よき乳房よき手に触れず秋高し

 髪は女の命とか言うけど、じゃあおっぱいは何?

 子どもを育てるためにある。それは事実。牛や猫にもある。大切なものだから保護される位置にある。両腕で抱いて守れるような位置に。あるいは抱いて慰められる位置に。猫も丸くなればそれができる。そんな風にしたい気分になるかどうか知らないけど。

 もう一つ乳房が女の体にあるのは、男を惹き付けるためだろう。結局はこっちの要素の方が大きな気もしなくはない。そんなに男が好きじゃなくとも、男を寄せ付ける必要性のない年齢になっても、乳房は男を意識するためにある。もし人間が女しかいなくて、女だけで新たな女を生み出すことのできる世界だったとしたら、乳房が女の体の中でこんなに大きな意味を持っただろうか。

 乳房は個性だ。本当に人それぞれだ。他人のおっぱいを見る機会なんてそうあるものではないけど、そんな機会にはつい目がいってしまって、レズっていつもこんな感じなのかなと思う。それこそ雌牛みたいにたっぷり膨らんでいる人もいれば、漏斗を並べてくっつけたような人も。私がいま言っているのは、銭湯とかホテルの大浴場でのこと。こういう感覚って女特有だろうか。男も同じようなところで裸になっていたら、自然と他人のペニスに目がいって、その大小で優劣を判断したりとかするのだろうか。

 美人やかわいい人が、必ずしもきれいな乳房を持っているものではない。モデルと見紛う美形の子がクリームパンみたいな申し訳程度の起伏の上にボタンみたいな乳首を二つ並べた体だったのを知った時は、ちょっとシラケてしまった。へえ、あんな体に欲情する男がいるんだ。馬鹿みたい。男っていつも巨乳にしか反応しないものだと思っていたけど、顔さえ良ければ体の熟成具合は多少妥協できるのだろうかとも思った。でもあの子を抱いた後できっと相手の男は●●●●とか◎◎◎◎みたいな巨乳女優のAV見て鬱憤晴らしてるよ。って私は何の話をしているのだか。

 心も身体も許した相手だとしても、不用意に乳房には触られたくない。いくらたった一人のあなただって、気軽にいつでも触れていいものではない。

 触れるべき時と、触れ方がある。そうして欲しい気持ちの時がある。それは尊重して欲しいのだ。

 この人だけに触れて欲しい人がいる。この人は、自分の乳房にどんな風に触れたろうかと想像してしまう人もいる。みな私を通過していった人。あの人たちは、いまはそれぞれにパートナーがいて、そして、どんなしかたで相手の乳房に触れているのだろう。それが自分だったとしたら、などと思って、見たこともなくそもそもいるかどうかもわからない誰かを妬いている。

 自分の乳房を「よき乳房」とはナルシシズムも甚だしいが、そういう気持ちは誰にでもあるものではないか。やっぱりこれがなくなってしまったらしみじみかなしいと思う。中城ふみ子とか言ったか、乳癌を切除して『乳房喪失』とかいう歌集になるくらい、おっぱいを喪った感情を歌にした人もいる。

 でも「よき手」・「よき人」がそれに触ってくれるかどうかは別だ。

 こればかりは自分一人では仕方ない。自分の手は自分の乳房にどう触れるのか、自分が知らない訳がないのだから。でも、そんな人やその人の手はこれから現れるのだろうか。もう過ぎてしまったのか。迂闊な自分が気づかなかっただけ?


 そんな日にも、秋の空は高くて、街はいつものように、それぞれの生が動いている。

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