春の灯を持たぬ隣家となりにけり

 最近通勤路沿いの家の解体によく出会す。そのうちの一軒は自動車整備をしていた平屋の民家だ。70代くらいの老人が一人でやっていたようで、よく車を動かしている姿を見たものだが、今年に入ってから入り口が閉まったまま、老人の姿もとんと見ないので、さすがに廃業したかと思っていたら、いつの間にか重機が入り込んで更地に近い状態になっていた。大して高くはないが、山の麓にへばり付くようにある店で、しかも屋根には50センチ四方はありそうな穴が空いていたので、いつまで持つのだろうかと思っていたらあっさりなくなってしまったわけだ。解体が済んで敷地だけが残されてみると、これだけの空間であの老人は仕事をしていたのか、と赤の他人の人生と身の上に少し思いを馳せてしまう。あんな雨漏り必至の家に住んでいたのかどうか知らないが、今はどこでどうしていることか。

 先日、隣家の老婆が亡くなった。90代後半の大往生だったそうだ。この人は長いこと教員を勤めていたから、近所の人も私の家族も「○○先生」と呼んでいた。先生だった人は退職しても「先生」と呼ばれ続ける。社長や会長には必ず後任がつくが、ある一人の教師は後にも先にもその人だけである。

 私が最後にこの人を見たのは、もう10年は前のことだ。杖をつかず、一人ゆっくりと歩いてゴミ出しをしていた。割りと大柄な人なんだなと思った。聞くところによれば、老婆は広島で被曝したそうだが、証明してくれる人がいなかったために被爆者と認定されなかったらしい。よくタクシーでどこかへ行く姿を見かけたが、恐らく病院通いだったのだろう。よくこのお年まで生きられましたね、と頭を垂れたいような気分になる。

 老婆は妹にあたる人と二人で暮らしていた。独身だったのだろうと私はずっと思っていたが、葬儀には息子の妻という人が手伝いに来たそうだ。その息子さんは、もうずいぶん前に他界したらしい。

 平屋のこの隣家は、いま老婆の妹が一人で住んでいる。この人ももう90代かその手前くらいのはずだ。夕方になると、台所と思われるところに蛍光灯が灯り、食器を洗う音が聞こえる。ヘルパーさんが来て、食事の支度をしているようである。妹さんに身寄りがあるのかどうか、私は知らない。しかしいずれ遠くない未来に、この家は掲出句のようになるのだろう。

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