第14話 この子をお嫁にどうですか?

 しばらく小梅や朱里と一緒にお酒を飲んだ。


 今日の祝言までの苦労話。

 兄である新郎との思い出話などを朱里が話す。


 焚き火の番をしていた兄が眠ってしまい、危うく火事になりかけた話を朱里と小梅は可笑しそうに話した。


「昔は三匹一緒によく遊んだわねえ。気が弱くてヘタれだから結婚なんて無理だろうなって諦めてたけど」

「うまくお嫁さん見つかって良かったね」

「本当は伏見稲荷のあたりで狐式でやっても良かったけどね」

「狐式?」


 聞きなれない言葉に思わず尋ねた。

 小梅は頷く。


「みんなで行列を作って提灯を持ちながら真夜中の伏見稲荷を歩くんです。神様が歩く道を」

「厳かで風情があって良いのよ。ま、たまに人が入り込んじゃうこともあるけど」

「へぇ……」


 以前ネット上で似たような恐怖体験の記事を読んだことがある。

 まさしくそれが原因じゃないだろうか。


 彼女たちが住んでいる場所は、僕の世界とは別世界に思える。

 キツネの生活には文化があり、文明も存在していた。

 まるで人間だ。

 一体どこでそんな生活が行われているのだろう。


 異界、なんて言葉が思い浮かぶ。

 この世ではないどこか。

 奇妙な隣り合わせの世界に、彼女たちはいるんじゃないだろうか。


 そしてその世界は、ひょんなことから繋がってしまう。

 伏見稲荷や、この街のように。


「小梅も祝言をする時はここであげたら良いかもね。まぁ宴の街だから厳かなものにはならないでしょうけれど」


 いつの間に祝言の話に戻ったのだろう。

 朱里は小梅の肩を軽く叩いていた。

 小梅は乾いた笑いを漏らしている。


 宴の街か。

 この街はまさにそうだな。


「まぁ場所より先に相手を見つけなきゃダメか、小梅の場合」

「私にはまだ早いわよ」

「早いことないわよ。もう十八じゃない」

「私よりもお姉ちゃんが先でしょ」

「内気な妹を置いて先に結婚なんて出来るわけないじゃない」


 まるでいつでも結婚できると言わんばかりの口ぶりだった。


「相手もいないんだから、当分先で良いよ」

「相手ねぇ……」


 朱里は品定めするように周囲をぐるりと見渡し、そっと肩をすくめて溜息をついた。


「ここにいる雄じゃダメね」


 そしてふと気づいたように、視線を僕に留めた。

 嫌な予感がして思わず顔が強張る。

 朱里の目が光るのが分かった。


「ねぇコウ君、あなた伴侶はいるの?」

「……別にいませんが」


 視線をそらせた。

 構わず朱里は覗き込んでくる。


「じゃあウチの小梅とかはどう? 気立ても良いし可愛いわよ。もちろん、私でもいいけどね」


 予想通りのセリフだ。

 笑ってごまかす。


「ちょっとお姉ちゃん」

「人間とキツネって言うのもありかもしれないわよ?」

「お気持ちだけ受け取っておきます……」

「きっと子供はキツネ耳がついた可愛らしい子になるわ」

「どうなんですかそれ……。そもそも子供が出来るかどうかすら怪しいですが」

「大丈夫よ」


 何が大丈夫なのだ。

 勘弁してほしい。

 そのような特殊性癖はない。


「もう、何言ってるの」


 小梅も困っているのか、顔を真っ赤にしていた。

 目が潤んでおり、今にも恥ずかしさで泣き出しそうになっている。


 朱里の言うことは酒の席での世迷言だ。

 僕は何となく察しているが、小梅みたいなタイプだと本気にしてしまうのだろう。


 ただ、これ以上話が進むと厄介だ。

 世迷言も本当になりかねない。

 僕はとりあえずこの場を退散することにした。


「すいません、少しトイレに行ってきます」

「あ、じゃあ私がご案内します」


 渡りに船とばかりに小梅も立ちあがる。

 僕らが同時に立ち上がるのを見て、朱里は意味深に顔をニヤつかせた。


「どうぞごゆっくり」


 僕たちは逃げるように部屋を出た。


 ◯


「ごめんなさい、気分、悪くしちゃいましたよね」


 薄明かりが灯る廊下で小梅が口を開く。

 僕は首を振った。


「いえ、そんなことないですよ」

「お姉ちゃん、あんなこと言い出すなんて……」

「心配だったんでしょうね。小梅さんのこと」

「まず自分の心配をしてくれたら良いのにぃ」


 小梅は頬を膨らませる。

 拗ねた声だった。


「まさか人間の僕に言ってくると思いませんでした」

「確かに」


 僕らは少しだけ笑った。


 用を足し、部屋の前まで戻ってくる。

 すると、ちょうど良いタイミングで弁天さんが部屋から姿を現した。


「あぁ、コウヘイ君ここにいたの、よかった。探したのよ」

「もうお話はいいんですか?」

「ええ、やっと解放してもらえたわ」


 すると小梅が申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい、うちの兄がご迷惑をおかけしたみたいで……」

「兄、と言うことはあなたが小梅さん?」

「はい。いつも兄と姉がお世話になってます」

「それはお互い様よ。私もキツネの皆には色々よくしてもらっているから。それにしても、妹さんはお兄さんたちとあまり似てないわね」

「よくいわれます」


 小梅は薄く笑う。

 そこでふと気がついた。

 先輩たちの姿がない、と。


「先輩と天狗はまだ中ですか?」


 すると弁天さんはそっと首を振った。

 不穏な空気が漂う。


「それがね、さっきから探しているんだけど、見当たらないの」

「先に外で待ってるんでしょうか」

「わざわざ外に出るかしら。ちょっと考え難いけど」

「そうですよね……」

「あの二人ならさっき出て行ったわよ」


 いつの間にか弁天さんの後ろに朱里が立っていた。

 と言うか、今なんて言った?


「出て行った?」


 思わず聞き返す。

 すると飄々とした顔で朱里は頷いた。


「盛り上がったんでしょうね。他のキツネに連れられて行ったみたい。私が見た時にはもう部屋を出るところだったから」

「大変、急いで追いかけないとはぐれちゃうわ」

「行きましょう、弁天さん」


 玄関に向かおうと身をひるがえすと背後から「コウヘイさん」と声を掛けられた。

 咄嗟に足を止める。


 声の主は小梅だった。


「あの、またお会いできるでしょうか」

「えぇ、きっと会えますよ。その時は改めてゆっくり飲みましょう」

「……はい!」


 小梅はパッと花開いたような笑顔を浮かべた。

 背後から「コウヘイ君、早く」と弁天さんの声がする。


「急がないとはぐれちゃうわ」

「今行きます。小梅さん、朱里さん、また」

「はい、また」

「またねぇ」


 僕は小走りで弁天さんの元まで駆けた。


 別れ際、微笑んだ小梅に不覚にも少しだけドキリとしたのは、恐らく生涯誰にも言うことはないだろう。

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