第18話 神様休業期間中
提燈の光。
温泉の流れる音。
建物から漏れる愉快な声。
遠くから聞こえてくるお囃子。
穏やかに時がすぎる宴の街を、僕と弁天さんは川に逆流するように奥へ進んだ。
「出店とかもあるんですね」
「お店を構えている人たちが、出店を使って自分のお酒を色々な人に飲んでもらうの。食べ物が出てたり、割とにぎわってて楽しいのよね」
口調はしっかりしているものの、弁天さんの足取りはどうも頼りない。
さっきのお店でますます酔ったらしい。
時々ふらつくので、その度に体を支えてあげねばならなかった。
「でもそんな一帯があるならもっと早く教えてくださいよ」
「ごめんなさいね。さっき鬼が言うまですっかり忘れちゃってたの。結構距離があるし、普段あまり足を運ぶ事もないから」
「だと思いました」
出店の通り、か。
いかにも先輩が好きそうな場所だ。
彼女が出店の存在を知ったら、行かないはずがない。
あくまでお酒を飲むためにそこに向かうわけだが。
ひょっとしたら先輩と会えるかもしれないという期待もあった。
「弁天さんは、上賀茂の方にお住まいなんですか?」
「そうよ。コウヘイくんたちが飲んでた場所から、少し歩いたところ」
「その前は……その、神様の世界にいたんですか?」
我ながら妙な質問をしていると思う。
普段なら馬鹿げた質問だと笑うところだが。
その質問が馬鹿げていないのが、この街なのだ。
彼女は静かに頷いた。
「神様の世界ってね、意外と退屈なのよ。仕事も多いし、頼られることも少なくない。そう言うのが嫌いなわけじゃなかったのだけれど……」
弁天さんはそっと視線を落とす。
「ちょっと、疲れちゃったなって」
「神様も疲れるんですね」
「そりゃあね? 神様って言ったって、普通の人とそんなに変わらないの。走ったら疲れるし、落ち込むことだってある」
昔読んだ神話のことを思い出す。
神話では、利権争いや嫉妬や情欲で様々な争いが語られている。
それらの全てが創作な訳でないのなら、神様というのは人間よりも人間らしいのかもしれない。
神話の考え方では、もともと人間は神様が生み出した存在だ。
もちろんそんなはずないとは思うが……もしそうだとしたら。
神様が人間に似ているんじゃない。
人間が神様に似ているのかもしれないなと、思ってしまうのだ。
「弁天さんにとって、今は神様休業期間中って感じなんですかね?」
「休業期間……か。そうかもね。」
「良いんじゃないですか」と僕は声をかけた。
「僕はまだ学生なんで、仕事の辛さとか、たぶんちゃんとわかってないんですけど。でも、誰だって走りっぱなしだと疲れると思うんですよ。だから、時には休んだり、逃げちゃっても良いのかなって」
「そうね……。うん、そうだと思う」
何故か弁天さんは、どこか嬉しそうに見えた。
「でも、どうして京都なんですか? 弁財天って京都で奉ってましたっけ」
「自分が奉られてる場所で生活なんて息苦しいでしょ?」
「確かに……」
自分の彫像が建っている街で生活するなどゾッとする。
「色々住んだけど、今いる場所が一番住みやすかったのよね」
それが京都で、上賀茂で。
だから僕たちと出会った。
何だか感慨深い話だな、と思う。
気がつけば、外灯代わりの提燈が少なくなり、遠かった囃子の音が近づいていた。
どこから流れているのだろうと不思議に思っていると。
不意に道が長く緩やかな下り階段へと姿を変えた。
石垣に囲まれた階段が、緩く、長く、奥へと続いている。
「この先よ。足元、気をつけてね」
ふらつきながら弁天さんは階段を降りていく。
こっちが注意して下さいと言いたいところだ。
放っておくと躓いて階段を転がり落ちそうな気がしたので、彼女の横に張り付く。
階段は一段一段、幅が広く緩やかだが、明かりがないので薄暗く、危なっかしい。
「これだけ下り階段が続くと帰りが大変そうですね」
「そうなの。だからあまり来ないのよね。お酒飲んで良い気持ちの時に、わざわざ階段で息を切らせたくないじゃない」
「確かに」
長く続く階段を降りていくと、いよいよお囃子が近くなり、ざわめきも聞こえてきた。
目の前に横切る道が見えてくる。
階段が終わり、通りへと抜けた。
その道を見て、僕はそっと息を飲む。
右から左へと見渡す限り出店が続いていた。
酒の出店だった。
たくさんの異形たちが、楽しそうにお酒を飲みながら歩き回っている。
かなり盛況なのが見て取れた。
道を挟んだ向かい側に巨大な神社が立っている。
これだけ妖怪や神様、がいるのに、一体何を奉っているのだろう。
「何と言うか……めちゃくちゃ広いですね」
「これだけ多いと目移りしちゃうわね」
すると、不意に手を握られる感触がする。
弁天さんが僕の手を取っていた。
「はぐれないようにしないとね」
その言葉に深い意味はなさそうだが、意外と大胆な行動にドキリとする。
酔っているからあまり考えないで行動しているのだろう。
「どこのお店に行くんですか」
喧騒に声が飲まれぬよう、少し叫ぶように声を出す。
「とりあえず見てるだけ。どこから攻めようかしら」
「ほどほどにしてくださいね」
人の流れに沿って行くと、ビールを置いているお店を見つけた。
なんと肴としてフランクフルトも置いているらしい。
コウモリの串焼きなどあまり近寄りたくない物もある中、その店の存在はなかなかに稀有だ。自然と足が引かれる。
「ゆったりと屋台を眺めながらビールとフランクフルト、どうですか?」
「魅力的ね。賛成」
屋台に寄り、妙な獣の店番からビールとフランクフルトを受け取る。
これを無料で提供しているというのだから驚きだ。
しかしながら渡される際、このビールがいかに手間隙かけて作られたかを熱弁される。
最終的に「麒麟のビールをよろしく」と言われ僕らは解放された。
「無料の代わりに自分の持ってきた酒について語られるわけですね」
「そのための出店なの。こういう場所があると普段あまりお酒を飲んでもらえない店の住民も、色々お酒を飲んでもらえるし、交友関係も広がるのよね」
弁天さんみたいに馴染みの皆と飲むことを目的とする人もいれば、色々な人に酒を飲ますことを目的にしている者もいる。
ここは本当に様々な楽しみ方があるのだ。
まだまだ知らない街の姿が、どんどん現れていく。
僕らはそこから様々なお酒を飲見回った。
コップ丸々一杯もらっていたのではすぐにお腹が膨れてしまう。
弁天さんの提案で、少量ずつ、味見の様な感覚でお酒を飲んでいった。
一杯、二杯、三杯と。
気になったお店で片っ端からお酒を味わう。
弁天さんのお酒に対する欲求は激しく、気に入ったものは再びコップに注いでもらっていた。
どれくらい回っただろうか。
出店の道を歩いて結構時間が経った。
ただ、まだ出店に終わりが見える気配はない。
弁天さんはすっかり出来上がってしまい、もはや僕が肩を貸さなければまともに歩くことすらままならなかった。飲みすぎだ。
僕らは一度引き返して先ほどの神社で休むことにした。
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