第12話 キツネの祝言

 鉱石の道を抜け、石階段を昇りきる。

 すると再び提燈の温かい光が灯される一帯に戻ってきた。


 そこは大きな広場だった。

 奥に料亭のような瓦ばりの建物が建てられているのが分かる。

 反対に、階下を眺めれば街を見渡すことが出来た。

 それほど長い間上っていたわけではないが、意外と高い場所まで来ていたらしい。


 提燈が放つ灯りの揺らめき。

 ぼんやりと立ち込める湯気。

 遠くで鳴り響くお囃子。


 なんて緩やかな街なんだろう。

 何時間でも眺めていられる気さえする。

 見ているだけで心が凪ぐようだ。


「綺麗な場所ね……」


 僕の隣で先輩が優しい表情を浮かべていた。


 すると、不意に僕らの脇を抜け、キツネが階段を降りて行く。

 よく見ると、広場には和服姿のキツネが多数存在していた。

 と言うよりも、キツネしかいない。

 ここはどういう場所なのだろう。


「二人とも、こっちよ」


 不思議に思っていると、いつの間にか奥に進んでいた弁天さんが手招きしていた。

 弁天さんの直ぐ側には天狗の姿もある。

 全然気づかなかった。

 僕らは小走りで弁天さんのところまで駆け寄る。


「中に入りましょう」


 弁天さんに従って、僕らは料亭のような建物の中に入った。

 中に入ってすぐのところに、下駄箱がある。

 居酒屋にあるような木の板で出来た鍵だ。

 こういう鍵を松竹錠と言うらしい。

 僕らはそこで靴を脱ぎ、奥へ進む。


 石畳の玄関を上がると木製の長い廊下が続いていた。

 中は提燈で薄ぼんやりと照らされている。

 真新しい畳の香りと、杉の香りがした。

 どこか遠くから、楽しそうな笑い声や話し声が聞こえてくる。


 廊下を歩いていると、また向こう側からキツネが歩いてきた。

 すれ違いざまに会釈して通り過ぎる。


「この辺り、ずいぶんキツネが多いですね」

「今日はキツネの祝言だからな」


 天狗が答えると、弁天さんは目を丸くした。


「あら、天狗知ってたの?」

「耳にはしていた。今日キツネが祝い事をすると」

「情報通ね」


 そういう彼女は、どこか感心しているように見えた。

 僕はふと浮かんだ疑問を彼女にぶつける。


「この建物も、元から街にあったんですか?」

「そうよ? どうして?」

「いや、ずいぶん綺麗な場所だなって思って。他の建物と内装が違うというか」

「少しずつ掃除したり、改築したんじゃないかしら。大半はキツネのおかげね」

「キツネの?」


 僕が首を傾げると、天狗がそっと柱を触った。


「キツネはここで度々祝言を挙げる。見映えするように内装も凝ったのだろう」

「でも改築って……そこまでするもんですかね」

「それだけ祝言がキツネにとって特別だと言うことだ」


 キツネの嫁入り、と言う言葉を不意に思い出す。


「なんとなく話はわかりましたけど。こんな風に大規模で賑やかな宴があるのは少し意外でした」

「あら、どうして?」

「ここは小規模に集まって静かに飲む場所だと思っていたので」

「確かに、ここまで同じ種族で集まるのはキツネくらいかも。彼らは数も多いし、まとまって行動することが多いから」

「何だか緊張するわね……」


 先輩がぶるりと肩を震わせる。

 怖いのだろうか。

 珍しく弱気に見えた。


 廊下を進むと、やがて奥に明るい部屋があるのが見えてくる。

 弁天さんはその前で立ち止まった。


「ここよ」


 部屋の様子は障子が閉まっていて分からなかったが、中に大勢居るのだけは分かる。

 どうやら先ほどの笑い声はこの部屋から聞こえてきたらしい。


「挨拶をしてくるから、みんな待ってて」


 弁天さんはそっと障子を開いた。

 中の様子を見て、僕と先輩は「わっ」と声を出す。

 

 そこには宴の席が広がり、和服姿のキツネたちが大勢騒いでいた。

 昔の絵画に描かれる、妖艶な顔立ちをしたキツネが百匹近くそこにいる。

 ある者は酒を飲み、ある者はアテを食い、楽しそうに踊ったり、芸を見せたりしていた。


 異様な光景だった。


 場内はいくつもの小さな机が置かれ、キツネたちはその周りで楽しげに飲み交わしている。

 その情景が、ちょうどサークルの皆で飲みに行った時のものと重なった。

 一つの大きな座敷で、馬鹿みたいに騒いだ記憶がある。

 目の前の景色はそれによく似ていた。


「披露宴と言うより宴会だな」

「多いわね、一体何匹いるのかしら」

「百匹くらいいますよね、キツネ」


 広い部屋の一番奥に、少し豪勢な造りの机が置かれてた。

 あそこに座っているのが新郎、新婦だろう。

 弁天さんは二匹の所に歩き、丁寧に頭を下げている。

 遠目から見ても絵になる人だと思った。


 弁天さんに、新郎と思しきキツネが杯を差し出している。

 どうやらお酒を勧められているらしい。


「あーあ、あの様子だと当分帰ってこないわね」

「じゃあ、僕らここで待ちっぱなしですか」


 軽く溜息を吐いていると、不意にトントンと肩を叩かれた。


「どや、一杯飲まんかね」


 不意に声を掛けられ、見ると入り口近くに座っていたキツネがこちらを見上げていた。

 話しかけられると思っていなかったのでギョッとする。

 キツネが人語を操っているのは、目の当たりにすると実に不思議だ。


「えっと、僕ですか?」


 思わず困惑する。

 しかしキツネは気にすることなく器を僕に突き出した。


「せや、兄さんや。そっちのべっぴんさんでもええで」


 キツネは先輩に視線を移す。

 すると先輩は「私?」と自分を指さした。


「じゃあせっかくだから飲もうかしら」

「話が分かるなあ、姉ちゃん」

「当たり前でしょ」


 先輩は器を受け取る。

 先程まで怖がっていたくせに、声をかけられて一瞬で恐怖が吹き飛んだらしい。

 むしろ、べっぴんと言われ満更でもなさそうに見える。


「先輩……」


 大丈夫ですか、と言おうとして天狗に肩をつかまれた。

 首を振っている。

 どうやら放っておけと言うことらしい。


 こうして、僕らはキツネの宴に足を踏み入れた。

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