第13話 朱里と小梅

 大勢のキツネたちが次々に飲んでいく姿に圧倒される。

 どうしたものかと頭を掻いていると、不意に腕を掴まれた。


「そんなところで何突っ立ってるの。お兄さんも一緒に飲みましょう?」


 紺色の布に紅い花が描かれた着物のキツネに声をかけられる。

 メスなのだろうか。

 ここで彼女の誘いに乗るのは、いささか勇気がいる。


「いや、僕は……」


 言い終わる前に、グイと腕を引っ張られた。

 弱って天狗を見ると、天狗も別のキツネに声をかけられていた。

 助けてもらいたかったが、どうや無理らしい。


「良いじゃない、せっかく来たんだから。これもなにかの縁よ。それに、今日はめでたい日なの。一緒に飲んでくださいな」


 良く見たら可愛い顔してるじゃないと雌ギツネは僕の腕をどんどん引いていく。

 抵抗する訳にもいかない。

 僕は従った。


 そこらじゅうでキツネが座り込み、空っぽの杯なんかも地面に転がっている。

 油断するとすぐに蹴飛ばしてしまいそうだ。

 誰かにぶつかったりしないよう慎重に歩いた。


 机を取り囲み、お酒を飲み交わしているキツネたちが目に入る。

 メガネをかけているキツネもいれば、中年男性の様に太ったキツネもいた。

 意外と見分けがつくものだなと感心する。

 老若男女入り乱れた宴の席は人間社会のそれと変わらないのかもしれない。


 急に入ってきた僕の様子を、数匹のキツネが物珍しげに眺めてくる。

 少しばかり居心地が悪い。


「皆、人間のお兄さんが来てくださったわよ」


 部屋の一番端、数匹キツネが集っている場所へと座らされた。

 途端、黄色い声が上がる。

 ここに居るのは全員、メスか。


 雌ギツネ達は僕を取り囲むと、どこからかコップを持ってきて僕の前に置いた。

 乱雑な手つきで酒が勢いよく注がれ、少しこぼれ落ちる。


「可愛い顔してるわねぇ。キツネの雄なんかよりよっぽど良いわ」

「同感」

「はは……ありがとうございます」


 乾いた笑いしか出ない。


「じゃあお兄さん、一緒に飲みましょう。せっかくなんだから」

「じゃあ……乾杯」


 僕を連れてきたキツネが言い、皆で杯を当てる。

 飲むか少しだけ逡巡した挙句、注がれたお酒を飲み干した。

 アルコール特有の味に伴い、林檎の香りが鼻腔に広がる。


「これは……林檎酒?」

「そう。美味しいでしょう」

「ええ。とても」


 焼酎だと覚悟していただけにこれは嬉しい。

 後味もすっきりしていていくらでも飲めそうだ。

 缶チューハイほどの甘さはないが、口当たりは良い。

 りんごの風味がしっかり残っていた。


「ささ、次は私と飲みましょう」

「だめよ、次は私よ」


 向かい側に座ったキツネがずいと体を乗り出し、別のキツネがそれを制する。

 すると他のキツネも参入してきた。


「いや、あたしが」

「うち、うちや」


 そうこうしているうちに数匹のキツネが声を上げ始める。

 僕を取り囲んでいたキツネたちは立ちあがると、大きな声でわめき始めた。

 酔っているのだろう、頬が赤い。


「このお兄さんは私と飲む言うてんの!」

「そんなんあんたが勝手に言うてるだけやろ!」

「せやったら飲み比べしよやないか!」

「ちょっと、私らも混ざるわよ!」

「えっと……全員で飲みません?」


 提案してみたが周囲の喧騒と彼女たちの声でかき消される。

 たぶん全く聞こえていない。

 雌ギツネ達は別の空いている席へ行き、卓上に器を次々と並べ始めた。

 どうやら飲み比べをするらしい。


「あの子たち、本当に馬鹿ねぇ」


 見ると僕を連れてきた雌キツネがさも当然のように隣に座った。


「行かないんですか?」

「あらどうして? お兄さんと飲みたいのにあっちで飲んだら本末転倒じゃない」

「たしかに」


 同じことを考えていただけに苦笑した。


「お兄さんお名前は?」

「コウヘイと言います」

「じゃあコウ君ね。よろしく。私の名前は朱里しゅり

「朱里?」


 意外とまともな名前に少し驚いた。

 すると朱里は僕の心を読んだのか顔をしかめる。


「なによぉ。どうせコン美とかキツ子とかろくでもない名前だと思ってたんでしょう」

「……すいません」

「ま、別に良いけどね。でも、人間だって、人間太郎なんて変な名前の人はいないでしょう? キツネだって、我が子には愛着ある名前くらいつけるわよ」

「……おっしゃる通りです」


 一本取られた気がしてなんだか悔しい。

 僕は頬を掻きながら器に視線を落とした。


 すると、先ほどまで空だった器にいつの間にかお酒が注がれていると気づく。

 朱里が注いだのだとしたら流石に気づくだろうし、一体誰か注いだのだろう。


 振り返ると、紅いリボンを首に巻いた小柄なキツネと目が合った。

 気弱そうな印象を受けるキツネで、どこか人間的に感じた。

 目が合い、相手はそっと頭を下げる。


「あ、お酒がないみたいだったので。……すいません」

「いえ、ありがとうございます」


 礼を言うと敵ではないと思ってくれたのか、キツネは安心したようにはにかんだ。

 すると朱里が、そんな彼女に手招きする。


「ちょっと小梅、一緒に飲んでいきなさいよ」

「でも他の人のお酌が……」

「そんなの手酌でさせとけば良いのよ。気を使いすぎなの、あんたは」


 厳しい口調で朱里が言うと、小梅と呼ばれたキツネはしゅんとうなだれた。

 その様子に朱里は呆れて腕組みする。


「ごめんなさいね。私の妹なの。小梅、こちらコウヘイ君よ」

「小梅です」

「どうも」


 小梅が頭を下げ、それに釣られて僕もお辞儀した。


「酌をして回ってるんですか?」

「今日の祝言の新郎は私と朱里姉さんの兄で……そのお手伝いを」


 小梅は一番奥に座っている新郎のキツネを指した。

 先ほど弁天さんにお酒を勧めていたキツネか。

 まだ弁天さんと会話をしている。


「あーあ、嫁さん横にいるのにデレデレしちゃって。さっそくフられるわよ」


 新婦は友人に囲まれ一見楽しそうにしている物の、夫の様子をチラチラとうかがっていた。

 なるほど、確かに喧嘩の火種になりそうだ。


「でも姉さん、ここで祝言を行ってるならきっと大丈夫よ」

「どうしてですか?」


 疑問に思い思わず尋ねる。


「この街は不思議な場所だから。喧嘩が起こっているの見たことないんです」

「へぇ……」


 キツネたちにとってもやっぱりここは異質な場所なのか。

 感心していると「そうね」と朱里が意地悪く笑った。


「兄さん分かっててやってるわよ。そう言うところはずるいんだ。キツネだから」

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