第3話 彼女の名前は弁天
デニムスカートとパーカー。
手にはエコバッグ。
いかにもその辺りを散歩しそうな格好の女性が、目の前に立っていた。
長い髪を後ろで一つに束ねた、綺麗な人だった。
年上だろうか。
僕たちを見ながら、女性は口元に笑みを浮かべる。
知り合いかと先輩の顔を見たが、首を振られた。
じゃあ、誰だこの人は。
僕たちが困惑していると、女性は「ゴメンゴメン」と屈託なく笑った。
「あなたたちが楽しそうにお酒飲んでるから、つい声をかけちゃった」
「僕たち楽しんでましたっけ」
「別に、そんな感情は抱いてないわよ」
先輩は肩をすくめる。
しかし女性の表情は揺れない。
「傍目から見てたら面白かったわ。こんな時間から川辺で飲み会なんて、仲良いんだなぁって。ひょっとして、付き合ってるの?」
「これは私の下僕よ」
「あのー、人のこと『これ』呼ばわりしないでもらって良いですかね?」
僕たちがにらみ合っていると、女性は再びクスクスと笑った。
「ねぇ、私も一緒に飲んでも良いかしら?」
「僕らとですか?」
僕と先輩は顔を見合わせる。
避けられこそすれ、一緒に飲みたいなんて言う人はこれまでいなかった。
変わった人もあったものだ。
ただ、特に拒む理由は無い。僕と先輩の意見は一致していた。
「酒を飲むのは多い方が楽しいに決まってるじゃない」
「と、言うことだそうです」
「良かった。じゃあ、お言葉に甘えて」
女性は微笑むと、僕の隣に腰掛けた。
「ビール飲みます?」
「良いかしら? 実はちょっと期待していたの」
感じが良い、裏表のなさそうな人だ。
あっけらかんとしていて、物怖じしないのが伝わってくる。
コミュニケーション能力が高いがわかった。
僕が新しいビールを彼女に手渡すと、彼女はプルタブを引っ張る。
指が長くて綺麗だ。
「それじゃあ、ビールも頂いたし乾杯しましょうか」
「乾杯」と三人で缶をカツンと当てる。
グイとビールを飲む女性の姿を見ると、この人もお酒が好きなんだなとなんとなく感じた。
「やっぱり夕暮れの賀茂川を眺めてのビールは最高ねぇ。いつもこんな風に飲んでいるの?」
女性の言葉に先輩が頷いた。
「平日はよく飲むわね」
「平日? どうして?」
「会社員や主婦があくせく歩いてる中で外飲みすると、時間を贅沢に使ってる感覚がして最高なのよ」
傍から聞いてたらゴミみたいな発言だが、「確かに」と女性は先輩の言葉に頷いていた。
発想が似ているのかもしれない。
「今日はこの人の留年祝いなんです」
「祝うな、馬鹿」
先輩がギロリと僕を睨む。
すると女性は目を丸くした。
「留年したの?」
「ほぼ確定ね。でも、これには深い理由があるのよ」
「テストの解答欄がずれたらしいです」
「ずれたのにも理由があるのよ」
「何です? 理由って」
僕が尋ねると先輩はバツが悪そうに唇を尖らせた。
「……二日酔い」
「へっ?」
耳を疑って聞き返す。
すると先輩はイライラしたように僕を睨んだ。
「だー! 二日酔いだっつってんのよ! 朝まで飲みました! そしたら二日酔いになりましたぁ! そういう話!」
「人生がかかったテストの前日に飲んでたんですか?」
「うるさいわね。酒飲んだほうが集中できるのよ! 私はね!」
「だからって朝まで飲みます? 普通」
僕が突っ込むと先輩は不機嫌そうな表情で言葉に詰まった。
その様子を見て女性が笑う。
「そんな大事な日にお酒を飲むなんて、あなたお酒が好きなのね」
「だって楽しいじゃない。飲酒」
「違いないわね」
女性は嬉しそうに頷いた。
「そう言えば、まだ名前言ってませんでしたよね。僕は佐久間コウヘイです。こっちの人は長谷川トモ。大学の先輩です」
「大先輩の間違いでしょ」
「いちいち一言多いんですよ、先輩は……」
「あんたは何て名前なのよ?」
「私は弁財天」
うん? と耳を疑う。
聞き間違えだろうか。
「弁財天ってあの神様の弁財天?」
「ええ。……まぁ、あだ名みたいなものだけど。仲間内では弁天って呼ばれているわ。二人もそう呼んでくれるかしら」
「あだ名を更に短くするんですね……。でも確かにそれっぽいかも」
絵画に描かれる弁財天を現代風にしたら、この人みたいな感じになる気がした。
「あだ名のセンス良いわね。嫌いじゃないわ」
「ありがとう」
「仲間内って、何の集まりなんですか?」
「昔の仕事仲間なんだけど、今では皆バラバラね」
「社会人は大変ねぇ。コウヘイ、あんたも当たり前に私と飲めるこの瞬間を大切にしなさいよ」
「それ先輩も同じですから……」
何でこの人はこんな偉そうなんだ。
思わずげんなりとした声が出る。
「それじゃあ、もうお仲間の方とは会ってないんですか?」
「ううん。年に二、三回くらい皆で集まって飲む機会があるのよ」
「社会人になっても定期的に集まれるって良いですね」
「でしょう? 実はね、今日がその飲み会の日なの」
「えっ」と僕と先輩は同時に声を出した。
「飲み会に向かってる途中だったんだけど、賀茂川が綺麗だったから立ち寄ってみたの。そしたら、面白そうな二人がいたからつい……ね」
「ついって、こんなところで油売ってて大丈夫なわけ?」
「大丈夫よ、ちょっとくらい。それに、ちゃんと手土産もあるし」
弁天さんはそう言うと、手に持っていたエコバッグをポンポンと叩く。
「その袋の中にお酒でもあるんですか?」
「えぇ。自分用のぐい呑みと、飲み会に持っていくお酒」
「ぐい呑み?」
「見てみる?」
僕らが首を傾げると、弁天さんはエコバッグから酒ビンと、陶器のコップを取り出した。
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