虚子の忌や紙なく宙に句を綴る

 4月8日は花祭り。お釈迦様の誕生日だが、高浜虚子の忌日でもあるらしい。この間読売新聞の「編集手帳」で読み初めて知った。

 虚子の句は特に好きでも嫌いでもないのだが、


 春風や闘志抱きて丘に立つ


 と、


 去年今年貫く棒の如きもの


 は強烈なインパクトを放つ名句だと思う。後者の「貫く棒の如きもの」とは一体何のことか、様々な論議があるのだろうが、私はごく自然に「高浜虚子という人物の人間性、性格」だと思った。どれだけ時が過ぎようとも変わることのない、いや変わりようのないある一人の人間の核心。それを「棒の如きもの」とは実に言いえて妙である。この句が鎌倉駅のホームに貼られていて、それを見た川端康成が雷に打たれたような衝撃を受けたというのも有名な話だ。確かにこんな天衣無縫とも言える俳句を駅のホームのような日常空間でいきなり目にしたら、何か見たことのない生き物に出会したような忘れ難い思いをすることだろう。

 この「棒の如きもの」の句を見るにつけても高浜虚子という人はよくも悪くも非常に個性の強かった人なのだろうという印象を私は持っている。「虚子天皇」なんてあだ名があったとも言われる。私が一番嫌いなパターンの人間だが、だからこそ惹き付けられるものもなくはない。ある点ではとてもしたたかで実に食えない御仁でもあったのではないか。

 例の桑原武夫の「第二芸術論」は、今でもたまには取り上げられることのある俳句論?で、当時の俳句界に与えた衝撃はかなりのものだったのだろう。

 ところでこの「第二芸術論」に対する虚子の反応がかなり面白い。虚子は俳句など所詮二番手の芸術に過ぎないというこの仏文学者の論文に、憤慨するどころか喜んでいたらしい。

 というのも、自分が子規の影響で俳句をやり始めたころは、誰も俳句を芸術だなどと言ってくれる人はなかった。それが今は「第二芸術」として認められたらしい。時代は変わったものだ。こんなことをある会合で虚子は言い、桑原に感謝していたそうである(これは神田秀夫という人の「現代俳句小史」に書いてある)。

 これは仏文学者のクセして門外漢の俳句にケチをつけたケンカ売りの桑原に肩透かしを喰らわせる効果を狙っての発言にも見えるが、やはり虚子の素直な本音だったのだろう。今でこそ、俳句人口は100万人前後の規模にのぼり、海外でも受容されているが、振りかえれば「誰も俳句を芸術だなんて言わなかった」時代も存在したのである。あんな古くさいものに手をつけるなんてよくよくの変わり者だと鼻で笑われた時代があったのだ。現代の私たちの感覚では想像しづらいが、「闘志抱きて丘に立つ」に込められた言葉の強さには、パイオニアの孤独と後には引けないという覚悟が複雑に織り込まれているのだろう。


 秋風や眼中のもの皆俳句


 作者名を伏せられて目にしたら、何という思い上がった句だろうと思うが、虚子の句と知れば納得のいくものがある。虚子でなければ成立し得ない句と言ってもいいのではないか。

 これだけ常に俳句を意識し、俳句を考え、俳句に憑かれていた人の目に写る世界は、画家の目に近かったかもしれない。枕元やトイレにも紙を置いて、いつでも書けるようにしていたかもしれない。紙がない時は、思わず空中に文字を書いていたかもしれない。そんな空想の中の虚子の姿を一句にした。

 私も通勤中に俳句を思いつくことがあり、着くまでに忘れないよう、何度も呪文のように唱えていることがある。他のことをしている時に、案外俳句が出来ることがあるのだ。2回に1回は、結局忘れてしまうのだが。

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