シャーペンの塗料消えてく夏休み
私はそんなに勉強ばかりしていた学生ではなかったと思うのだが、机上の鉛筆立てから取り出したシャープペンシルを見ると、見事なまでに塗料が剥げ落ちているものがあった。元は水色だったのが、持った時に、掌の指の付け根部分が触れる辺りがことごとく白くなっている。
この剥げてしまった塗料はみんなどこへ行ってしまったのか。時々私はそういうことがとても不思議になる。例えば靴は履けば履くほど底が磨り減っていく。タイヤも転がせば転がすほど磨耗していく。その磨り減ってしまった部分はどこへ消えたのか。道路に吸収されたのか。よく見ると細かい細かい粒子になって散乱しているのか。シャープペンシルの塗料にしても、落ちた当初は私の手に付着していたかもしれないが、他のものに触れていくにつれ、だんだん小さくなって、消滅してしまったのか。
ものが「消える」ということが、私は不思議で仕方ない。確かに存在していたものが、もうどこを探しても見つからない。存在しなくなるということは、目に見えるものとして存在しなくなるのであって、目に見えなくなるものとしては、別の場所で存在し続けるということなのだろうか。完全に無となって、破片も微粒子すらもなくなるのか。しかし無というのは結局何なのか。「無」が存在しているというのなら、それは何物かが存在しているということになるのだから、「無」ではないのではないか。
なぜか哲学的な話になってしまった。哲学は苦手なのだが。
人間が死んだ後どうなるか、という命題には、文化や宗教によっていくつもの答えがあるようだが、どうも「死んだ後も自分の存在が延長するらしい」点では主要な宗教は共通していると言える。仏教にしろキリスト教にしろ、天国とか地獄とか三千世界とか持ち出すが、つまりはこの世からいなくなっても別の世で我々はまだ存在するのですよ、ということだ。輪廻だって、つまりある一人の存在、佐伯安奈なら佐伯安奈が、人間になったり消しゴムになったりキリンになったりする、ということなのだろうから、なんであろうとも佐伯安奈の存在は延長し続けるわけである。
しかし大体自分の存在が気に入らない私からすれば、死んだ後も佐伯安奈の存在が延長するというのは納得出来ないのだ。不愉快なのだ。なんで人間は、死んだ後も天国や地獄や来世など考え出したのだろう。死ねばおしまい、自分の存在はどこにも引き継がれない、とあっさり結末をつけられなかったのだろうか。
去年身内が他界したのだが、「安らかにお眠りください」と言っている裏では、「仏様になるためにはいくつもの修行と階梯を得なければならない」と坊主の説教をまじめに受け止めている人がいて、それじゃ安らかに眠るどころじゃねえじゃねぇか、と内心一人突っ込んだものだった。しかし誰もその矛盾を口に出しては言わないのだ。思っていて言わないのかと思いきや、どうやら全然気づいていない人が大半らしい。さすがに私もいい大人(たぶん)なので誰にも言わなかったが、やっぱりただ眠らせておくだけでは物足りなくて、どこかで何かをやって存在していて欲しいという生者の欲が、こういう矛盾した発想を思いつかせるのだろうか。
私はつくづく無宗教で葬られたいものだが、できれば葬式すらして欲しくない。お経を聞いていると眠くなるという人が多いが、私は耳元で絶えず脅迫されているような気がして眠くなるどころではない。
お経を聞いて「ありがたい」と思う感情も私には不可解だ。言語のわからぬ国のポップミュージックを聞いて意味は分からなくとも良いと思うのと同じことだろうか。
「結婚式や葬式、成人式などの意味も私にはわからない。結婚式は見世物のようだし、自分が死んだら自分の関係者が自分を弔うために集うなんてもはや罰ゲームにしか思えない。」(金原ひとみ『軽薄』より)
私はこの小説家の言うところに全面的に同感である。
ところで夏休みというとずっとヒマな月日みたいな感じがあるが、学生(少なくとも高校生まで)のそれはヒマとは言えない。結局毎日部活と補習とか補講で学校に通っていたから、夏休みが終わっても校舎よひさしぶりなんて感懐は露ほどもなかった。
一夏でシャーペンの色がきれいに剥げ落ちてしまったわけではないけども、シンとした校舎で数人の不出来な生徒と共に、数学のプリントを睨んでいた思い出にささぐ挽歌みたいな一句である。
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