悪役令嬢を追放しないと死んでしまう件

@nakasugi

第1話 許嫁である悪役令嬢について

 俺には朧気ながら前世の記憶がある。

 

 前世の俺は、ニホンという国でごく普通のシャカイジンという身分の男だった。

 ほとんど霞がかって判断が付かない記憶ばかりだが、生きてるのか死んでるのか分からない、空虚な人生を送っていたようだ。

 それでも思い出せることは幾つかある。

 その1つが、『悪役令嬢を追放しないと死んでしまう件』という遊戯にひどく執心していたことだ。前世の俺はその遊戯を面白おかしく楽しんでいた様だが、今の俺はそれを全く笑えない。

 

 その物語は各ヒロインと仲を深め、許嫁である悪役令嬢との婚約を破棄しないとデッドエンドを迎える。という悪趣味極まりない物語で、その悪役令嬢の名前を『フィオナ・フォン・ミスティリーナ』といった。

 何を隠そう俺ことレオナルド・フォン・ロートブルグの許嫁様だった。

 


 衝撃の事実を知らされたのが10歳の時。かといってたかだか子爵家の小僧に何か出来る訳が無く、フィオナ様との婚約は5年間続いている。

 そして現在、俺達は遊戯の舞台である王立貴族学院に通っていた。

 

 もっとも、本音を言えば俺は今すぐにでもこの学院を退学したい。

 卒業と同時に最終イベントが起こるからという理由もあるが、フィオナ様以外の登場人物や出来事のほとんどを思い出すことが出来ない現状、そんな得体の知れないものに人生を左右されるなんてナンセンスだった。

 

 この世界に生きる1個の人間として俺は、冒険者としてこの身を立てたいという切なる願いがある。


 それがこの世界でどれ程異端であるかを15年間で思い知ってきた訳だが、その夢の為に俺はフィオナ様との婚約を、どんな無理筋でも出来る限り穏便な形で婚約破棄に持っていく必要があるのだった。

 侯爵からの申出を子爵家が踏みにじったとあれば容易く家を潰されてしまう。

 あくまでフィオナ様から婚約破棄を持ち掛けてもらう必要があるのだ。 



「おいおい何黄昏てるんだよレオ。授業終わったぜ、飯食いに行くぞ」

「あぁ悪い悪い」

 

 歴史の授業は退屈な講義だから、どうしても物思いに耽ってしまう時間だ。見かねた友人たちがわざわざ声をかけてくれ連なってカフェテリアへと向かう。

 

「ったくかったるいよなー。歴史なんて学んでも何の役にも立たねーよ」

「ホントの上流階級だけだよな必要なのは。普通の男爵家なんて自分の家の歴史すら怪しいもんな」

「まぁ俺は嫌いじゃないけどさ」

「いつも寝てるヤツが何言ってんだよ」

「お前は必須なんだよ子爵家の嫡男が」

 

 そんな軽口をたたき合いながらがやがやと学院併設のカフェテリアへとたどり着く。

 

 学院は人数が多い。普通なら1つの街くらいの人間がこの学び舎には存在する。

 広い国土ながら全ての貴族の嫡男がこの学院に通う事が義務付けられていた。それは時代と共に嫡男以外や子女にも及び、現在では貴族の血を引く者なら余程の事情が無い限り学院に通う事が不文律だった。

 お陰で様々な施設が敷地内に併設されており、ここ以外にも幾つか食事場所があるほどだ。しかしこの店は値段も手ごろながら各教室からのアクセス抜群で、俺たちも昼食のほとんどをこの店で賄っている。

 他の、上位貴族御用達の店は居心地が悪すぎるというのが最大の理由ではあるのだけれども。


「いつにも増して混んでるな」

「まぁ仕方ない。後にするか」

「いや午後から剣術授業が続けて2コマ入ってる。食べてすぐ運動はきつい。何とか席を探そう」


 そんな相談とも言えない会話を交わしながら、何とか空いている席を探して奥へと進む。


 貴族だけに限らず、王家も、平民も、他国からの留学生も通うこの学院では平等なんて言葉は存在しない。カフェテリア1つとっても住み分けが出来ている。

 窓際の落ち着いた席は伯爵家以上の場所、少し離れた場所が普通の貴族の場所、ずっと奥の離れた場所が平民の場所。といった具合に。招待されているかとか教師が同伴している場合とか、貴族でも長男なのか次男なのか、様々な要素で変化が起きるから必ずしも一定では無いのだがそんな棲み分けがある。


 子爵家といっても裕福な騎士家ほどの富もない貧乏貴族や男爵家の次男、三男坊なんてグループはほとんど平民と変わらない。つまり俺たちは平民グループと貴族グループの間をうろうろしている訳だ。前世の言葉を借りれば陰キャ集団というカテゴリーに属する。

 それでも文句はない。正直に言って領地よりも旨い物を食べている自覚があった。腹が満ち寝る場所もあるのだから文句を言うのは贅沢だった。


「お前さー。夏季休暇になったらどーする」

「どーするって実家に戻るしかないだろ」

「いや実家に戻ってもやること無い訳だろ。どこか遊びに行てーなーって話」

「そういうのは上級貴族様の友達を作ってから言えよ」

「あいつら北方にバカンス用の領地まで持ってるもんな」

「羨ましい話だよな」

「黙ってるけどレオはどーすんだ?」


 ふいに会話を振られる。適当に聞き流していたから何も頭に思い浮かばない。思わず素で返事をしてしまう。

 

「ん? 俺? 俺はダンジョン巡り、かな」

「出たよ。レオのダンジョン狂い」

「お前ホント好きだよな魔物狩り。ぜってぇ生まれてくる家を間違えたよお前は」

「ははは。 でもまぁ面白いよ? 一緒に行ってみる?」

「ぜってぇ行かねー」

「何が悲しくて休暇で暗くてジメジメして汚い所に行かなきゃならねーんだよ」


 そんな他愛の無い会話が繰り広げられる。

 

 彼らは気のいい連中だった。

 そんな彼等でも、冒険者という職業は下に見ている。

 

 残念だが仕方がないという現実も分かっていた。冒険者という職業はギルドにさえ登録すれば誰でもなれる。魔物を狩り冒険者らしい人生を送っているのはせいぜい4割程。残りの6割は溝掃除や配達業務、人足など街の雑用業務をこなして食いつないでいる。その4割だって冒険者だけで食えているのは半分ほどになる。そういう職業だった。

 

 この世界にはダンジョンに宝箱があることなんてない。魔素が澱みやすく魔物が湧きやすい洞窟や洞穴、遺跡を総称してダンジョンと呼んでいるだけだ。魔物の体内にある魔石という宝石をギルドが買い取ってくれ、それを狩り集める事で冒険者は食い扶持を稼ぐ。

 

 処理された魔石は都市や村々、街道に設置され魔物除けの魔道具のエネルギーとして使用される。街道を離れれば魔物と遭遇するこの世界では必要不可欠なものだった。 

 それでも冒険者の身分は低い。憧れは揺るがないけれども、未だに冒険者という職業に絵本の冒険譚のような憧憬を抱くのは俺が幼いからなのかもしれなかった。

 卑屈な作り笑いが浮かびそうになる。


「楽しそうにお話をしていますね。 私も仲間に入れてくれませんか」


 唐突に話しかけてきた女性の声は凛としていて、透き通るようによく通った。時間が止まったような静けさの中心で、トレイを優雅な手つきで持つその女性は、俺に微笑みを浮かべてくる。


 彼女こそが俺の許嫁、フィオナ様だった。


 思わず友人たちがぎょとした顔を浮かべる。

 周囲も騒然とし始めている。ここは平民グループの席。間違っても侯爵家令嬢が来る場所ではない。

 それに彼女は本当に特別だった。上級貴族のほとんどが学校指定の制服ではなく自前のドレスなんかを誂えているなか、一貫して彼女だけは学生服を着用している。普通なら凡百の中に埋もれてしまう筈がかえって際立たせる本物の気品が彼女にはあった。

 線が細い体躯のせいか、しなやかな長い手足のせいか、白磁のような美しい肌のせいか、手入れの行き届いた王国では珍しい長い紫髪の光沢のせいか、凛とした背筋の伸び切った様子のせいか、あるいは自信に満ちた切れ長の大きな瞳のせいか。そこに佇むだけで抗いがたい存在感がある。

 カリスマと一言で言うには言葉が足りない、本物の貴族が彼女だった。


「す、すみませんフィオナ様。俺たちは食べ終わりましたのでどうぞごゆっくり」

「じゃぁレオまたな。 俺たちはここで失礼します」


 先ほどまで談笑していたはずの友人たちがあっという間に退散する。上位の貴族に話しかけられてこの態度は本来アウトなのだが、可能ならば俺だって逃げ出したい。


「気を使っていただいてしまいましたね」

「えぇ、そうですね」

「探しましたのよレオ様。クラスが違うからお昼時しか一緒に居られないのにいつも何処かに行ってしまわれるんですもの。 こんな所にいらっしゃったのですね」

「ははは……」


 当然の様に俺の向かいに座り、昼食を摂り始めるフィオナ様。彼女をこんな所で食事させたといってまたやっかまれるのだろうなと少し気が重くなる。


 侯爵家令嬢フィオナ・フォン・ミスティリーナ。王国においてもう1つの王家と呼ばれるほど由緒正しいミスティリーナ侯爵家の長女は、現在この学院で最も身分が高い存在だ。

 故に、彼女はこの学院で姫君のように扱われている。貴族にとっては仕えるべき存在とされ、平民からは仰ぎ見る存在として。

 そんな存在に俺のような木端貴族が許嫁として存在するから、俺はこの学院で疎まれて生きている。身の程を弁えず許嫁の席に留まる恥知らず。天使をないがしろにする卑劣感。等々。とまぁ散々な言われようなのだった。


「ご友人とは楽しくおしゃべりなさるのに、私とはあまりお話してくれないのですねレオ様は」


 黙って食事を続けていると、少しだけ不服そうにフィオナ様がそんな事を言う。

 周りの生徒が聞き耳を立てこちらに注目している状況で滅多なことは言えない。大人しくこの時間が終わってくれれば良かったのに、なんて思いながら言葉を探す。


「そんなことありませんよ。恐れ多いだけです」

「む。 許嫁として紹介されもう5年ですよ。それなのに全然心を開いてくださらない」

「そんなことないですよ。 このようにお話しする女性はフィオナ様だけです」

「それはレオ様がほとんど友人を作らないからでしょう。 気心の知れた間柄はもっとくだけた喋り方をして、もっと色んな話題をするものです」

「申し訳ありません。 生憎口ベタなもので」

「そうやってすぐに話を終わらせる。もう少し会話を広げてくださらないと寂しいです」

「申し訳ありません。気を付けるようにしますね」


 事務的に、出来る限り感情を込めずに平坦に会話を心がける。

 『悪役令嬢を追放しないと死んでしまう件』のフィオナと、目の前のフィオナ様は随分と印象が違う。こんな対応をするのは心苦しくなるほど、フィオナ様は元来素敵な方だ。

 不敬ぎりぎりの態度を取り続けているのに、健気に許嫁と関りを持とうとする。

 

 だから命を助けられたからといって、同じ年に男女の子孫が生まれる事があれば2人を結婚させる。と定めた祖父連中が憎い。

 

 彼女は家が決めた結婚相手だから俺と関わりを持とうとする。

 

 無能を演じ、冷たい態度で彼女から嫌われ愛想を尽かされれば、向こうから婚約破棄を申し出てくれるのではと思ってはいるが、この一年その作戦の結果は芳しくない。どうにかして卒業までの間にフィオナ様との婚約を解消しなくてはならないのだが決め手に欠けているのが現状だった。


「私考えてみたのですけれど。レオ様。 やはり私たちにはもっと共有する時間が必要ですわ。領地経営学や最新の農耕術は学んでも絶対に損はありません。今からでもクラス替えは受け付けると先生が仰っておられ――――」

「それは出来ない」

「え?」

 

 思ったより冷たい声が出ていた。けれどそれはどうしようもなかった。折を見て彼女は上位貴族のクラスに変更を申し出てくるけれど、その生き方は俺の生き方ではない。

 

「失礼しました。たかが子爵家にそのような大層なものは必要ありませんよ。それに学生時代くらいお互い自由に生きませんか」

「ちょ、ちょっと待ってくださいレオ様」

「申し訳ありません。剣術の授業の準備がありますので、これで」


 大人げない事は分かっていたが、逃げるようにカフェテリアを後にする。

 貴族として生まれた以上貴族として生きる。それが責任だ。けれどどうしても夢は諦められない。

 家の命令に逆らえずこんな学校に籍を置いている。俺はこの2年でどうにかして貴族世界から解放されなければならない。

 最終イベントを逃れたい。そんな思いもある。けれど、冒険者という人生に焦がれる俺にとって彼女の存在は黄金で出来た鎖だった。どんなに価値があっても断ち切らなければ生きていけない。


 これ以上何かに縛られるのは真っ平だった。

 それがどうしようもなく駄々をこねているだけの我儘であることは分かっている、それでも、そうしなければただ死を待つだけの人生を送るしかないのだ。

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