伯林の黒き夜へと雁渡る

 俳句が声に出して味わう文芸だということをしみじみと考えさせられたのは、飯田蛇笏の


 くろがねの秋の風鈴鳴りにけり


 の一句に感動してからだ。読まれた情景を想像するだけでも、いかにも涼やかできれいな一句なのだが、この作品はとにかくR音の連なりが美しいのである。

 強引に分解してみると


 くROがねの

 あきのふうRIん

 なRIにけRI


 となる。十七音の中でR音が四つ。そこを意識して口にしてみると、R音を飴玉のように舌先で転がしているような感覚も覚える。濁音が一つしかないことも音読した時にすっきりした印象を与えているはずだ。

 もう一つ言うなら、初五の「くろがねの」というのは、発音するとどこか重く沈んだ雰囲気を出す。母音がO音の語が一単語の中に二つ(「ろ」と「お」)入っているからだ。

 ところが続く中七と下五は、「あきのふうりん」「なりにけり」と、それぞれ口をはっきり開いて発音するA音で始まっており、また暗い印象を醸すO音が一つ(「の」)しかないことからも、明るくて伸び伸びとした感じを作り出しているのだ。もちろん俳句自体の意味である「秋の日に鉄製の風鈴が鳴っている」という情景のイメージも重なることで、先ほどのRの連なりとも相まって二重三重に爽涼な世界を完成している、途方もない一句なのである。

 こういう高度な句を見るとちょっと自分でもやってみたくなるのは素人の無謀さか、特権か。とにかく蛇笏句のR音の流麗さに強く打たれた私は自分でも作りたくなった。他にR音に留意した句も知らないので、自分で口ずさんで楽しもうとも思ったのだ。それが掲出の一句である。


 べRURIんの

 くROきよRUへと

 かRIわたRU


 蛇笏句よりR音が二つも多くなってしまってやや調子に乗った感じだ。しかし大きな声では言えないが出来映えにはそこそこ満足している。

 雁渡るは秋の季語で、主に夕方、雁の群れが飛び去っていく様子だ。と言っても実際にそういう光景を見た記憶はないので(何かの鳥が晩秋の暮れがたに飛んでいるのはよく見るが、雁かどうかわからない)、架空もいいところの句である。

 この雁たちがどこからベルリン(伯林)まで飛んでいくのかは知らない。まあ二本松だろうがタシケントだろうがどこでもいい。しかし行き先はベルリンでないとどうも決まらない。R音の連続が美しい発音の都市、かつせいぜい四文字か五文字くらいとなると、他になさそうに思える。

 黒き夜というのは、当然夜は暗いから闇の黒さを表している訳だが、ベルリンという都市は1920年代のワイマール共和国末期にかなり頽廃的で猥雑な雰囲気をぷんぷん放っていたことも意識している。そういう意味からしても、ここは「ロンドンの夜」や「モスクワの夜」ではちょっと(いや、だいぶ)違うのだ。

 それにしても「伯林」と漢字表記するだけで、どことなく森鴎外の作品世界的なものを感じてしまうのは私だけか。そんなこと作句し終えて初めて気づいたのだが、これも文豪ならではの言葉の力というものだろうか。とはいえ「舞姫」は未読で「澁江抽斎」を三分の二まで我慢しつつ読んで投げ出しただけの私には特段言うことはない。

「雁渡る」の先行句としては、橋本多佳子の


 さびしさを日日のいのちぞ雁渡る


 が、一も二もなく好きである。

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