第2章 おいでやここは宵の街

第5話 月明かりと上賀茂神社

 散々お酒を飲んでいるにもかかわらず、割としっかりした足取りで先輩は歩く。

 限界に達するまで先輩は酔いが顔に出ない。

 だからどんな行動を取るのか読めない部分があった。


「先輩、酔ってません?」

「酔ってないわよ。この口調、この足取り、どう見ても素面でしょうが」


 あれだけ飲んでおいて素面?

 説得力に欠ける気がした。


「一応いっておきますけど、ゲロ吐いて記憶飛ばしたりしないでくださいよ」

「分かってるわよ。……ったく、うっさいわね」


 お酒を飲む部活のため、似たような経験は過去に幾度もあしている。

 先輩は最後まで立っているタイプなので心配はいらないだろうが、多少なりとも釘を刺しておかないと気がすまない。


 川べりから道路に出て上賀茂神社へ。

 神社の敷地に足を踏み入れてすぐのところにバス停がある。

 弁天さんがどこかに向かうとしたらここからだろうと思ったが、誰もいない。


 僕らがここに来るまでにバスが来た様子はなかった。

 ここのバスは使用していないみたいだ。


「いませんね。先輩、どうしましょう?」


 指示を仰ぐつもりで視線を投げかけると、彼女は既に何処かへ向かって歩き出していた。

 慌ててその後を追いかける。


「どこ行くつもりですか」

「ここにいなかったら上神かみじんの中でしょ」


 上神とは上賀茂神社の略称だ。

 ここらへんの学生は、上賀茂神社のことをそう呼んでいる。


「他のバス停に向かったってことはないですかね。御薗橋みそのばしとかも近くだし」

「足取り的にこっちじゃない気がするのよねぇ……」


 確かに、弁天さんが歩いて行く先は上賀茂神社の方へと向かっていた。

 先輩の気持ちも分からないではない。


「先輩は弁天さんが言ってた飲み会の会場、どこだと思いますか?」

「普通だったら河原町か祇園。あんな良いお酒持っていくような場所、そんなに想像つかないし。遠方からわざわざ集まって飲むなら、交通の便も考えてあの辺りが一番便利でしょ」

「たしかに、飲み会するとしたらあの辺りですよね」


 どこかで飲むなら河原町のあたりが一番適している。

 居酒屋も多いし、交通の便も融通がきくからだ。

 ただ、あの辺りに持ち込み可能な店があるのだろうか。

 ちょっと思いつかない。

 とは言え、店はたくさんあるから僕が知らないだけかもしれないけれど。


 あと、弁天さんの格好も気になる。

 まるで近所を歩くような、簡素な出で立ち。

 彼女が向かったのは、形式張ったところではないんじゃないだろうか。


「もしバスを使っていないとなると、ここらの近所で飲んでいる可能性が高そうですよね」


 と、そこで一つ思い出す。


「弁天さん、確か月を気にしてましたよね。月が昇ると飲み会が始まるって」

「えぇ」

「お店で飲むとしたら月なんて見ないですし、外で飲むんじゃないですか?」

「確かに……」


 先輩はしばし思考したあと、おもむろに天を仰いだ。

 煌々と輝く満月が、夜空をぽっかりと切り取ったように浮かんでいる。


「春の月を見ながらの飲み会か……風情あるわね」


 感心した物言いで、先輩は持っていたビールを口に運ぶ。

 風情があるとかそんな話はどうでも良い。


「広い土地を持っている人の家で行われるとか、そんな感じなんですかね」

「金持ちめ……」


 もしプライベートな場所で飲み会が開かれるなら、もうお手上げだ。

 ここらへんは多くの住宅があるし、大きな家もいくつかある。

 どこで飲み会が行われるかなんて、特定しようがない。


 すると先輩が上賀茂神社の大きな鳥居を指差した。


「ねぇ、ひょっとしてここでやってんじゃない? 飲み会」

「何馬鹿なこと言ってるんですか。観光名所でもある神社で飲み会なんてあるわけないでしょう」


 僕は鳥居の向こう側を見る。

 外灯も少なく、夜なので真っ暗だ。

 とても飲み会を行えるとは思えない。


「でも月が昇ると飲み会が開始するなら、月明かりを使うんじゃない?」

「えぇ……そんな飲み会あるかなぁ」


「お酒がたくさんある状況だって、皆が弁天みたいに各自お酒を持ってくるのなら納得出来るし」

「うーん……でも神社の人が怒るでしょう。下手したら警察に捕まるかも」


「蔵元がいるのよ? 神社も関わっているイベントかもしれないじゃない」

「関係者だけのイベントかぁ……」


 聞いたことないが、ないとも言い切れない。


 特に行く宛もないことだし、ぶらりと上賀茂神社を一周するのも悪くないか。

 せっかく何かを期待して歩き出したのに、もう終わりと言うのも寂しいし、情けない話である。


「ちょっと回ってみますか」

「言われなくてもそうするつもりよ」


 先輩は歩き、僕も数歩後ろをついていく。

 二人して鳥居を抜け、敷地内に入る。


 入る前に感じていた薄暗さは、中に入るとそうでもないと分かった。

 月明かりで辺りが照らされ、周囲の様子がぼんやりと確認できるからだ。

 今宵の月は、想像以上に明るい。


 鳥居の中は広場だ。

 真ん中に神社の境内へと続く道があり、それ以外は芝生が生い茂る。

 所々に植えられた樹の周りには囲いが作られ、参拝客が傷めないように保護されていた。

 ここで催しが行われることもあるにはあるが、残念ながら現在、誰かが飲んでいる気配はない。


 と、急に前を歩いていた先輩が立ち止まった。


「どうしたんですか?」

「――来なさいよ」


「はぁ?」

「だから早く横に来なさいって言ってんでしょうが!」


 口調が荒い。

 何故それほどまでに怒っているのだ。


「何で横に来いなんて……ひょっとして、怖いとか?」


 僕が言うと先輩は一瞬だけピクリと反応した。

 なるほど。


「自分から入り込んだのに怖気づくのやめてくださいよ」

「怖気づいてはいないわ。ただ、あんたの声が突然聞こえなくなったり、振り向ていなかったらどうしようって考えただけ」


「そう言うの怖気づくって言うんですよ」

「細かい事を」


 先輩は忌々しそうに唇を尖らせる。

 僕は少しだけ苦笑すると先輩の横に立った。


「これで良いでしょ? ついでに手も繋ぎましょうか?」

「それはいいわ。手汗臭そう」

「手汗臭いって何なんですか……」


 広場の真ん中まで来た。

 この奥は神社の境内か。

 やはり人の気配はない。

 辺りを見渡しても、見えるのは月明かりで落ちた僕らの影だけだ。


 その時、不意に違和感を抱く。

 何かがおかしい。


「先輩」

「何」


「ちょっと気付いたんですけど」

「言ってみなさい」


「あんな所に鳥居ってありましたっけ?」


 右手側の草むらに僕の背丈より少し高いくらいの小ぶりな鳥居が、ひっそりたたずむようにして存在していた。

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