第28話 戦争が始まる 続々

 間借りしている伯爵邸へと帰路についた時だった。

 家の前で見知った3人組が居た。

 辻馬車の御者に止まるよう言い、3人の元に向かう。


「久しぶりだな」


 努めて明るい声を出す。王都の襲撃事件からまともに顔を会わせることが無かったから、彼等との再会は素直に嬉しかった。

 薄汚い貴族連中と付き合っていた疲れが、吹き飛ぶような思いだ。


「おぅ、レオも元気そうだな」

「遠い人になっちまったけどな。式とかは挙げねーの?」

「情勢が情勢だからな。それに……いや、そんなことよりどうしたんだよ」


 レグゾールとディリアスは相変わらずの様で、一瞬だけだけど、学院時代に戻れたみたいだった。

 まだ大して時間が経ったという訳でもないのに。随分と懐かしく感じられる。


「俺たちは顔を見に来ただけなんだけどな」


 2人がイルティナの方を向く。

 久しぶりに出会った彼女は、敵意剥き出しといった様子で俺を睨みつけている。

 和やかに雑談、という訳には行かないようだ。


「まぁ入れよ。勝手知ったる他人の家だがな」


 家主である伯爵に伺いも立てずに客を迎え入れるのもどうかと思ったが、直に戦争に行き部屋も元通りになるのだから、細かい事は言われないだろう。


「いや俺たちはここまでいいよ」

「本当に顔を見に来ただけなんだ」

「……そうか」

「あぁ。今度旨い物食いに行こうぜ」

「俺は酒が飲みたい」

「……そうだな。各地の色んな料理と旨い酒を出す店を知ってるんだ。今度一緒に行こう」

「あぁ、楽しみにしてるぜ」

「約束だからな」


 気持ちよく、後ろ髪を引くようなことはなく、彼等が去っていく。夕暮れの中、茜に染まる彼らの背中をそうして見送った。

 そして、この場に残る敵意剥き出しの友人と2人きりとなる。


「なんか怒ってる? イルティナ」

「かなりね。でもまぁ中に入れてよ。外でするような話じゃない」


 長い付き合い、という訳でもないが。彼女とは1年間共に過ごした、数少ない友人だった。そんな友人のかなり怒っているという様子は初めての事で、何を言われるのか、少し構えながら部屋まで案内をする。


 おかえりなさいませ、と挨拶を交わしてきてくれるメイドさんに2人分の紅茶をお願いする。子爵家には専門職は居たがメイドは母の手伝いをする1人しかいなかったから、こうして誰かを使うという事は縁のないことだった。しかしそれもこの家に来てからすっかり慣れてきていた。


「なんか変わったねレオ。貴族っぽいというか、すっかり貴族って感じ」

「少し自覚があるから、耳に痛いセリフだよ」


 そんなあいさつ代わりの軽口を交わしながら、ソファに向き合って座る。


「なんで結婚相手がレイヴィン様なの」


 イルティナの強い口調。それにどのように答えるべきかと考え込んで、結局正直に白状する事になる。

 俺はまだ貴族世界の権謀術数の片鱗も見ていない若造だが、心を許せる友人にまで嘘で煙に巻くことをしたくなかった。


「王家からの事実上の命令だからな。それに侯爵家との誼は絶対に断ち切らなくてはいけなかった。だからそうするしか選択肢が無かった」

「まさかとは思うけど、本当に侯爵様とフィオナ様が王国を裏切ったと思ってるの?」

「お前、そんなに侯爵家贔屓だったか?」

「誤魔化さないで。あんた本当に侯爵様とフィオナ様がこんなことすると思ってるの?」


 市民にも、イルティナの様に侯爵冤罪説を唱える者はまだまだ多い。表には出さないが貴族連中にもそれを信じながらも王に付き従っている者も居るのだろう。

 だが、状況証拠的には彼等で確定だった。実際、そのように大局が動き出してしまっている。

 返事をせず黙りこくっている俺に、イルティナが胸倉をつかんでくる。


「あんたね! 侯爵様とフィオナ様がこんなことをする訳ないでしょ! あんなに優しい人たちだもの! それにだいたいあんたがドラゴンを狩った現場にフィオナ様が居たのよ! 学院の襲撃の時だって! あの侯爵様がフィオナ様を危険な目に遭わせる訳が無いじゃない!」


 物凄い剣幕でイルティナがそう捲し立てる。

 心情だけで言えば、彼女の言はもっともだった。だけどあの人たちも貴族だった。目的の為なら満面の笑みで毒を飲み干すことが出来る。そういう人種だ。

 たとえ王国への反乱が侯爵閣下の意思ではなかったとしても。自分を慕う貴族家が理不尽な理由で領地を召し上げられ泣きついてこられたら。彼が動かざるを得ない事態にまで事が逼迫していたとしたら。

 彼は動くだろう。優しい風貌の下に、そういう牙をちゃんと持っている人だった。


 そういえば。イルティナはメリーナ領でのあの一件以来、侯爵邸で夏季休暇を過ごしていたと聞いた。彼らの傍に居て、その人となりを深く知ったならば、この状況は信じ難いものだろう。

 本当に、信じられない状況だろう。


「それで今度は侯爵領へ進軍って! あんた本当に分かってるの! あんた自身の手でフィオナ様を殺しに行くって事よ!」


 彼女の言葉はいちいち耳に痛い。そして、昔の自分を見ている気分になる。

 感情に任せて自分の理想論と正義を並べ立て、それが通るのであれば何て素敵で楽だろう。

 でも現実はそうじゃない。泥水だって毒だって飲み干していかなくてはならない。


「じゃあどうしろと?」


 言い返すつもりなど毛頭なかったのだが、俺もまだ甘いようで、睨みつけているイルティナにそう怒気を返す。


「侯爵と共に王国に反旗を翻せと? 俺個人は彼等と勝手に心中してもいいだろうが、残された家族は? 子爵家の皆は? 王国に盾突いた息子を勘当したとしても、あの家は滅びるぞ? 俺一人の勝手で巻き込んでいい訳がない」


 悲痛な叫びの様に、そして最後は絞り出すようにそんな言葉を吐いていた。

 気が付けばイルティナの二の腕を力強く握りしめていた。彼女が痛みに顔をしかめている。

 手を離し、彼女の二の腕を擦りながら謝る。


「すまない。少し、感情的になった」

「ご、ごめん。わたしも」


 沈黙が流れる。イルティナと2人で居る時はお互い無言でいる時間も苦ではなかったのに、今は全身に針が差されるような思いだった。


「何でこうなっちゃったんだろう」


 イルティナの、誰に言うでもなく零れた言葉。

 その言葉に俺は無言で同意するのだった。


 

「ねぇ。フィオナ様、どうなっちゃうの?」


 帰り際、イルティナがそう尋ねてきた。その問いの答えは悲惨な結末しかない。それでも答えた。


「直接反乱を指導した立場だから、まず極刑だと思う」

「あんなに素敵な人たちが縛り首なんて、納得できない」

「でもそれが、この国の法だから」


 感情の乗らない平坦な言葉の応酬。お互いに自身の無力さを痛感しているから。ただただ不毛な確認。


「ねぇ? 本当に侯爵様とフィオナ様が王都にドラゴンを放したと思う? 大勢の民衆を巻き沿いにする、そんな残酷な事が出来ると思う?」


 先ほどと同じような問い。けれどそこに怒りは無く、彼等の人となりを知るから生まれた純粋な疑問だった。


「こんな状況になった今も、私はそれが信じられないんだ。……ねぇレオ。レオはさ、結局フィオナ様の事をどう想ってるの?」

「どう想ってるって…………」


 今更考えてもしょうがない事をイルティナが問うてくる。答えはあるが、それはもう終わってしまった事だ。過去にして忘れなくてはならないものだった。


「もしも、でいいからさ。こんな状況じゃなくって、フィオナ様かレイヴィン様のどちらかしか選べないって選択が来たら、レオは誰を選ぶの」


 意味の無い選択肢だ。そう切り捨てることが出来るのにそれが出来ない。

 友人の目は本当に真摯なもので、これが例え話でも、嘘や煙に巻くような事が出来ない。


「……レイさんを選ぶよ。彼女には巻き込んでしまった責任があるから」

「そうじゃなくってさ。そういう事情を全部なしにして、どちらを助けたいかって選択だったら誰を選びたいの」


 答えは口に出来なかった。それはもう絶対に選ぶことが出来ないものだった。


「……………」

「そっか。そりゃそうだよね」


 沈黙をどう解釈したのか、少しだけ楽し気な声に俺には聞こえた。


「ねぇレオ。一生のお願いをしたらさ絶対叶えてくれるっていう約束覚えてる?」

「絶対叶える、じゃなかったと思うけど」

「ふふ。まぁいいじゃん。フィオナ様とちゃんとお話ししてあげて。それが私の一生のお願い」


 一生のお願い。メリーナ領で冒険者活動をするためにイルティナを誘った時に出された交換条件。あの時彼女はこれを盾に俺を生涯こき使うなんて嘯いていた。それを彼女は持出してきた。


「簡単なようで滅茶苦茶難しいやつだな、それ。こんな状況じゃ生きて会う事すら至難の業なんだけどな」

「でもまぁレオならなんとかするでしょ」


 あっけらかんと、友人はそう言った。


「そういえばさぁ。いつ出発するの?」

「明日にはな」

「そう。じゃあ頑張っていってらっしゃい」

「……催促する訳じゃないけどさ。一応俺戦争に行くんだけど。なんかもうちょっと相応しい言葉があるだろ」

「この位あっさりしてる方が私達らしいでしょ。それに、レオが強いって私は知ってるから」


 すっかりと日が暮れた王都の街並みへ彼女が走り去っていく。


「皆でお祝いするときは、私も混ぜてね」


 そんな言葉を最後に残して。

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