春の日を死出の旅路と知らぬ足
行旅死亡者とは必ずしも旅先や移動先で死んだ人のことばかりを言うのではなく、自宅で一人で死んでいても身分証明書が不完全だったりして、本当にその死亡者と同一人物かわからない時は行旅死亡扱いになるらしい。
後期高齢者医療保険証を持っていたのにも関わらず遺体がその持ち主と同定出来なかったからか、「40代~90代と推定される」などと表記されている例もある。遺体の状況によっては証明書と比較できないということはままあろう。
私が言っているのは官報で公表される行旅死亡者の情報のことだ。
「行旅死亡データベース」なるサイトをたまたま見つけて以来、思い出すと私はこれを見ている。愛読しているようなものだ。ずいぶん暗い人間のやることのようだが、人の死に様はまこと人それぞれだとつくづく思わされる。山田風太郎に『人間臨終絵巻』という有名な本があるが、あれは著名人ばかり出てきてあまり面白くない。人の死は結局人の死であって、有名も無名もないわけだが、訃報記事なんかに載ることなく青山斎場で盛大に弔われることもなく、今日もどこかで誕生している新しい死者のその死の有り様には、時として背後に潜むドラマを感じさせるものがある。
ある週刊誌が現金数千万円を残して他界した「行旅死亡者」の身元特定の試みを週刊誌らしい興味関心から記事にしていたが、実際たまには数百万円単位の遺産を残して死ぬ人もいるようだ。だが大抵は数百円とか数千円の世界。まあ身寄りはないしあとは死ぬだけなのだから、お金なんか残したって仕方がない。
沖縄の方だと海に浮いているのを見つかったという事例が多いようである。内地では山で白骨化していたというものがよくある。世界的に有名らしい青木ケ原樹海で見つかった「行旅死亡」の例は枚挙にいとまがない。福井だったと思うが、電柱で縊死しているのを発見された、なんて変わり種もある(昼顔や電信柱で首を吊る、と一句作った)。
例えば次に引く行旅死亡の事例などどうだろうか。
本籍・住所・氏名不詳(自称岐阜県可児市可児町1293小林宏)、年齢不詳(自称昭和21年4月21日生75歳)の男性、身長178cm、体重53. 7kg、現金(36,645円)、リュックサック、寝袋、杖、お椀、輪袈裟(ワゲサ)、数珠等を所持
上記の者は、行旅中の令和3年11月16日に高知県安芸市桜ケ丘町のごめん・なはり線球場前駅の休憩所トイレで動けなくなっていたところ、通行人の通報により県立あき総合病院へ救急搬送され入院し、同日生活保護申請を行いました。本人より聞き取った住所・氏名・生年月日は市の調査で該当がなかったため県福祉指導課に身元不明者照会を依頼し、生活保護法第19条第1項第2号により同日付けで保護を開始しました。その後、同年12月7日に入院先の病院で死亡し同年12月8日付けで保護を廃止しました。遺体は火葬に付し、遺骨は安芸市共同納骨堂において保管していますので、心当たりの方は安芸市福祉事務所まで申し出てください。
令和4年1月11日 高知県 安芸市長
(https://kouryodb.net/より全文引用)
戦後のモノのない時代に180センチ近くまで成長したくらいだから、恵まれた家庭に育ったのだろうか。それよりも私はこの人の最期に「足摺岬」に登場する老遍路の姿を見出ださずにはいられない(そして「ごめん・なはり線」が私の笑いのツボをじわじわ刺激する)。田宮虎彦のあの名作である。
折に触れて私は「足摺岬」を読んでは感動している。これは私としては珍しく何度読んでも飽きない。主人公の学生の自殺を思いとどまらせるのに一役買い、いつも同宿の薬売りと碁にこうじているひと癖ありそうな遍路の老人は、戊辰戦役で落城した会津の侍の成れの果ての姿であった。老人は遍路の季節になるとどこかからやって来てはその宿に止宿する。無口で凄みのある風貌だが、根には人間的な暖かみのある人らしい。ある時からぱったり来なくなったが、恐らくどこかで行き倒れたのだろう、ということで彼の姿は話の中から消える。
この行旅死亡の老人のように、「足摺岬」の老遍路も土佐のどこかでひっそりと世を去ったのだろう。この「小林宏」さんのような例は今でもそう珍しくないのではないか。
老人は死を自覚して遍路を始めたのだろうか。行旅死亡者扱いされているくらいだから、身寄りがないことは本人もわかっていたはずだ。本人が口にした住所に該当がなかったというのはよくわからないが、途中で倒れることを見越し家を引き払った上で遍路を始めたが、弱っていた状態で聞き取りを受けた際に、つい住み慣れた場所の名前を反射的に言ったというようなことだったかもしれない。本当のところは無論不明だが、死んでもともと、という覚悟の上での旅路だったとも思われる。トイレで動けなくなって、いよいよこの時が来たかと観念したことだろうが、それもわかっていてのこと。端からは惨めな行き倒れのように思われていただろうが、老人の心には清々しいような充実があったかもしれず。
しかしこれは小説的な空想に過ぎず、老人は本当に予期せぬ体調不良に見舞われ意図せぬ「行旅死亡者」となっただけかもしれない。苦しい意識の中でようやく住所だけは伝えたものの、岐阜県側の担当者の不手際で「該当なし」扱いにされてしまったのかもしれず。もちろんこれも空想の域を出ないが。
それにしてもこの種の文章を見るたび思うのだが、必ず末尾には「心当たりの方はどこそこへ申し出てください」と書かれている。この安芸市の事例のように起きてから数年程度のことならば心当たりのある人が名乗り出る可能性はまだあるかもしれないが、中には「工事現場から出てきた江戸時代のものと思われる頭蓋骨」にもこの定型文が付されている。
果たして知っている人が現れたとして、その人と200年近く前の骨との間に連関性があるのかないのか、どうやって確かめるのだろう。本物の人骨とあっては、冷やかし半分の人間に渡せるものではあるまい。親切を装った無関心の極致のような、いかにもお役所式の言い草である。
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