海溝に生あり落花飛花知らず
もし海が全て干上がってしまったら、歩いてアメリカまで行けるだろうか。物理的に不可能ではないかもしれないが、果てしない時間がかかりそうである。海は平面ではなく、陸と同じように、いや陸以上に凄まじい高低がある。海溝だ。陸地の突端から海であった場所を見下ろしても、あまりに深すぎて光が届かず、ただブラックホールのような穴がひたすら続くだけだろう。大体降りていったら今度は反対側を登らなくてはならない。それを思うと歩いて太平洋を横断するなんて非現実の極みだ。
そんな海の底の底にも生物がいる。
今日(4月5日)の読売新聞朝刊に、水深8336メートル地点で泳ぐ深海魚の撮影に成功したとの記事があった。いわば逆チョモランマの頂点のような途方もないところに生き物がいる。光を知らず、空を知らず、船も鳥も知らず、音も色も知らないのだろう。自分が生きているという自覚がそもそもあるのだろうか。もちろん陸地では春になれば花が咲いてやがて散るということも、これらの生物は一生知ることはない。季節の推移も彼らにはついぞ縁がないはずだ。
海溝を目無きものゆく去年今年
一読して大きな衝撃を受けた大石悦子の句である。
光のない世界では見るものとてないから生物は「目無きもの」ばかりだろう。それが深海の谷と谷の間を自在に駆けめぐっている。そんな時間の流れに取り残されたような場所にも去年と今年のバトンタッチは存在する。それは目に見えるものではないし、そういう環境に行く経験は海洋生物学者でもなければ持たないだろうが、確かにその瞬間はやってくるのだ。
そしてそれが驚異的にも五・七・五の中に収められると、この句を口ずさむたびに、見たこともない深海の涯と、いまこの一時も「目無きもの」がそこを行き交う光景が脳裏に展開するのである。
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