第19話 デブ猫のタマ

 神社入り口の鳥居を抜けると広場があり、社はその奥に堂々と鎮座していた。

 誰かが用意したのだろう。

 長椅子がいくつか置かれ、僕らと同じような休憩中の妖怪たちがちらほらいる。

 この異常な光景にも、すっかり慣れた。


 弁天さんを椅子に座らせ、ようやく僕も腰を下ろす。

 腰も痛いし、足もパンパンだ。


「コウヘイ君、ありがとうね。フラフラだから助かったわ」

「大丈夫ですか?」

「ふふ、割と」


 割と大丈夫と言う意味なのだろうか。

 受け答えの内容が少しおかしい。

 回答としてはすこし的を得ていない部分に、一抹の不安を抱く。


「お酒、美味しかったわね」

「ですね」

「いつも飲んでもらう側だったから、こんなに飲んだのは久しぶりかも」


 弁天さんは空高く昇った満月を見上げる。

 いつの間にもらったのか、彼女の手にはお酒が握られていた。

 弁天さんはそれをゆっくりと口へ運ぶ。


「あら、このお酒も美味しいわね」


 手にした紙コップを見て彼女は目を丸くした。

 かなり酔っているはずなのに、味わうことを忘れていない。

 彼女のお酒への態度は、お酒への敬意を感じる。


「弁天さん、本当にお酒好きなんですね」


 彼女は一瞬キョトンとすると、「もちろんよ」と歯を見せて笑みを浮かべた。


「お酒は私にとっての宝物だもの」

「宝?」

「大切な友達に会うきっかけをくれるし、会わなかった時間を埋めてくれる」


 彼女はそう言って、そっと僕の顔を見つめた。


「コウヘイくんも、年を取ったらわかるわよ」

「年取った自分か……全然想像つかないですね」

「当たり前に会っていた人たちと会わなくなって、距離が出来てしまう。でも……お酒があれば、気軽に再会出来る。お酒には、そんな魅力があるから」

「僕と先輩も、いつかそんな風になっちゃうんですかね」

「んー? 二人の場合はどうかしら。ずっと一緒にお酒飲んでそうな気もするけど」

「確かに……」


 あの人は社会に出ても毎週連絡してきそうだな。

 いや、毎日かもしれない。

 僕が考えていると、弁天さんはクスクスと笑った。


「それにしてもコウヘイ君、本当にお酒強いのね」

「そうですかね?」

「まだ素面に見えるもの」

「確かに。あんまり……と言うか酔ってないですね」


 普段はこれほど飲んだら流石に少しは良い気持ちになるのだが。

 どうしてだろう、今日は全く酔う気がしなかった。


「たまにこういう日があるんですよ。何杯飲んでも一切酔う気がしない日が」

「お酒の神様でも宿っているのかしら」

「お酒の神様?」

「天下無敵の酒豪で、お酒に愛され、お酒を愛している、そんな神様よ」

「そんな神様存在するんですか?」

「さぁ?」


 弁天さんは肩をすくめた。


「そういう神様も居るかなって」

「お知り合いにいるのかと思いましたよ。顔広い印象なんで」

「私と面識ある神様なんてほんの一部よ。でも、きっとどこかにいるんじゃないかしら。八百万の神って言葉があるけど、その言葉の通り、神様は数え切れないほどいるから」

「居るって考えたほうが楽しそうですね」

「そうでしょ?」


 そんな適当な会話をしていると。


「みゃあ……」


 不意にどこからか猫の鳴き声がした。

 不思議に思い周囲を見渡す。

 どこにも猫などいないし、猫の種族もいない。


「みゃあ」


 もう一度鳴き声。

 椅子のすぐ真下だと気がつき、覗き込む。


 するとそこに、驚くほど丸々と太った猫が間抜けな顔でこちらを見つめていた。


「あら、猫ね」

「この街、普通の猫も居るんですね……」


 この街に着た動物は全て妖怪に姿を変えるのだと思っていたので、なんだか新鮮に感じてしまう。

 僕はおもむろに手を伸ばし、椅子の下から猫を引きずり出してみた。

 人馴れした猫らしく、すんなりと膝に乗せることが出来る。

 思ったより重量があった。デブ猫だ。


 膝に乗せてから気付いたが、尻尾が四本ある。

 やはり普通の猫、と言うわけではないようだ。


「化け猫かしら」

「化け猫ならさっきまで散々いたでしょう。店番もしていたし、お客としても見かけましたよ」

「そうよね。この街の動物は普通、あやかしになるのだけれど」


 弁天さんは不思議そうに猫を見つめる。

 どうやら目の前にいる猫は、彼女ですら疑問に思うほどの異端イレギュラーらしい。


 猫は僕の膝の上で丸まる。

 そして弁天さんの視線に気付くと「みゃあ」とだけ鳴いた。

 丸々と太ったその体はぷよぷよだ。

 押しても抵抗しない。

 触り放題である。


 猫の首には紐で出来た首輪がかけられていた。

 飼い主の手作りだろうか。

 糸で丁寧に文字が縫われていた。

 これが名前だろう。


「タマって言うみたいですよ、この子」


 名前に反応したのだろう、タマはみゃあと間抜けな顔を僕に向ける。

 その瞳は、何か言いたげにも見えた。

 何だろうと思っていると、タマが急に立ち上がって境内の方へと駆けていく。

 駆けたとは言ってもデブ猫なので恐ろしく足が遅かった。

 余裕で追いつけそうだ。


「弁天さん、追いかけましょう」


 何故追いかけようと思ったのかは自分でも分からない。

 だが、何となく呼ばれているような気がして、追わねばならない気がした。

 僕が立ち上がると、弁天さんは弱々しい笑みを浮かべる。


「ごめんなさい、私いま、体が言うこときかないみたい」


 そういえば僕の支えなしで歩けないんだった。


「私はここで待ってるから、コウヘイくん見てきたら?」

「でも……」

「これもお酒のお誘いかもしれないでしょ?」


 僕が迷っていると「みゃあ」とまた声がする。

 タマが少し離れた場所から僕たちを見つめていた。

 待ってくれているのだろうか。


「ほら、コウヘイくん。行ってあげて?」

「じゃあ。少ししたら戻ってきますよ」


 僕は弁天さんを一人残し、タマを追いかけた。

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