第4章 宴の街の奥底へ

第15話 蛙と満月と果実酒と

 屋敷を出てすぐに周囲を捜索したが、先輩と天狗たちは見当たらなかった。


「いないですね」

「近くの店に寄ってるのかも」


 キツネが祝言を行なっていた屋敷の周囲にも、いくつか小さな店がある。

 しかしどれも屋台に毛の生えた小さなものだ。


 朱里の話では、先輩と天狗は複数のキツネと出て行ったのだと言う。

 小さな店では全員入らないだろうし、先輩が寄るとは考え難い。

 この辺りの店に寄った可能性は低そうだ。


 念の為、端の店から覗き込むようにして歩いたが、やはり先輩の姿はなかった。


「ここにもいませんね。……キツネたちが案内しそうなお店に心当たりとかは?」

「私もそこまでキツネの事情に詳しくないから、ちょっと分からないわね」


 そうなると後はしらみ潰しに探すしかない。

 思わず顔が曇った。

 そんな僕を安心させるように「大丈夫よ」と弁天さんが笑いかけてくれる。


「キツネは悪い種族ではないし、天狗もいるんだもの。心配ないわよ」

「……ですね」


 多分天狗が先輩に着いて行ったのは、彼女の安全確保のためだ。

 酔った先輩とキツネが意気投合したとしたら。

 先輩を止める術はない。

 彼女の強引さは、僕が誰よりも知っているからだ。


 だから、下手に先輩を静止するより、同行して後で僕たちと合流した方が良い。

 賢い判断だと感じた。


「階段を降りたところにもお店がありましたよね。小さい屋台みたいなの」

「えぇ」

「じゃあ、そこで尋ねませんか?」

「どうして?」

「ここから移動するとしたらあの階段は必ず通るでしょうし、キツネと天狗と人間の組み合わせなんて目立ちますから。何かしら目撃されているんじゃないかって」

「なるほど、一理あるわね」


 階段を降りて、先ほどの鉱石が輝く道へ戻ってきた。

 来た時にも思ったが、ここはとても静かな場所だ。

 鉱石の放つ光が妙に心を落ち着かせてくれる。

 こんな場所で騒ぐとさぞ目につくだろう。


 先輩の姿は見当たらない。

 残念ながらこの辺りにはいないようだ。


 僕らが通り掛かると、ちょうど目の前の店から人型で二足歩行の大きな蛙が出てきた。

 アロハシャツに、派手な柄のズボンを身につけている。

 行きしな、彼がカウンターで暇そうに頬杖をついていた姿をよく覚えていた。


「すいません、少しお聞きしたいんですが」


 グッと伸びをしている蛙に声をかける。

 すると、彼はその大きな目をこちらに向けた。


 ギョロリとした瞳に僕の姿が映る。

 あまりの迫力に一瞬怯んだ。


「こ、ここら辺で騒がしい人間が通りませんでしたか」

「騒がしい人間? ……あぁ、見たよ」


 弁天さんと顔を見合わせる。

 やはり予想通りだ。


「それって天狗と、キツネと一緒じゃありませんでした?」

「一緒だったよ。うるさかったし、妙な組み合わせだったから印象に残ってる。お前さんたち、あの一団と知り合いかい?」

「そうですね。簡単に言えば、逃走者と追跡者の関係です」


 僕が冗談めかして言うと蛙は怪訝な顔をし、弁天さんが含み笑いをする。


「よく分からんが、お前さんたちがあの一団を追ってるってわけか」

「そうです。どちらに行ったのか教えてもらえませんか?」


 蛙はううむ、と思案するとチラリとこちらを一瞥いちべつした。


「教えてもいいが、一つ条件がある」

「条件?」

「うちの店で酒を飲んでいってくれ」


 意外な申し出だった。


「今日はキツネの祝言をやっているだろう。そのせいか、皆、そっちを珍しがって誰も寄って行ってくれないのさ。さすがに誰にも飲まれないと酒も寂しがるんでね」


 なるほど、と思った。

 どうやらこの街では、飲むだけじゃなく飲まれる方にも需要があるらしい。


「そう言うことなら協力しますよ」


 僕の言葉を聞いた蛙はそうかそうかと嬉しそうに笑みを浮かべた。


「今日は果実酒のいいのがあるんだ」


 蛙は店に戻ると、棚から酒を取り出す。

 店とは言っても通りに直接カウンターが面しているだけの簡素な造りだ。


「コウヘイ君、のんびりしていいの?」


 弁天さんが耳打ちする。

 僕は頷いた。


「僕も色々なお酒飲みたいですし。先輩は先輩で楽しんでるんだから僕らが楽しんでもバチはあたりませんよ」

「それはそうだけど……」


 蛙はこちらに構わず酒のビンを開ける。

 ぽんっと言う心地よい音と共に、果物が凝縮された濃い香りがした。

 下からグラスを三つ取り出し、カウンターに置く。


 ビンを傾けると、どろりとした液体が中から出てきた。

 淡いオレンジ色だ。


「果実酒だよ」

「香りがすごいわね」

「オレンジを中心に、色々な果物の果汁を少しずつ凝縮した蜜がある。それをアルコール度の高い酒で割ると、良い香りの濃い酒が出来るのさ」

「アルコール度の高い酒って、具体的には何なんですか?」

「ウォッカだよ」


 また随分きついのが出てきたものだ。

 察したのか、蛙がとりなす様に言う。


「まぁウォッカと言っても果汁で割っているわけだ。実際はそんなにアルコール度は高くない。飲んでもそこまできつくはないはずだ」

「へぇ……」

「あんたたち酒が好きそうだからな。これくらい出しても構わんだろう?」

「コウヘイくん、酔っ払っちゃったらトモさんたち、探せないんじゃない?」

「大丈夫ですよ。僕酔っ払ったことないので」


 僕があっけらかんというと、蛙はガハハと豪快に笑った。


「大したもんだな。この街でそんなこと言うやつ初めて見たよ」

「昔からお酒だけは強いんですよね」

「コウヘイくんがトモさんの後輩ってこと、忘れてたわ」


 弁天さんが呆れたように肩をすくめた。

 僕はそんな彼女にそっと微笑む。


「酔った先輩は酒の力を借りないと止められませんよ。目には目をってやつです」

「そんなこと言って、飲みたいだけじゃない」

「弁天さんだって飲みたいんじゃないですか?」

「そりゃあ……そう、だけど」

「あんたたち、話が分かるねぇ」


 蛙が嬉しそうにグラスを持ち、僕たちもそれに倣った。


 グラスを軽く当てて乾杯する。

 静かな空間にキン、と言う澄んだ音が響き渡った。


 口に液体を入れる。


 一瞬、果物特有の甘味が舌全体に広がる。

 そのまま飲み込むと、喉が焼けるように熱くなった。


 鼻から息を思い切り吸い、口から吐き出す。

 胃が熱い。炎を飲んだかのようだ。

 しかし口の中には、後を引く独特の酸味だけが残っている。


「これすごいわね。ここまで濃いお酒なのに……」


 弁天さんも思い切り息を吐いている。

 僕らのリアクションを見て、満足げに蛙が口を歪めた。


「飲みやすいだろう。気持ちよく酔える酒なのさ。特に、今夜のように月の光が綺麗な夜はね」


 蛙がそっと空を見上げ、僕らも釣られる。

 天には今まで見たことないほど大きな満月が浮かんでいた。

 優しい光で、この街を照らしている。


「今日はいい夜だ。鉱石と満月が呼応して、目でも酔わしてくれるな」


 月と鉱石の光に照らされ、グラスの中の液体は艶かしく輝く。

 グラスを光にかざすと、僕は再び酒を喉へ流した。


「時間がある時に、またじっくり飲みたいですね」

「あぁ。今度はゆっくり飲める時においで」

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