第2話 天狗との出会い

 先輩の長谷川トモと、僕こと佐久間コウヘイが知り合ったのは、今から三年前。

 大学内の文化交流サークルでのことだった。


 文化交流サークルとは名ばかりの、飲み会サークル。

 大学ではそんなサークルは星の数ほどあるものだ。

 しかし、僕はそうと知らずに入会してしまった。


 新人歓迎会と言う名の飲み会に参加した時。

 不意に、その名前は僕の耳に飛び込んできた。


「君、一回生だよね」

「はい」

「じゃあ、悪いことは言わないから『長谷川トモ』っていう人だけは関わらない方が良いよ」

「はぁ、どうしてですか?」

「天狗だからだよ」

「天狗?」

「飲んでも飲んでも絶対に死なない『天狗』なんだよ、あの女は」


 長谷川トモは、全てのメンバーに名前を知られる、伝説的存在だった。


 一回生の頃から上級生全てを酒で酔い潰し。

 他団体の酒豪たちとの飲み比べでも、負け知らず。

 更に多数の男性メンバーが彼女に交際を申し込み、酒の飲み比べで勝てたら付き合ってやると言われ、誰も勝てなかったという。


 噂が噂を呼び、いつしかついたあだ名が『天狗』だったのだ。


 そんな僕が初めてトモ先輩と出会ったのは、僕が大学一回生の夏。

 夏休み前のサークル打ち上げにて、お酒に酔った事がないという僕の噂話を聞いて、彼女が姿を見せたのだ。

 トモ先輩を見たのは、それが初めてだった。


「あんた、お酒強いんだって?」

「はい?」


 それが彼女と交わした最初の言葉だった。

 先輩が姿を見せた途端、あたりが騒然となるのが分かった。


「今日の犠牲者はあいつか」

「誰か止めてやれよ……」

「無理だろ、もう死んでもらうしかないって」


 不安な言葉が次々と飛び込んでくる。


「ねぇ、私、お酒結構強いのよ。一緒に飲み比べましょうよ」

「別に良いんですが、ガバガバ飲むのはちょっと……」

「嫌なの?」

「あんなの、お酒への冒涜でしょ」


 一気コールから始まる、バカみたいなお酒飲み方。

 いかにも頭の悪い大学生という感じの飲み会が、僕は好きではなかった。

 サークル内でもそうした雰囲気がないわけではなかったが、いつも上手く回避するようにしていたのだ。


 お酒はあくまで味わって飲むものだ。

 その中で、コミュニケーションを円滑にする役割を果たすものだと思っている。

 だから飲み比べという発想が、いかにも低俗な気がして仕方がなかった。


 すると以外にもトモ先輩は「気持ちは分かるわ」と僕の言葉に頷いた。


「飲み方なんて人それぞれよ。私も騒いで飲むのは好きじゃないわ」


 先輩はそう言うと僕の前に瓶ビールを五本置いた。


「騒いで飲まなけりゃ良いのよ」

「そう言う問題じゃないのですが」

「ゆっくり飲みましょう。話しながら、語らいながらね」

「えーっと……」


 助けをもとめてみた物の、トモ先輩の勢いを止められる人はその場に存在しなかった。


 だが結局、その時の飲み会では決着がつかなかった。

 決着が着く前に、先に飲み会がお開きになったのだ。

 それで気に入られたのか、それ以後も度々飲みに誘われるようになった。


 トモ先輩の見つけた居酒屋に付き添い、朝まで酒を交わし、語らい合う。

 僕らはそんな、酒で繋がった仲だった。

 後々わかったが、彼女は僕の一つ上の先輩だったらしい。


 そして、飲み比べの再戦は未だに果たされていない。


 ○


 随分と懐かしいことを思い出した。

 何となく当時を思いながら、賀茂川のほとりでビールをチビチビと口に運ぶ。


 桜が風に揺られ、花びらが舞った。

 賀茂川の水は澄みきっており、涼やかな水のせせらぎを奏でている。

 僕はなんとなく、その情景を眺めた。 


「何か考えてる?」


 物思いに耽っていると、トモ先輩が声を掛けてくる。


「ちょっと昔の事を。僕らも随分長いなぁと」

「私もあんたと同学年になるとは思ってなかったわよ」

「同学年なんですかね。留年したんだから五回生じゃないんですか?」

「細かい男ねぇ」


 先輩は鬱陶しそうに目を細めると、賀茂川に視線を向けながらビールを口に運んだ。


「にしても今日は心地良いわね。桜も綺麗、天気も良い、おまけに満月。世界が私達を祝福してるわね」

「祝福してたら留年はしないでしょ」

「うっさいのよ一々……」


 酷い言われようだ。

 だが彼女の口の悪さはもう慣れっこだ。


 僕らがいつものやり取りをしていると、不意にクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 誰が笑っているんだろう。

 そう思っていると、草を踏み分けて、こちらに足音が近付いてくる。


「あなた達、ビール美味しい?」

「まぁ、それなりですかね。……へっ?」


 僕と先輩は、ほぼ同時に背後を振り向く。

 そこには、若い女性がおかしそうに笑みを浮かべて立っていた。

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