稽古の休憩中は、学院の庭園で見た植物について幾らか話をして過ごした。

 そんな風に弟達との交流も終わり、母が手ずから作ってくれた晩餐を家族で囲み、穏やかに1日は更けていった。


 そして夜半。寝付けない俺は館を抜け出し、町を抜け出して、荒野の大地にまでやってきた。

 ここはもう魔物が出現する危険な場所だが、館で穏やかに過ごすよりも、こうして火を焚き、魔獣皮の毛布に寝そべり空を眺めている方が、余程故郷に帰ってきた気がしていた。

 全神経を耳に集中し小さな異変を逃さないように気を張りながら、魔物除けの香草が焼ける匂いに懐かしさを思う。

 俺にとっては普通だったけれど、野宿の方が性に合っているのは、やはり少し特殊なのかもしれなかった。

 だからこそ、冒険者なんて生き方に憧れたのだろうな、なんて独り言ちてみる。


 1年前、学院に向かう前ならば、その道こそが俺の人生だと思っていたし、今もそう思っている。けれどもこの1年で少し変わったのも確かだった。

 

 まずは、フィオナ様について。

 彼女の事をもう、人生の足枷の様には思えなかった。正面から、見据えなくてはいけない問題だと思っている。

 彼女は本当に素敵な人だし幸せになって欲しいと思う。故に、何故彼女と結ばれると凄惨な未来が待っているのか、そもそも何故彼女は悪役令嬢という遊戯では敵役だったのか。疑問が尽きなかった。

 

 俺の、前世の記憶が間違っているのではないか。

 そんな何度も繰り返した自問自答がまた始まる。けれども結局結論は変わらない。自分にこびりつくように残る感情や記憶の断片は生々しく、それが無かった事でただの幻だとは到底思えない。

 しかし、前世で知っている遊戯と今目の前の現実は異なっている。という感覚もある。良く似た別の物語。という認識も最近は本当に強くなった。

 断片的な記憶しか思い出せないが、あの遊戯の主人公がドラゴンを倒すなんてことも、国王と謁見する、なんてイベントも無かったように思う。

 ならば、これから先の未来が、俺の記憶の通りに行くとは限らないのではないか。

 そんな淡い期待に、心を寄せている自分も居る。


 しかしフィオナ様との事が、問題解決に一歩近づいたとしても、まだまだ問題が多い。というか最近は降りかかるように増えた。

 喫緊は、レイヴィン・フォン・ブラックウェル伯爵家令嬢との、新たな婚約についてだろう。

 彼女が良いとか悪いとかではなく、何というか国王からの悪意を感じる。これで俺は学院で噂の的になる訳だろうし、フィオナ様ともまた揉める事になるのだろうなと思う。

 

 2人とも、素敵な人たちだ。レイさんはたった1回しか会った事は無いけれど、初対面の人間には警戒心でマトモに話せない俺がいとも簡単に話が出来た人だ。自分がチョロい事は分かっているが、もし前世の事とかフィオナ様の事とか、冒険者の夢の事とか、あらゆるものが無くただ純粋に彼女に逢ったのなら、惹かれても仕方なかったと思う。

 フィオナ様について考える時も思うが、何故ただ純粋に逢えなかったのだろう。

 女々しいとは思うが、どうしてもそう思わざるを得なかった。


 こうして物思いに耽ると、答えの出ない問答で雁字搦めになってしまう。

 もしも、こういう面倒ごとを全て断ち切ることができ、何の躊躇いも憂いも無く、イルティナと諸国漫遊冒険者の旅が出来たらどれほど楽で楽しくて幸せだろうか。

 逃げの思考回路になると、どうしてもそんな夢想を思い浮かべてしまう。


 けれども、目の前の現実はもっと確かな質量があった。

 

 ドラゴン討伐の事は、今思い返してもただ運が良く随分と不細工な戦い方だった。未だに思い返すと背筋が凍る思いがする。相手が生物として脆弱な幼体でなければ、間違いなく死んでいたのは俺の方だった。

 何よりも図体は成体でありながら中身が幼体というちぐはぐな生き物が本当に存在するのだろうか。という疑問がどうしても拭えなかった。突然の出現にも疑問が多い。侯爵家の騎士団が緩い連中だったとはいえ、あの土地では長年魔物被害が無く安定していたというのに、突然ドラゴンが出現するだなんて、何か作為的なものを思わざるを得ない。

 そして国王の対応。

 侯爵もそうだったが、あまりにも対応が早すぎた。加えてなりふり構わず俺を取り込もうとする動き。これらが何か一本の線で繋がりそうなのだが、何かがまだ足りず、もやもやとしているだけだった。


 やっきになって、ロートブルグ家を取り込もうとするから、我家には何かあるのではとこうして帰郷してみたが、やはりここは辺境の、たださびれただけの領地だ。

 是が非でも手に入れようとする理由は皆無わからない。


 父は陰謀なんていつでも企てられている。というが。

 俺には何か得体の知れない気味の悪いものに巻き込まれているような不快感が、ずっと体中に纏わりついている。

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