第16話 月の雫と鬼の店
蛙の話によると、先輩たちは大声で月の雫がどうとわめき散らしながら大通りの方へ歩いていったらしい。
店を後にして、薄暗い提燈が照らす道を僕と弁天さんは歩く。
心なしか彼女の足取りは覚束ない。
フラついているように見えた。
「弁天さん、大丈夫ですか?」
「全然? 大丈夫よ?」
なぜ疑問形なのだ。
「それにしても、さっき蛙の店主が言ってた月の雫って何でしょうね」
すると弁天さんが「鬼が持ってきているお酒の名前よ」と答える。
「純米酒なんだけど、美味しいって評判なの」
「へぇ、純米酒……。あ、でも鬼が持ってきているお酒って言っても」
僕はここに来るまでの道のりを思い返した。
「……鬼がやっているお店なんかいくつもありましたよね」
ふと視界の傍にある小さな店が目に入る。
あの店のカウンターで座っているのも鬼だろう。
弁天さんも頬に手を当てて「そうねぇ」と呟く。
「確かに月の雫はほとんどの鬼が取り扱っているお酒ね。まぁでも、この辺りだと本道にあるお店の可能性が高いんじゃないかしら。一番大きくて広いし」
「本道?」
「街の中心の川沿いに、橋を渡す二本の道があったでしょう? 私たちが通ってきた道。あそこのことよ」
中央の大通りのことかと気付く。
通りの真ん中に巨大な温泉の川が流れており、その両側に道があった。
あの道をまとめて本道と呼んでいるらしい。
「なるほど。……ところで弁天さん、一つ聞きたかったんですけど」
「なぁに?」
「酔ってるでしょ?」
薄暗くて分かり辛いが、妙に顔が赤い。
すると弁天さんはウフフフと顔を緩めた。
「割と」
「マジか……」
どうやらさっきの果実酒が効いたらしい。
この人が酔いつぶれると僕は完全に地理を見失うことになる。
その展開だけは避けたいところだ。
歩いている間に酔いが覚めるのを祈ろう。
本道に戻ると、先ほど弁天さんが言っていた鬼の店はすぐに見つかった。
僕らが出てきた道の丁度対岸。
建物が大きくてよく目立つ。
客の入りも多いようで、店の中から笑い声がする。
「あの店ですよね」
「そうよ。結構大きいでしょう? 月の雫かぁ。飲むのは何年ぶりかしらねぇ」
もはや弁天さんの目的は先輩たちから月の雫へ移っている。
本当にこの人はお酒が好きなんだな。
橋を渡り店の前へ。
入り口に暖簾もなく、中がよく見える。
店の中は、七福天を少し広くしたような内装だった。
カウンターと、四人掛けのテーブルが所々に置かれていて、猫又が店員をしている。
お客も鬼かと思ったが、別にそうでもない。
着物から尻尾が何本も顔を出しているキツネも居れば、カウンターの隅には河童が一人座り込んでお酒を飲んでもいる。
奥の席には一つ目の小さな妖怪が何匹もおり、それらに囲まれて座っているおじいさんは……ぬらりひょんだろうか。
頭部が異様に長い。
カウンターの向こうには、頭部に角の生えた赤い皮膚の人が立っていた。
目つきが恐ろしい程鋭い。
あれが店主の鬼だろう。
「カウンターのある店が多いな……」
店の中を覗きながらボソリと呟く。
今まで見てきた店の造りもそうだったが、居酒屋というよりもバーに近かった。
何か理由があるのだろうか。
「カウンターがあった方が仲の良いお客さんと話しやすいのよ。だからカウンターを常設してる店が大半ね」
「なるほど」
この街で店を開く目的はあくまでお酒の席を楽しむことだ。
自分の持ってきたお酒を振舞う。
その反応を直に見る。
であれば、カウンターがあると好都合なのだろう。
店内を見回しても先輩たちの姿はない。
どうやら外れのようだ。
他の店に行っているのだろうか。
「弁天さん、この店には居ないみたいです。他を当たりましょう……」
ふりかえると、そこに彼女の姿はなかった。
「弁天さん?」
慌てて姿を探す。
秀逸を見渡しても彼女の姿は見当たらない。
もしかして川に落ちたのではと危惧していると店内から声がした。
「コウヘイ君、早く飲みましょう」
いつの間にか弁天さんがカウンターに座っている。
あまりにも素早かったので気付かなかった。
「いつの間に座ったんですか」
店に入り、僕も弁天さんの隣に座る。
弁天さんは相変わらず緩い顔で「ウフフ」と笑っていた。
そんな僕たちを、カウンターの向こうからじっと見つめる視線。
「で、何を飲むんだ?」
店主の鬼が、僕たちに問いかけた。
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