第17話 旧友と共に

 不意に鬼に声をかけられ、一瞬言葉に詰まる。

 何か答えた方が良いのだろうが。

 目の前の男の迫力に気圧されてしまった。


 僕が言い淀んでいると、横に座った弁天さんが「月の雫をいただくわ」と嬉しそうに指を立てている。

 怖いもの知らずかこの人は。


「……お前がうちの酒を飲むなんて何年ぶりだろうな」

「だいぶ長いこと来てなかったものね」


 どうやら知り合いらしい。

 その口調は旧友にするような慣れ親しんだものだった。


「で、何の用で来たんだ?」

「あら、ずいぶんな言い草じゃない」

「まさか、ただ単に酒を飲みに来たと言うわけではないだろう?」

「……ばれちゃった?」

「何十年と顔を見せなかった奴がひょっこり店に現れれば何かしらあると考えるのが普通だ。それに……」


 鬼は僕をちらりと一瞥する。

 目が合った。


「人間が来るのは珍しいからな」

「察しが良くて助かるわ」


 弁天さんはニコニコとした笑みを崩さない。

 この人もなかなか食えない人だな。

 まぁ、お酒が飲みたいだけかもしれないけれど。


 先輩も酔うと止まらない人だが、弁天さんも大概かもしれない。


 鬼は陶器の器を二つ取り出すと、僕等の前に置いた。

 そしてカウンターの下から酒の入った透明のビンを取り出す。

 比較的小さなビンだ。

 これが月の雫だろう。


「あら、私は自分のぐい呑みがあるから器はいいわよ」


 弁天さんは言うとポケットに手を当てる。

 しかし何も入っていなかったのか、怪訝な顔をした。


「おかしいわね。……どこかに落としたのかしら」

「忘れたんだろう。お前が自分の器をポケットに直接入れるなんてがさつな真似、する訳ないからな」


 それを見越して器を二つ出したわけか。

 なかなか鋭いな。


 感心したものの、それ以上に弁天さんがこんな勘違いを起こしたのが少し心配だった。

 彼女は自分の酔いの具合を「割と」と表現したが、なかなかに良い酔いっぷりなのかもしれない。


「そう言えばコウヘイ君たちに届けてもらってから、持って来た袋に入れた気がするわ。清酒はいつもあれで飲むのだけれど……残念ね」

「次来る時に持って来たら良い。月の雫はいつも持ってきている」

「次がいつになるのかなんて分からないわよ?」

「気長に待つさ」


 落ち着き払った様子で鬼は器に月の雫を注ぐ。

 トポトポと言う心地良い音と共に、透明な液体が器を満たした。

 光が屈折し、机の天板に集合する。


「まぁ、一杯飲みましょう」


 待ちきれなかったのか弁天さんが器を持った。

 チン、と言うグラスをぶつける音。

 今日何度目の乾杯だろう。


 まずは試しに半分ほど飲んでみた。

 酒の味が口に広がるが、えぐみや臭みは一切ない。

 芳醇な風味が香りと共にスッと鼻を抜けていき、飲み込むと熱い塊が喉を転がるようにストンと胃に落ちる。

 そのまま、じわじわと体に熱が広がっていく。息が熱く感じた。


「稲の息吹って感じかしらね」


 目を瞑ったまま、脳裏に浮かんだ光景を見つめたように弁天さん口元を緩める。

 お酒が魅せる世界を楽しんでいるのだろう。


「息吹なんて上等な物はない、酒は酒だ」


 鬼は憮然とした表情を崩さない。

 すると弁天さんは不満そうに口を尖らせた。


「お酒の感想くらい自由に言わせてよ」

「感想と妄想は別だ」


 鬼はまだ中身の入っているビンを僕らの前に置くと、奥から新しいビンを取り出した。

 封を開け、直接口をつけて飲み始める。

 豪快な飲みっぷりだ。


「あいかわらずそうやってお酒飲んでるのね。もっと味わったら良いのに」

「飲めたら一緒だ。器で飲むほうが美味しいなどと言う考えが俺には理解出来ん」

「街中にいる酔っ払いみたい」


 弁天さんは苦笑すると、赤い顔で自分の器にもう一杯お酒を注いだ。

 その様子を見て鬼は呟く。


「酔っ払いはお前だろう……」


 僕は少し笑った。

 すると鬼は僕へと視線を移す。


「ところで、お前は俺に何か用があるんじゃないのか?」

「えっ」


 どうして、と呟く前に鬼は続けた。


「この女がこの店に来たきっかけはお前だろう。どういう経緯かは知らんが話してみろ。知ってることは教えてやる」


 こうも話を汲み取ってくれるのはありがたい。

 僕はこれまでの経緯と、先輩達を探しているという旨を伝えた。

 どこに居るかは分からないが、月の雫を探しに行ったらしいと。


 するとしばらく黙った後、鬼は「ふむ……」と小さく唸った。


「人とキツネと天狗の組み合わせか。そんな客が来たらさぞかし印象に残るだろうな。全体で何人居るのかは分からないのか? 人数の多さで大体どの店に向かうのか推測出来る」


 人数。

 そう言えば先輩たちは何匹のキツネに囲まれていったのだろう。

 あの時は急いでいたので聞くのをすっかり失念していた。


 僕が首を振ると、鬼は苦い顔をした。


「だとすると俺は何もわからんな。少なくとも、この店には来ていない」

「そうですか」


 打つ手なしか、思わず肩を落とす。

 あと出来ることは月の雫を扱っているお店をしらみつぶしにあたることくらいか。

 すると鬼は「そう心配することはない」と言葉を掛けてくれた。


「ここは酒を楽しむだけの街だ。危険が生じたことは未だかつてない」


 口調は雑然としているが、気遣ってくれているのが分かった。


「でもこれだけ妖怪がいるのなら、危険なのもいるんじゃ……」

「悪意がある奴は、この街にはそもそも招かれない」

「そう言う街だから、ですか?」

「そうだ。お前はお前の夜を楽しめば良い。探してばかりではこの街に来た意味がないからな」

「僕の夜を……?」


 確かに、はぐれたとは言え、天狗も共にいるわけなのだから会えないわけではないのだ。

 一通り巡ったら七福天に戻ってくるだろうし、焦ることはないのかもしれない。

 それなら、僕も先輩みたいに夜を楽しむべきじゃないのか。


 一通り月の雫を嗜むと「他の店も回りましょう」と弁天さんが立ち上がる。


「せっかくの夜なんだし、コウヘイくんも色々お酒を飲みたいでしょ? なら出歩かなきゃ」


 一体どれほど飲む気かはしらないが、もう完全に彼女の頭の中はお酒で埋め尽くされている。


「色々な酒を飲むなら出店の通りに行ったらどうだ」

「出店の通り?」

「酒と肴が置いてある宴の道だ」

「そうね、久しぶりに行ってみようかしら」


 弁天さんの鶴の一声で、次の目的地はそこに決まった。


「それじゃあお酒、ご馳走様でした」

「ああ。……小僧」


 去り際、鬼は僕に言った。


「夜と酒は表裏一体。たくさん飲んだ分だけ夜は深まる。そこに、お前しか出来ない経験があるだろう。酒を楽しめ。そして、知り合いが見つかったなら、次はそいつと来ると良い」

「そうさせてもらいます」


 僕らは鬼に礼を言うと、店を出た。

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