第32話 竜宮城へ

 鬼の店を出た私たちは二匹と二人で龍宮場へと向かって進んだ。

 道行く異形の者たちが、通り過ぎ際に私たちをチラリと眺めていく。

 天狗とキツネと人間の組み合わせは、どうやらこの街では珍しいらしい。


「おいら、竜宮城なんて来るのは初めてですわ」

「あたいも」


 小太郎と小結はずいぶんとはしゃいでいた。

 まるで子供だ。


「あんたたち、意外とこの街のこと知らないわよね。あんまりこの街を周ったことないの? 詳しそうに見えたけど」

「おいらたち普段は皆と団体行動しているから、あまり出歩かないんです」

「それで今日は兄ちゃんと二人で冒険してみようって話になって……」

「巻き込まれたのが私ってわけか」

「でも姉さんが来てくれてホンマに良かったですよ。何せ勢いがある。どんどん開拓してくれはるし、頼りがいがあります。なぁ小結?」

「本当ね、兄ちゃん」

「なら良いけどさぁ」


 なんだか上手く利用されたような気もする。

 癪だ。

 私が一人でふてくされていると、天狗が静かに笑った。


「何笑ってんのよ」

「何。暴虐武人な女かと思ったが、存外優しいのだと思ってな」

「誰が暴虐武人よ」


 私が睨みつけていると、向かい側から一匹、二本足で歩く和装のタヌキがやってきた。

 この街では初めて見る。

 珍しいなと思って眺めていると、タヌキは小太郎と小結をみて「あっ!」と声を出した。


「貴様は小太郎!」

「お前はとん平!」

「うぬぅ、キツネぇ! ここで会ったが百年目!」

「なになに? 急に喧嘩し始めないでよ。今どき河原町の酔っぱらいでもこんな喧嘩しないわよ」


 私が困惑していると「ごめんなさい」と小結が頭を下げた。


「タヌキとキツネはあんまり種族間の仲が良くないんです。特にとん平さんと兄ちゃんは毎回言い争う関係で……」

「なにそれ」


 私が困惑してると「一族の定めみたいなものだ」と天狗が捕捉した。


「キツネはタヌキを憎めと教えられ、タヌキはキツネを憎めと教えられる。人も似たようなものだろう」

「ふぅん? 民族的な差別ってやつ? どこ行ってもあるのね。くだらない」

「兄ちゃんととん平さん、昔は仲良かったんです。いつしかこんな感じになっちゃって」

「ふぅん?」


 そこで私はふと思いつく。


「なら良いじゃない。ねぇ、タヌキ」

「わしはとん平じゃっ!」

「良いじゃんタヌキで。ねぇ、このキツネと決着つけたくない?」

「ああん……?」

「竜宮城で飲み比べしましょうよ」


 私の提案に「えぇ?」と小太郎は困惑の色を浮かべた。


「本気ですか、姉さん?」

「本気も本気よ。キツネとタヌキ、どっちが酒強いか見てみたいし。いい機会じゃない。どう?」


 私が尋ねるととん平は少しだけ不服そうにした後「まぁ、構わんが」と言った。

 とん平が了承するのを見て、しぶしぶ小太郎も頷く。


「じゃ、決まりね」


 タヌキとキツネの飲み比べか……。

 泥試合になって面白そうだ。

 私が一人でニンマリほくそ笑んでいると、そっと天狗が近づいて来た。


「竜宮城は格式高い。妙な騒動は起こしてくれるな」

「釘刺しに来たって訳? 良いから任せなさいよ。私に考えがあんだから」

「考え?」


 私は天狗に耳打ちする。

 天狗は身を屈めてわたしの言葉に耳を澄ました。


「こいつら、本当は仲良いのよ。でも一族の手前喧嘩してるふりしてる。だから酒のんで和解させるのよ」

「ほう?」

「じゃ、行くわよ」


 さらに賑やかになった団体で押し進んでいると、やがて目の前に大きな湖と、その真ん中にそびえ立つ城が見えた。

 小さな日本城のようにも見えるその建物には、入り口につながる大きな橋が渡されている。

 入り口には『竜宮城』と書かれた看板がついていた。


 予想以上の規模の城に、「わぁっ」と小結が歓声を上げる。


「ここが竜宮城? 亀が水中に連れてくれると思ったのに」


 私の言葉に「入ればすぐに分かる」と言って天狗は先へ進んだ。

 その大きな背中を私たちは追う。


 竜宮城に入ると、古民家によくあるような段差の激しい木製の階段が目の前に広がった。

 薄暗く足元もおぼつかないので慎重に階段を下る。

 すると不意に違和感に気づいた。


「沈んでんじゃん……」


 階段私たちの下ってきた階段は、水に沈んでいた。

 かなり深くまで続いているようで、地上に出られる余地はない。


「どうすんのよ、これ」

「乙姫はこの先だ」

「ここを進むの? えー……濡れるの嫌だし、って言うか溺れんじゃん」

「姉さん、おいらたちも水は苦手です」

「ほら」

「案ずるな、問題ない」


 天狗はそう言うや否や、まるで気にせず水の中に潜っていく。

 ぎょっとしたが、天狗はまるで水などないように普通に階段を下っていった。

 どうなっているのだ。


 あれだけの巨体なのだ。

 普通は浮力が働いてもおかしくないはずなのに。

 私は小太郎たちと顔を見合わせる。

 どうやらやるべきことは一つしかなさそうだ。


「ええい……南無三!」


 私が覚悟を決めて水に足を踏み入れると、チャポンと水面が波打った。


 しかし不思議なことに、水に入った時特有の濡れた感触がない。

 ちょっと足先がスッとするくらいで、まるで霧の中に飛び込んだかのような感触だ。


 意を決して水の中に頭まで突っ込む。

 最初は呼吸を止めていたが、やがてすぐに気がついた。


「呼吸が出来る……」


 酸素が体の中に確かに入ってくる。

 視界もクリアで、まるで水などないかのようだ。

 でも私たちは、たしかに水の中にいた。

 先程までいなかった魚たちが、周囲を泳いでいる。


「すっご……」


 それはどんなテーマパークにもないような不思議体験だった。


「どうなってるんやこれ!」

「兄ちゃん! 息が出来るわ!」

「不思議じゃ! 不思議じゃ!」


 背後で小太郎たちがやかましく騒いでいる。

 どうやらこれは、彼らにとっても未知の経験らしい。


「ようやく面白くなってきたじゃない」


 私の歩は更に進む。

 やがて階段を下り切ると、次は長い廊下が続いていた。

 ちょうど水の中に建物の通路を渡したような感じだ。


 昔行った水族館が、ちょうどこんな風だったことを思い出す。

 水の中に渡された全面ガラス張りの通路があったのだ。アレと似ている。

 ただ違うのは、今は本当の水の中にいると言うことだけど。


 畳が敷き詰められた通路の外側では、魚たちが美味しそうに酒を口にしている。

 この水面下で酒を飲むことに意味があるのかはちょっと不明だ。


 やがて天狗に追いつく。

 待っていてくれたらしい。


「ねぇ、どうなってるのこれ? 私たち確かに水の中にいるのよね?」

「己れも詳しくは知らん。だがここが魚の世界なのはたしかだ」

「これも街が生み出した空間ってこと?」

「だろうな」

「見てよあそこ。魚が酒飲んでるわよ」

「ここでは魚も客としてくるからな」

「あんなところで酒のんで意味あるの?」

「それは魚に聞け」


 目に入った物の感想を片っ端から述べつつ進んでいると。


「いらっしゃいませ」


 不意に、羽衣を身にまとった世にも美しい女性がやってきた。

 紹介されなくても分かる。

 これが乙姫だろう。

 乙姫の周囲には、戯れるように魚たちが着いて泳いでいる。


 ゆっくりとした足取りで近づいてくると、乙姫は静かに私に目を向けた。


「人間のお客様とは、珍しいですね」

「あんたが乙姫ね。噂に聞いたの。美味しい酒飲ませてくれるって」

「それなら、奥の個室でご案内いたします」

「いいの? 個室なんて贅沢な」

「旧友がいますから」


 乙姫はそう言うとチラリと天狗に視線をやる。

 天狗は「ゴホン」と咳払いする。


「何? 何か訳あり?」

「ちょっとした縁があるだけだ」

「ふうん?」


 何だか怪しいな。

 怪訝に思っていると、不意にとん平と小太郎がにゅっと顔を出した。

 乙姫を見てデレデレと鼻の下を伸ばしている。


「綺麗な人ですなぁ」

「美人さんやねぇ」


 二匹とも先程まで争っていたくせに、すっかり毒気を抜かれていた。

 それをみて小結は頭を抱えた。


「お兄ちゃん、あたい情けないわよ」


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