何事もなくて眺むる桜かな

 そうする必要のない人を憎み、そうする必要のない状況で腹を立て、想定する必要もない言葉を頭の中で放っている気がする。そうして一人で必要のない疲労に包まれ、なおかつそれが生きることだと思っている節がある。つまりは暇なのだと思う。

 自分を忘れることが最大の幸福だと言った人があるらしい。人間は何らかの点で常に自分にとらわれている。自分の存在をたえず気にかけ、周囲の状況や他人との関係の中で損得勘定に余念がない。そんなことを全て忘れ、自分があるということをおよそ気にするよすがもないあり方が一番自由であり幸福なのだと。

 それはそうだろうという気がするが、だからといってがむしゃらに毎晩遅くまで働くことでそれを実現すればいいとは思わない。それは悪い意味で自分を忘れることであり、それどころか自分を粗末にしていることでしかない。自分を離れることと自分を粗末にすることは全然違うのである。

 困ったことに日本社会は、そんな風に生きようと思えば造作なくできてしまう。おまけにそれが持て囃されることも珍しくない。働き方改革の声が叫ばれて久しいが、労働至上主義もいまだ根強い。給料が上がらないからだというのも一つだが、変にまじめ過ぎる国民性そのものも弊害だと思う。権力も権力でそれを利用して、労働意欲が低下しないようにわざと低賃金のままに据え置いているのではないか。

 しかしそんなことはどうでもいい。こういう話をするつもりはなかった。

 心に何の波乱もなく、平静に花を眺めたいものである。一輪の花が開く力の前では、人間の苦悩は実に小さいのだ。つまらないことなのだ。一輪の花が開く時に全世界が強力するとかいう言葉を何かで聞いた気がする。そう考えると、やはり人間の苦悩などたかが知れていると思う。僅かな時間しかこの世に留まらない花が人間に教えてくれることとは、つまりそれが最大のものではないか。

 今年は全体的に植物の成長が早い。染井吉野も咲いた。この花が広く愛される理由の一つは、全ての時間において見映えがする点だろう。私は夕方の桜がもっとも好きだ。なぜかカーペンターズの妹の歌声を思い出す。ああいう優しさを湛えた姿だと思う。何思い煩うことなく、気にかけることもなく、心に染み透るがままに桜を眺めたいと思う。


 咲けば散るだけと知りつつ桜かな


 終わりを知るからこそ、生きているいまこの時間をより良く過ごせるはずなのだ。

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