轢かれてるよかった子猫じゃない襤褸(らんる)
子猫は春の季語だそうだ。春先は猫の発情と繁殖のピークだかららしい。確かに昼間だろうが夜中だろうが構わずひどいダミ声全開で愛しいひと(猫)を探す猫の声をよく耳にする。
猫は大きな物音が嫌いな生き物なので、車の轟音が行き交う車道にはあまり近づかないはずである。車のいない時(轟音がしない時)を縫ってそそくさと走り抜けていく様子をたまに見る。従って轢かれてしまう猫は耳が悪くなり、動作も鈍くなった老猫の方が多いはずだ。
この句ははっきり言って嘘だらけである。ある日車窓から道の端をチラと見ると、白猫が轢かれていた。はっきりと猫だった。それを句にしようと思ったが、うまく十七音に収まらない。大きさから見て子猫ではなかった。しかし季語となるのは子猫だから子猫にした。轢かれているのは実際には猫だったが、実はボロ切れだったということにした。襤褸という言葉には「らんる」なる読み方もあるのでちょうどうまく末尾に収まった。久保田万太郎の「時計屋の時計春の夜どれがほんと」みたいに、定型的な言葉並べをあえて排した結果、現場からの実況中継のようなインパクトを持つ出来になったのではないかと思う。
しかしこれは実際に私が見たのとは正反対、いわば幻想の光景である。
皆吉爽雨は孫の皆吉司に、「俳句は純粋な写生ではなくウソをつくことだ」と言ったそうだが、自分も作る側にまわってみると、なるほどと思える一言である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます