第16話 故郷へ

 肉体の疲れ以上に脳の疲労が酷すぎて、3日間くらいこのまま部屋で沈みたい気持ちだったけれども。時間があまり残されていないから、それは諦めて、再び旅支度を整えた。

 ロートブルグ子爵領まで、乗合馬車を乗り継いで5日。馬車の入れない山道を歩いて2日。合計で一週間はかかる。加えて雨で渡河できなかったり、魔物の襲来で足止めを食う事も十分に考えられるから、更に時間がかかる事もある。

 故に時間を無駄にすることは出来なかった。


 子爵領への道のりは、そんな悪路を行くから往来が非常に限られている。

 そのため、冒険者に依頼を出しても運送の仕事が思うように受注されないことがほとんどで、領へ帰る人間が居れば、手紙や荷物を託すという前時代的な方法が、今でも一般的だった。

 晩食がてらリディアさんの店に行くと、急遽子爵領から王都へ移住した人が集まる事になり、故郷への手紙や荷物をこれでもかと渡される事になった。一人で行くから、持てる範囲には限界がある。

 あの土地は本当に枯れた場所だから、王都で手に入るあらゆるものが生活の助けになる。それが分かるから心苦しいのだが、荷物は抽選で、ほとんどを手紙と金を預かる事で決着が付いた。

 市井にはまだ、俺がドラゴンを倒したというニュースは届いていないようで、故郷に一時帰る事を純粋に羨ましがられるだけだった。


 そして翌日、乗合馬車に乗り込み、ロートブルグ領へと向かう事になった。


 故郷を旅立ち王都へ向かう事になった時。少なくとも学生の間は帰る事はない、と思っていたから、この帰郷は少し気恥ずかしいモノがある。それでも、ただ楽しみという気分にはなれない。

 色んなことを確かめる必要があった。

 

 侯爵家だけではなく王家までが、俺に接触を図ってきた。グリーンドラゴンとはいえ、ドラゴンを一人で狩れる人間が幾ら珍しかろうと、国王の対応が異例のものだったということは、俺でも分かる。

 この国の貴族は皆王家に忠誠を誓っているが、国王の力だけで成り立っている訳では無い。歴史的、血縁的に見て国王に近い貴族家がこの国を有している面積は30%程度がせいぜい。残りは王の臣下である貴族家が有している。建国記まで遡れば、王家と敵対しつつも最終的には臣従を選んだ一族たち。長い平和で、その首を本気で狙う不届き者は居なくなったが、何か、があった時反旗を翻しかねない存在達でもある。

 それが怖くて、男爵位の法服貴族や官僚機構を整備し、いかに貴族の牙を弱らせるかという施策を長年実行してきた訳だけれども、うかつに心を許せない、ある種の緊張関係が残っているのも事実だ。

 その筆頭の一つが、ミスティリーナ侯爵家。現当主は温厚派だが、彼が獅子の群れの頭でもある事実は変わらない。

 彼の家に泥を塗ってまで、俺を取り込む理由は幾ら考えても無かった。


 侯爵家が俺を取り込もうとする理由はまだ分かる。当人たちの感情を無視し、戦国時代のように無機質に家の利益を求めるのならば、俺との婚姻は最悪手ということはない。祖父の遺言を守る事はもちろんだが、恩には最大の礼を尽くす姿は、多くの者の心を打つ。この事実がいざという時人の心を動かす要素には成り得る。金や損得だけが全てを動かす訳では無いのだから。

 だからこそ、王の真意が分からない。

 侯爵家が求心力を高めるを嫌うのであれば、もっと効果的な方法が幾らでもある。

 むしろ、侯爵家に喧嘩を売る事こそが目的の様にも思える。

 それか、多少の無理を通してでも、ロートブルグ家を取り込むだけのメリットがあるか。


 馬車に揺られながら、そんなことを思案する。もちろん憶測の域を超える事は無いから何の意味も無いのだが、考えずにはいられなかった。それに、自分の中で根拠は無いが一つの確信があった。

 ロートブルグ家には、俺が知らないだけで何かがある。

 侯爵も王家も動かすものが何かは分からないが、たかだか子爵家のガキ一人に国の要人の眼が集まり過ぎていた。


 その妙な確信が、残りの夏季休暇の全てを代償にしても、ロートブルグ家に戻ることを決めた根拠だった。

 


 旅が始まって7日目。ようやく馬車は最寄りの町にまで辿り着き、ここから2日間は徒歩での旅となる。

 途中大雨が降った事で、道がぬかるみ馬車が動けなくなってしまった事と、渡し船が出せなくなってしまったために足止めを喰らった格好だ。分かっていた事ではあるけれど、子爵領へ帰る事を決めたことを幾度も後悔した。

 子爵領への山道は馬車が通れない。爺さんの代からありとあらゆる調査が行われたが、馬車を通そうと思えば山を貫くトンネルを掘るしか方法が無いというのが結論だった。

 人海戦術では何十年とかかるし、土魔法のスペシャリストを呼ぶには桁違いの金が必要だった。そのせいでずっとこの山道が使われている。

 自分に水や炎ではなく、土の、才能があればよかったと思うのはずっと昔のころからだ。

 魔法の才能を持つ人はそう珍しくないけれど、実用できるレベルの才能を持つ人はぐんと数が減る。そしてスペシャリストと呼べるほどの高位の魔法使いとなれば、国に数えるほどしかいない計算となる。

 仮に俺が水と同じレベルで土魔法が使えたとしても、トンネルが出来上がるのには人海戦術と時間は変わらないことは明らかだった。

 前世の記憶で見たダイナマイトや火薬というものを再現できれば、ぐっと工期は縮められるのだろうけれど、そう簡単に行かないから今の現状がある。

 ただこんなにも往来が難しいから、魔物を除く外敵からの脅威はほとんど無かった。建国記以前の戦国時代にも、この土地が戦争とは無縁の平和な場所だったのは、この自然の要害のお陰だった。


 重い荷物を担ぎながら予定通りの行程を踏破し、魔物除けの香草を焚きながら夜を過ごし、そしてもう一日かけてついに領都にたどり着いた。

 王都やメリーナ領都なんかとは比べ物にならない小さな町だけれども、この荒野の中僅かに残された人の住める土地にひしめき合う様に密接するこの町が、俺の生まれ故郷だった。

 人が数人すれ違うだけで精一杯の大通りを抜け、小さな町だから、突然の帰郷に関わらずたちまち住人が出迎えてきてくれてちょっとした騒ぎになる。彼らに預かってきた手紙や金を渡し、何とか領館へと向かおうとするが、少し歩けば人につかまり、また少し歩けば人に掴まる、といった具合で、町についたのが夕方だったにも関わらず家に帰ってきたのはすっかりと深夜だった。


「よく帰って来たな」


 光が消え、人の気配の無くなった領館で、出迎えてくれたのは父だった。

 我家は裕福では無いし、領主に連なる家の者はほとんどが騎士として哨戒の為に領都を離れ村々を回っているから、館はいつも閑散としている。お手伝いの方も家に帰っている時間だから、今館にいるのは家族だけだ。

 

 1年で何か変わるという事はないが、父は少し、痩せたようだった。

 祖父譲りの鋭い眼光は相変わらずだけれど、何だか昔感じた力強さが随分と弱くなったように感じられた。


「ドラゴンを倒したそうだな。やはりお前は祖父似だな」

「……もうそんな情報が? 町の人は知らない様子だったけど」

「親切な人が教えてくれたんだ。 町の人にはまだ知らせないから、羽を伸ばすといい」

「あぁ、わかった。 母さんたちは?」

「流石に眠っているさ。 どうだ? 少し酒でも飲まないか?」

「俺はまだ未成年だよ」

「祝杯だからいいんだ。 少しだけ付き合ってくれ」


 そして父は義足を引きずりながら、執務室へと向かい始めた。俺はその後をゆっくりと続く。


 子爵領は、山道から入ったすぐの町が領都で、その先はずっと荒野が広がり、所々に集落がある。魔物除けの魔道具なんて上等なものは無く、外部から騎士を雇う金も捻出出来ないから、領主の一族が絶えず集落間を回り魔物を狩る事を生業としている。

 そういう場所だから、死やケガは日常だった。父が足を失ったのは6年も昔の事になる。彼の特殊ながら淀みない歩き方は年季が入ったものだった。

 執務室に入り、戸棚をごそごそと探し始め、彼は一本の瓶を取り出し笑顔を浮かべていた。


「随分上等な酒だ。よく母さんにばれずに持ってたね」

「お前が成人したら飲もうと思っていたんだが、今日はそれ以上の祝いだ。さぁ飲もう」


 執務室のローテーブルに溜まった書類を脇にどけ、向かい合って座る。

 そしてグラスに琥珀色の酒が注がれ、乾杯を行った。

 喉を焼くような熱さに思わず顔をしかめるが、父は実に旨そうにそれを楽しんでいる。


「かーっ。うめぇな、おい」

「いやいや、よく飲めるねこんなの。喉が痛い」

「ドラゴン殺しの英雄様だがまだまだ子供だな。もう十年すりゃこの旨さが分かるさ」


 そうしてニコニコと酒が進む、父。何かつまめるものであれば良かったのだが、俺もちびちびと舐めるように酒を口にする。


「そうだ。ドラゴンの素材を国が買い取ってくれたんだ。俺が持っててもしょうがないから」


 忘れないうちにと、金貨が詰まった革袋を父に渡す。彼はしばし茫然と眺めた後、首を横に振った。


「お前の金だ。お前の為に使うといい」

「こんな大金、個人じゃ持て余すだけだよ。 領地の為に使ってくれた方がいい」

「…………すまんな、助かるよ」


 そして父が金を納めてくれた。顔は見なかった。

 なんとなく、このままだと気まずい雰囲気になる気がして、無理やりに話題を作る。といっても、雑談が出来ない俺はすぐに本題を切り出してしまうのだけれど。


「今回の件で国王に謁見したんだけどさ、流れで婚約者が増えたんだけど――――」

「まてまてまて。お前国王陛下に謁見したのか? 更に婚約者が増えただと? 出世したなぁお前」

「いやそういう感傷はよくてさ。結構困ってるんだよ、実際。 侯爵家と婚約している俺に、わざわざブラックウェル伯爵家の娘を宛がう理由って何だと思う?」


 父の、グラスを口に運ぶ手がぴたりと止まる。

 

「ブラックウェル家、だと。確かか?」

「確かも何も、王様から直々に婚姻するように言われたよ」


 ぐいっと父が酒を呷る。


「知っていると思うが、あの家は王家以上の王家だ。有力貴族や他国の姫君との血縁を重ねてきた王家とは違い、始祖からの血統を重視してきた。つまり近親婚を繰り返してきた一族だ。で、近年その無理が祟って時の当主が王宮で刃傷沙汰を起こしてしまった。平たく言えば、狂ってしまったんだな。近親婚を繰り返すとそういう人間がどうしたって生まれてくる。 それで伯爵家に降爵された訳だが、それでも王家以上の王家であることに違いは無い。厄介払いするにはお前がちょうど良かったんだろ」


 空になったグラスに酒を注ぎながら、父の話に聞き入ったが、その説明では納得できない。


「答えになっていないよ。そういう考えがあったとしても、侯爵家に泥を塗る理由が分からない」

「泥を塗りたかったのさ」


 父がまたぐいっと酒を飲み干す。


「なぁ1年暮らしてみて王都はどうだった?」

「どうだったってそりゃ驚いたさ。キレイだし、デカいし、あれだけ人口が居ながら清潔な水が手に入るのが信じられなかった」

「あぁそうだろうよ。それが答えだ。あの都は特権階級の欲望の為に、地方の富をつぎ込んで膨れ上がった巨大な都市だ。だがもう発展出来るだけ発展しちまった。膨れ上がりはち切れる前に、ガス抜きと新たな投資先を必要としてんのさ。

 ……わからない、って顔をしてるのな。特権階級ってのは、土地を持たない法服貴族共の事だ。これで分かったか?」


 考えたくなった結論に、ぱちりとピースが嵌っていくような感覚がある。

 領地を取り上げられた貴族。高まる王家への不満。そしてその不満が吐き出される先。


「まさか、戦争?」

「それはちょっと飛躍した結論だな。だが、あながち間違いでもない。法服貴族の悲願は自分達の所領だ。奴らは直情に任せて王家に盾突く馬鹿から領地を取り上げたがってんのさ。で、温厚な獣に石を投げつけて回ってる訳だ。虎の尾を踏んでいる事に気付かずにな」

「父さんは国王が傀儡だと思ってる?」

「どうだろうな。会ったこと無いからな。そういう意味ではお前の方が詳しいだろ。どうだった? 平和な世の凡王で甘んじる男だったか?」


 父の問いに首を横に振らざるを得なかった。もっと言えば、戦場で剣を振るうのが似合うような男だった。


「じゃあ傀儡ではなく、利害関係が一致しているんだろ。追い詰めすぎて剣を取られた時、どうするのかまでは分からないけどな」


 空になったグラスに父が手酌で酒を注ぎ始める。いい加減ハイペースすぎるので、酒瓶を取り上げる。


「ペースが速すぎるよ」

「祝い酒だからいいんだよ。 それでよ、どうするんだ? ミスティリーナ侯爵家の令嬢とブラックウェル伯爵家の令嬢と、選り取り見取りじゃねーか」

「急に猥談みたいな内容になったな。 どっちを選ぶとかいう段階じゃなく、王国の陰謀に巻き込まれているっていう至極真っ当な話をしているつもりだったんだけど」

「そんなもん考えるだけ無駄さ」


 顔が赤く酔いが回り始めているくせに、口調に酔いは感じられない。


「陰謀なんてのはいつだって企てられてんだ。いちいち気にしてたら身が持たねーよ。それに、他人の動向を気にし過ぎてたら生きていけないだろ。まぁ数奇な人生を生きている、と少し同情するがな」

「父さんみたいに能天気に生きられたら、いいのにって思うよ」

「その辺りは母さんに似たんだろうな、お前は」


 そして父は再度グラスを空にした。


「なぁ、そろそろどうやってドラゴンを狩ったのか、話してくれないか?」


 そう言った父の眼に、淀みはなかった。

 足を失ってから、彼はすっかり塞ぎこむようになり、あれほど仲が良かった母とも、壁が出来たように感じていた。

 酒が入らなければ饒舌に話せなくなった彼だけれど、狩の話だけは目を輝かせる。

 今もその目には輝きがあって、いつか憧れた、騎士団の一行を率いる父の瞳だった。


 そうして、久方ぶりの領地での夜が過ぎていった。


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