第29話 光る酒
宵の穏やかな空気の中で静かに酒を口に運んでいると。
座敷わらしが目を細めて、何かを懐かしむように僕を見ていた。
「な、何ですか」
「お前は本当に美味そうに酒を飲むな」
「そうですか?」
そんなことを言われたのは初めてだった。
「飲ませがいがある。うちのばあさんを思い出すよ」
「ばあさん?」
「うちとタマが昔一緒に暮らしていた人間じゃ」
「人と暮らしてたんですか?」
座敷わらしは頷く。
「ばあさんは酒が好きでな。うちの作った酒をよく一緒に飲んだものじゃ。……もう何百年も前のことじゃがな」
その言葉で、彼女の言うおばあさんがもうこの世の人ではないことを悟った。
「お前が酒を飲んでいる姿を見てるとな、ばあさんにこの酒を飲ませたら同じ様な顔をするんじゃないかと思える」
もの悲しい言葉のはずなのに彼女の物言いはそれを感じさせない。
愛しさすら込められている気がした。
二度と会えないのではなく、今はすこし離れて暮らしているだけなのだと。
そうか。
そこで僕は、彼女がお酒を造る理由がなんとなくわかった気がした。
彼女は自分で楽しむ為にお酒を造っていると言った。
でも正確には違うんじゃないだろうか。
この店は、座敷わらしにとって自分の飲みたい酒を、自分の選んだ相手とゆったり飲める場所だ。
その言葉はそっくりそのまま、おばあさんに当てはまるのではないだろうか。
「あなたがこの街のお酒を模造するのは、おばあさんに飲ませたかったからなんですね」
すると座敷わらしは少し寂しげな視線を器に落とした後。
「かもしれんな」と静かに呟いた。
「うちは、死んだ人間にいつまでも縛られとるんかも知れん」
「思い出を風化させたくなかったんじゃないですか」
「風化?」
「おばあさんと交わした杯の記憶を、忘れないようにしてるんじゃないかなって」
悲しい思い出や、辛い思い出は風化すべきだと僕は思う。
でないと、いつまでも記憶に縛られて自由に生きることが出来なくなるからだ。
でも、現実は逆だ。
楽しい思い出ほど風化しやすく。
悲しい思い出ほどいつまでも鮮明に記憶に残り続ける。
だからきっと、座敷わらしは街の酒を模造することで、記憶を創っているんじゃないだろうか。
この酒をおばあさんに飲ませたらどうなるか。
酒造において、そんな想いを胸にいだいている気がする。
そうやって、風化しやすい記憶を鮮明にしているのかもしれない。
「記憶の為に酒を造る、か……」
「まぁ、あくまで僕の考えですけど」
僕が言うと座敷わらしは「いや」と口を開いた。
「ひょんな一言が的を得ていることは、往々にしてある」
僕の器が空になったのを見て、座敷わらしは酒を入れてくれる。
「この街には亡くなった人が来ることはないのですか?」
魑魅魍魎、神様までもがいる街だ。
何がいても不思議ではない気がする。
しかし座敷わらしは首を振った。
「死んだ者はおらんよ。死んだらあの世に行くだけじゃ」
「じゃあ、おばあさんはあの世で生きてるんですね」
「……お前の考え方はけったいで面白いな」
彼女は立ち上がると、提燈に灯る火を吹き消した。
そして窓枠に腰掛け、空を仰ぐ。
真っ暗になるかと思ったが、外から光が差していた。
月明かりだ。
大きな月が目の前に浮かび。
月明かりが逆光となって座敷わらしをシルエットにする。
「良い夜ですね」
「うむ」
月の光が幻想的に感じられる。
いつまでも眺めていられそうだ。
「こんな夜は、光る酒と出会えそうな気がするな」
「光る酒?」
「昔ばあさんが言っとったんじゃ。光を取り込んで放さぬ酒があるとな。それはもう、極上の味だったそうじゃ」
「おばあさんはどこでその酒を?」
「夢で、と言っとった」
「夢?」
「ある日、ばあさんと酒を飲んどったらな、急に意識が飛んで、起きながらにして夢を見たと言い出したんじゃ」
「白昼夢ってやつですか?」
彼女は問いには答えず、真剣な表情を浮かべる。
「そこで、光る酒を馳走になったらしい」
「馳走って、誰から……?」
「わからん。ばあさんは呆けておって、それが妄言なのかどうかすら判断がつかんかった。酒を飲みすぎたのかとも思ったがそうでもない。酒を飲んでいて、ふと黙ったと思ったら、不意そんなことを言い出したんじゃ。嘘をついている訳でもなさそうじゃった」
座敷わらしは月をまっすぐ見つめる。
「月の浮かぶ静かな夜、草原が広がる一本道を歩いておると、丸太に座って酒を飲んどる人物に会ったらしい。その人物が飲んどったのが光る酒じゃ。邪悪な者を退ける為に神々と人が協力して造った酒だとその人物は言い、ばあさんに酒をくれたとな」
「何だかヤマタノオロチの話を思い出しますね」
オロチを倒すのにスサノオがお酒を使ったと言う神話。
座敷わらしの話は、それとよく似ている気がする。
「うちは、その人物こそが酒の神ではないかと踏んでおる。静かな夜に一人杯を交わしていた酒の神に、ばあさんは呼ばれたのではないかとな」
彼女はそこまで言うと、こちらに向き直った。
「こんな静かな月の夜は決まってその話を思い出す。そして、うちも酒の神と出会えるのではないかと、期待してしまうんじゃよ」
座敷わらしの言う光景は、まるで現実味のない御伽噺、限りなく夢に近い現実。
二つの矛盾した要素を孕んでいる気がした。
「まあ、何百年も生きてる阿呆な妖怪の戯言じゃよ」
「いや」
僕は首を振った。
「僕は信じたいです。その話」
月明かりによる逆光の中、座敷わらしが微笑んだ。
一瞬だけ、幼子だった彼女が成人した姿に見えた。
そのあまりの美しさに、思わず息を呑んだ。
その時、遠くで何かが光った。
それは花の様に大きく広がると、辺りを照らした。
遅れて、音が体にぶつかってくる。
何発も浮かび上がったそれは、街全域を覆いつくすばかりに大きく空へ浮かび上がる。
巨大な花火だった。
一発一発が大きい。
花火に照らされた座敷わらしは、やはり子供の姿をしていた。
先ほどの姿は見間違いだったのだろう。そう思う事にする。
「あの花火は一体何なんですか?」
「宴の終盤、月がもうじき沈んでしまうと言う合図じゃよ。宴の終わりが近づくといつも花火が上がる。誰が上げてるのかは知らんがの」
座敷わらしはそこまで言うと立ち上がった。
「行くぞ。街の入り口が騒がしい」
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