番外編 その頃彼女は

第31話 酒に手を引かれ

 始まりは、キツネの祝言に紛れ込んだ時だった。


「うへぇ、もう飲めねぇ……」

「あんたたち情けないわねぇ。そんなんで私に飲みを挑むなんて、百年早いわよ」


 私の周囲には、キツネのおっさんたちがデロンデロンになって横たわっていた。

 ここに居る全員を、私が酒で潰したのである。

 死屍累々というやつだ。


「まだ飲み足りないわねぇ」


 とは言え。

 流石に同じ酒ばかり飲んでいるので、少し飽きてきた。

 そろそろ弁天たちに声を掛けようかと思っていると。


 不意にトントンと、肩を叩かれた。


「姉さん、めっちゃお酒飲まはりますねぇ」


 小さい細目のキツネが私の前で手を擦っている。

 それは、漫画や映画でよく出てくるような、裏のあるキャラクターを想起させた。

 あからさまな怪しさに、思わず睨む。

 睨まれたキツネは「まぁまぁ」と私を制した。


「そんな怖い顔せんと。おいらは小太郎こたろう言いますねん。こっちは妹の小結こむすび


 すると小太郎の後ろから飾りをつけた小さいキツネがヒョイと顔を出した。

 キツネの顔の見分けなどつかないが、それが女の子であることは分かる。


「あたいが小結です。すいません、兄ちゃんっていっつもこんな感じなんですぐ怪しまれるけど、悪いキツネと違いますよ」

「ふぅん?」


 私は腕組をして二匹を眺めた。

 仲が良いらしい。


「それで、私に何か用?」


 私が尋ねると、小太郎は頷いた。


「実は酒豪のお姉さんにオススメの店がありましてね。今から小結と飲みに行くんですけど、ええ飲みっぷりしてはりましたから。よかったら一緒に行きません?」

「ふぅん? 酒の飲みの誘いってわけ?」


 小太郎曰く、鬼が造る『月の雫』と言う大層美味い酒があるそうだ。

 この街の名物の一つでもあるという。

 キツネに飲みを誘われるなど思ってもみなかった。


「悪くないわね。行きましょう」


 こう言う特別な場所での縁は無碍むげにしたくはない。

 私が立ち上がると「そうこなくっちゃ」と小太郎は笑みを浮かべた。


 小太郎に連れられ、玄関に二匹と一人で向かっていると。

 背後からドスドスと足音が聞こえてきた。


れも行こう」


 天狗だ。

 いかにも大男と言わんばかりの足音だったから見当はついていたけど。

 天狗を見た小太郎は「どうぞどうぞ」と小刻みに頷いた。

 私は天狗にそっと呆れ笑いを浮かべる。


「あんた、酒好きねえ」

「抜かせ。貴様に言われたくない」


 キツネの宴を抜け出し街へ。


 来た時はまだ祭りの始まりのような静けさがあったが。

 店を出る頃にはすっかり本格的な宴の街と化していた。

 そこらかしこに人間とは異なる異形が歩き回っている。

 提灯と月明かりに照らされた街は、来た時以上に賑わっていた。


「それにしてもホントすごいわね。こんな世界があるなんて。ねぇ? コウ」


 呼びかけるも返事はない。

 不思議に思い背後を見ると、そこにコウヘイの姿はなかった。


「ちょっと、あいつどこ行ったのよ。よく見たら弁天もいないじゃない!」

「お前が置いてきたんだ」

「えっ? 連いてきてると思ったのに!」


 叫ぶ私に、天狗が呆れたように肩をすくめる。

 よく見ると居るのは私とキツネ二匹、それに天狗だけだった。

 そんな私を見て、小太郎は首を傾げた。


「お連れさん置いてきてしもたんですか? 戻ります?」


 しかし私は首を振った。

 ここまできたらもう戻るわけにはいかない。

 それがこの長谷川トモだからである。


「行くわよ。コウには悪いけど、目の前の美味そう酒を飲まないわけにはいかないからね!」


 すると天狗も同調する。


「案ずることもないだろう。飲んですぐに戻れば会える」

「そうよ! それより月の雫! 飲みに行くわよ!」

「姉さん元気ですなぁ」


 人混みを抜けて店へと向かう道中、キツネの世界について尋ねてみた。

 どうやら今日結婚したキツネは、キツネの世界では割と有名らしい。


「名家言うやつです。稲荷神を何匹も出してるスゴい一族なんすわ」


 身分とまではいかずとも、キツネの世界にも階級はあるらしい。

 案外俗っぽいのだなと思う。


「伏見稲荷で神さんの儀式もやってるんですよ」

「へぇ、見てみたいわね」

「伏見稲荷回ってたら見れるかもしれませんねぇ。たまに人間が紛れ込むことがあるって聞きます」


 そう言う怖い話を昔どこかで読んだ記憶がある。

 よくある作り話かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 すると私の考えを読んだように「稲荷神社はキツネの世界と繋がるからな」と天狗が補足した。


「じゃあ伏見稲荷を回りまくっとけばキツネの世界に行けるってわけ?」

「可能性はある。だが、この街ほど安全ではない。異界に入るというのは、その世界にとっての異物が紛れ込むようなものだ。異物は恐れられたり、排除される」

「じゃあこの街が特殊ってことかぁ」


 そこで、ふと疑問が湧き上がる。


「それにしても天狗。あんたは何でそんなにキツネの事情に詳しいのよ?」

「天狗はんは元々人間の世界から妖怪の世界に入り込んだお方ですねん」


 天狗の代わりに小太郎が答える。

 予期せぬ答えに、思わず「えっ?」と声が出た。


「じゃああんた、その面の下は人間ってこと?」

「もう何十年も前だ。今では人から離れている」

「ちょっと面取ってみてよ」

「断る」

「ちぇっ、ケチ」

「どうとでも言え」


 どうもこの男には私の毒舌は通じないらしい。


「あんたの事情、もっと詳しく聞きたいわね。俄然がぜん興味湧いてきた」


 私がジッと横目で見ると、「いずれ機会があればな」と天狗は呟いた。


 階段を降りて少し歩くと、この街の中ではかなり大きな部類の店にたどり着いた。

 ここが美味い月の雫を出す評判の店らしい。

 そっと入り口から中を除くと、中は妖怪たちで賑わっていた。

 その様子を見て「あぁ、乗り遅れたぁ!」と小太郎が頭を抱える。


「めっちゃ混んでますねえ」

「お兄ちゃんがうかうかしてるからや」


 小結が呆れたように嘆息した。

 するとちょうど奥の席に座っていた妖怪たちが立ち上がる。


「席空くみたいよ! ラッキーじゃない!」


 どうやら今宵、酒の神は私に味方しているらしい。

 前の客が出ていくと、私たちが続けざまにその席へと座らされた。

 やがて、店主らしい青い皮膚の鬼がやってくる。

 青鬼だった。


 すかさず小太郎が月の雫を注文する。


「すまんが切らしてるな」


 青鬼にそう言われ「えーっ!?」と思わず声が出た。


「せっかく来たのに……」

「まぁそう言わないでくれ。今日は量が持ってこれなくてな。他の酒ならあるぞ。鬼殺しとかどうだ」

「鬼がそれ出すの……?」


 私は口元に手を当て、少しだけ考える。


「鬼殺しかぁ……」

「不満か?」


 天狗が尋ねてきた。


「不満ってわけじゃないけど。散々飲んでるからね。わざわざ進んで飲もうとは思わないってだけ」


 私が渋っていると、青鬼は「なら、竜宮城に行ってみたらどうだ」と言った。


「竜宮城?」

「乙姫がやっている店だ。そこでも色々変わり種の酒を提供してくれる」

「へぇ、面白そうね! でも、他の店宣伝してもいいの?」

「目当ての酒を切らしてしまっているからな。せめてもの詫びだ」

「ふぅん?」


 まだそんなに街を回った訳では無いが、わかったことがある。

 この街の住民は、どいつもこいつも酒に対して真摯だと言うことだ。

 自分の酒を飲みに来る客に対しても、誠実な対応をしてくれる。

 人間の世界では、こんな風にはいかないだろう。


 今はその厚意に甘えさせてもらうことにする。


「じゃあ、竜宮城に行ってみましょうよ!」


 私が言うと、天狗はそっと首を捻った。


「弁天やコウヘイたちは良いのか? 龍宮城に向かえば、確実にはぐれるだろう」

「あ、そうだった」


 すっかり忘れていた。

 とは言え。


「ここまできたらもう止まりたくはないわね」


 今日は何だか、不思議な酒の導きに招枯れているような気がするのだ。

 だからその流れを、せき止めたくはない。


 それに。


「どうせコウのことだから、酒飲み歩いてるでしょ。絶対どこかで会うわよ。あいつは酒で潰れないから」

「ずいぶん信用しているのだな」


 私はニヤリを不敵な笑みを浮かべた。


「当たり前じゃない。だって私の後輩なんだから」

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