冬深し海の上にも国境(くにざかい)
国境とは不思議なものである。空からは見えないし地面に線が引っ張ってあるわけでもない(そういうところもあるかもしれないが)のに確かにそれはある。そしてある日その見えない線の向こうから戦車が突進してきたりする。
日本に住んでいて一番感覚としてわからないものの一つは国境だと思う。日本における戦争の捉え方とは、ある日空から戦闘機が飛んでくることだろう。太平洋戦争中国民の大半が戦争を我が身のものとして実感したのは、米軍による本土空襲が始まってからのことであったはずだ。恐らく同じ第二次大戦における英国でも、ドイツ軍の戦闘機がロンドンの空を荒らし始めたことが、英国民に戦争を肌で感じさせる契機になったのではないか。
しかし堀田善衛によれば、大部分の欧州の人びとにとって、戦争とは「我が村の向こうから戦車がやってくること」と捉えられるようだ。欧州大陸にはたくさんの国がある。それだけたくさんの国境があるわけだ。平和であれば国境は目に見えなくとも厳然と存在するのだろうが、いざ戦ともなればたちまち破れて消滅してしまうのだ。もともと目に見えないものが、本当になくなってしまう。むしろ消えたのは平和という幻想なのかもしれない。
国境は陸上だけではなく海上にもある。こちらの方がもっとわかりづらい。海の上に線を引くことはできない。不動の検問所を設けることも難しい。それでも確かにそれは存在する。しかし人間にしか意味はない。魚も波も、そんなもののあることなどつゆ知らず、その上(または下)を越えていく。
私はこの句を読み返すたびに一つの情景が浮かぶ。人間があまり近寄ることもないだろう真冬の海。実はそこには国と国との境がある。晴れているが海は少し荒れ気味で、白浪が立っている。そこを大きな船が渡っていく。豪華客船ではない。貨物船だ。人を寄せ付けなさそうな冬の海には、そういう実用的な船が似つかわしい気がする。プロの船員であれば、何もない海上であろうとも、今国境を越えたということを把握しているのだろう。そこに特別な感慨はないはずだ。目的地に向かうまで幾度となく繰り返される確認作業なのだろう。
いつか人類がいなくなった時、全ての国家は終わる。そして名実共に国境も意味をなくし消滅する。地上の国境も海上の国境も、気にかける者はいなくなるのだ。その時こそ、本当の平和が訪れるのだと言えようか。
宇宙から地球を見れば、最初から何も変わらないのだろうけれど。
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