第33話 恋する乙姫

 乙姫に案内され奥の個室へと連れられる。

 小さな座敷になっており、先ほどと違いちゃんと壁も窓も設けられている。

 まるで旅館の和式部屋だ。


 部屋の中央に大きな長方形の卓が置かれており、私たちはそこで宴を行う。

 乙姫が魚たちに指示すると、やがてお盆を載せた亀たちが姿を見せた。

 お酒を机の上に並べられ、杯を囲む。


 酒は陶器で出来た変わった模様のとっくりに入れられていた。

 それはどこか私に、沖縄の古酒くーすーを思い出させる。


「これは?」

「海の涙と書いて『海涙かいるい』と読みます。海の水から作りました」

「海の水? めっちゃ塩辛そうね……」

「良いから飲んでみろ」


 天狗が促すと、魚たちが協力してグラスにお酒を注いでくれた。

 水の中に居るはずなのに、とっくりから流れ出たお酒はゆっくりとグラスに落ちる。

 水と油を混ぜるとちょうどこんな感じだなと思った。

 液体同士を混ぜても、ちゃんと境界線が見えるし、重いほうが下に沈む。


「どれどれ……」


 クンクンと匂いを嗅ぐと、どこか爽やかな磯の香りがした。

 水の中なのに匂いが判別できるという体験も不思議だが、この香りもまた不思議だ。

 磯の匂いは濃密なのに、生臭さや不快感がない。


 私は小太郎たちと目を合わせると、相槌して一斉にお酒を口に運んだ。


「うわっ、すご……!」


 最初の印象は『強烈』だった。


 潮騒の鮮明で濃厚な風味が一気に広がり、古酒特有の濃密な酒の味が突き抜けた。

 塩っぽいが、塩辛さはない。

 酒のアテを食しながら酒を飲む感覚に似ている。

 例えるなら濃厚なおでんの出汁割だろうか。

 旨味と、酒の風味が凝縮されている。

 複雑な、絡み合った味だ。


「なにこれ、すご……」

「これが、海で作られた酒だ」


 天狗は言うや否や、いつもの豪快な飲み口でグラスに注がれた酒を飲み干す。

 酒を飲み干すと、ふぅっと呼吸を一気に吐いた。

 やりおる。


「キツネのりんご酒や、弁天の酒ともまた違うわね」

「度数が高いからな。海の味が凝縮されている」

「飲み過ぎにはご注意なさってくださいね」


 気を使う乙姫に「味わっていただくわ」と私は頷いた。


「キツネぇ、お前はどうしてそんな風になっちまったんだよ!」

「うるさいタヌキぃ! 昔はあんなに仲良かったのに!」

「しかたないじゃろうが! 一族の定めじゃ!」

「おいらたちで変えるしかないんちゃうか、この定めを!」

「うっさいわねさっきから……」


 しばらく酒を飲んで酔いが回り始めたのだろう。

 小太郎ととん平が何やら熱い会話をし始めた。

 酔っ払いによくあるやつだ。


 私と小結は、冷めた目でその様子を遠巻きに眺める。

 天狗はと言えば、静かに乙姫が注いだ酒を口に運んでいた。


「ここはずいぶん落ちついた場所ね。この街はもっとどんちゃん騒ぎしてるものだと思ってたわ」

「地上のお客様が少ないからじゃないでしょうか。抵抗があるのか、地上の方がこの店に来ることはあまりありませんから」

「あぁ……」


 来た時のことを思い出す。

 確かに、水の中に入るのはかなり抵抗があった。

 と言うより、天狗がいなければ諦めて戻っていただろう。

 普通、階段が水に沈んでいたら入ろうとは思わない。

 酒が入っているなら尚更だ。


「元々ここは海の生物のために作ったところなんです。魚たちは基本的に穏やかなので、店内もこんな風にしっとりとしてます」

「へぇ、なるほどねぇ」


 そこで少し疑問が浮かぶ。


「天狗はいつこの店に来たのよ? ふらりと立ち寄って見る店じゃないでしょ?」

「乙姫とは元々顔見知りだったからな。誘われて来たことがあるだけだ」

「天狗はめったに来てくださいませんから。今日も会うのはずいぶん久しぶりです」

「そうだな……」


 相変わらず憮然とした表情で酒を飲む天狗を、乙姫はどこか艶のある瞳で見つめた。

 口元には柔らかい笑みが浮かんでいる。


「お元気になさっていましたか?」

「それなりだ」

「もう少し、顔を見せていただいても良いんですよ?」

「地上の物が海の世界に居すぎるのは良くない。お前の言葉だ」

「でも、天狗なら話は別です」


 乙姫はぐいぐい天狗に迫っている。

 まるで好意のある男性を前にした女子だ。


 大学のサークルでも似たような光景を何度も目にした。

 外面を作るのが上手い女子でも、好意のある相手の前では結構わかりやすく好意を示したりする。

 乙姫もまた、そんな女子の一人に思えた。


「なんか雰囲気がやらしいわね……。あんたたち付き合ってたの?」


 見かねて私が尋ねると、乙姫の顔が真っ赤になった。

 図星かと思っていると「バカを言え」と天狗がいつもの静かな声で否定した。


「乙姫には昔、少し助けられただけだ」

「へぇ? 助けた?」

「傷だらけになり海で溺れた己れを、乙姫が囲ってくれたのだ」

「何でそんなに傷だらけになったのよ」

「当時、妖怪の世界では大規模な争いがあってな。己れは旅をしていたが、その争いに巻き込まれた。大量の妖怪に襲われ、傷だらけになり、死を覚悟して海に逃げ、魚たちに助けられた」

「あんたが追われるなんてちょっと想像つかないわね」


 天狗は元々人間だという。

 妖怪の世界に入り込み、旅をして妖怪に襲われた。

 そう考えると何となく彼の人生の軌跡が見えてくるような気もする。

 酒の席だからあんまり深く探るのも野暮だろうが、気になる話ではあった。


「その時ここに来たって訳?」

「いや、こことはまた違う。異界の海にある本物の龍宮城だ」

「妖怪の世界にも、同じような建物があるってわけか。それで、助けられたあとはどうなったの?」

「傷が癒えるまで乙姫たちと共に暮らし、地上に戻ったまで」

「それだけじゃありません。助けたお礼に、天狗は凶悪な海の生物を追い払い、私の友人をたくさん助けて下さったんです」

「一宿一飯の恩義を忘れていないだけだ」


 天狗は少し遠い目をする。

 過去を思い出すかのように。


「己れが地上に戻った時、すでに戦争は終わりを遂げ、世は太平を迎えていた。地上では、何百年と経っていたらしい」

「じゃあ知り合いとか居なくなっちゃったってこと?」

「いや。妖怪は存外長生きでな。死んだものも居たが、今でも生きている友人もいる」

「へぇ……」


 スケールがでかいなと思った。

 まるで一本のおとぎ話だ。


「でもそんなに年月が経ってるなら、玉手箱は貰わなかったの?」

「お渡ししませんでした」


 天狗の代わりに乙姫が答える。


「海の世界と地上の世界は時の流れが異なります。本来なら、自然のことわりに従い、ふさわしい時を経過させるべきでしたが。出来ませんでした」

「なんで?」

「それは……惚れ込んでしまいましたから」


 赤い顔で慎ましく言い放たれたその言葉に、天狗がガハガハとむせた。

 珍しく動揺している。

 私は天狗を肘で突いた。


「なぁによぉ、照れてんじゃん。このモテ男」

「照れてなどいない」


 自分の全然知らない世界の話に触れるのは楽しい。

 私が一人でニヤついていると、「姉さん」と小結が私の服を引っ張った。


「兄さんたち、もうダメそうです」


 見ると小太郎ととん平がいつの間にかぐでんぐでんになっていた。

 肩を組んで幼い頃の話をし、だいぶへべれけになっている。


「あちゃー……飲み比べする前に潰れちゃってんじゃん」

「お前の狙い通りだろう」


 呆れている私に、天狗が口を挟む。


「確かにそうだけど、ちょっと飲み比べもやってみたかったのよね。私も参加したかったし。私、こう見えても酒で負けたことないのよ? 敗北を知りたい」

「コウヘイはどうなのだ?」

「あいつも強いのよね……。底が知れないっていうか。だから、いつか決着つけるつもり」


 そこですこし思い立って天狗を見た。

 ずいと迫ると、ふいと天狗は身を引く。


「ところで天狗、あんた酒強そうね。私が勝負してあげようか?」

「くだらんな。酒の強さを誇示することに興味はない」

「ちぇ、つまんないの」

「お酒が強いと言えば、龍はどうですか?」


 口を尖らせる私に、乙姫が言った。

 思わぬ言葉に、思わず目が輝く。


「龍なんているの!?」

「龍穴という龍が集まる場所があるんです。龍神たちがお酒を飲んでいるんですよ」

「どうする? トモ」

「んなの決まってるじゃない」


 私はニヤリと笑みを浮かべる。


「面白そうじゃない。行ってみましょうよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る