第24話 招かれた者たち

 階段を降り、先ほど見かけた風呂場へ足を運んだ。

 男湯と書かれた暖簾をくぐる。

 中は脱衣所になっていて、銭湯と同じ様な造りになっているらしい。

 他の客の姿はなく、脱衣所には僕しかいない。


 中には誰か居るのだろうか。

 分からなかったが、あまり人の気配はしない。


 棚の一つ一つに番号と木の板で出来た松竹錠がついていた。

 鍵となる木の板は手に引っ掛けられるようゴムがついている。

 地元の銭湯で見かけることはあるが、こんな所で見るとは思わなかった。

 使用されていない棚に服を脱ぎ、手ぬぐいを持ってひのきの引き戸を開ける。


 まず目に入ったのは広い洗い場と、湖に落ちる大きな滝。

 飛沫が彼方で広がり、月明かりに照らされきらめいている。


 床は丸石を敷き詰めたもので、広い洗い場には蛇口とシャワーが設置されていた。

 間隔が広く、余裕を持った造りだ。

 そのせいか、広い内装に対して入れる人数は少なく見える。


「直接湖につかるのか……」


 風呂場と湖との間には、簡単な手すりが設けられているだけだった。

 壁はない。

 お湯を湖の水にしたのではなく、湖につかれる風呂場を作ったと言う印象だ。

 外から風呂場は見えないようだが、手すりを越えると丸見えだろう。


 僕たちが街に入った時、大きな温泉の川が流れていた。

 あの川がこちらにも流れ込んでいるのだろう。


 あれだけ大量のお湯が流れ込んでいるにもかかわらず、湖は溢れる気配がない。

 ここからまた、どこかに流れ出しているのだろうか。

 この街の構造は、未だにわからないことだらけだ。


「まぁ、あんまり気にしても仕方がないかな」


 この街の不思議は今に始まらない。

 僕は入り口近くに積まれた桶と腰掛けを手にし、近くの洗い場に陣取った。


 その時、不意にバシャリとお湯が跳ねる音がする。

 湯船に誰か居るようだ。

 ただ、入っているのはどうやらその人だけらしい。

 それ以外に他の客はおらず、ほぼ貸しきり状態と言う訳だ。

 妖怪とお風呂に入るというのは少しだけ緊張していたので、内心安堵する。


 お湯を出し、頭から浴びた。

 ベトベトしていた汗が流され、心地が良い。

 かなり汗をかいてしまっていたようだ。


 この街が、僕の住む世界とは異なる場所にあるのはもはや明白だ。

 そして、きっとそれは、他の魑魅魍魎にとっても同じなのではないだろうか。

 なんとなく、そんなことを考えた。


 この街は、さながら中間地点なのではないかと。


 来る時に通った迷路の様に複雑な鳥居の道。

 あの道が、様々な別世界へと通じていたとしたら。

 妖怪や、動物や、神様たちが集まるのもうなずける気がする。


 僕たちは、たまたま運よく天狗と遭遇した。

 でももし全く別の道をすすんでいたとしたら。

 別の世界へ辿り着いてしまっていたかもしれない。


「運がよかったんだな、僕らは」


 呟きは、水音にかき消される。

 本当にそうだろうか。

 僕らは、ただ運が良かったからたまたま街に来れたのだろうか。

 少し、腑に落ちない部分もある。


 鳥居の道はかなり複雑だった。

 あんな別れ道が続くところを、毎度通らねばならないとしたら。

 この街に辿り着ける者なんて、ほんの一握りしかいないはずだ。


 一度は来れたとしても、二度目は迷って来れなくなることだってあるだろう。

 ところが、街はこんなにも多くの者達で溢れかえっている。


 もしかしたら、街に呼ばれたのではないだろうか。

 客人として街に認められ、導かれた。

 だから誰も迷わない。

 そう考えると色々な事が都合よく納得できる気がする。


 この街では独自の規則で長年穏やかに宴が行われている。

 街を荒らすような不穏因子は、もともと招かれないのだとすれば。

 辻褄が合う気がした。


 今宵僕たちは神様に招待された。

 きっと、酒の神様に。


 お湯を浴びて森の香りがする石鹸で体を洗った。

 ついでに顔も洗う。


 水を流して僕は驚いた。

 顔がつるつるになっている。

 よく見ると体もすべすべしていて、まるで絹のようだ。


「すごいなこれ……」


 どうやらこの石鹸の効力らしい。

 肌の質感など普段は気にしないが、ここまで露骨に違うとさすがに気付く。

 酒だけの街じゃないんだな。


 石鹸を洗い流し、お湯に浸かる。

 間近で見る滝は綺麗だ。


 湖の遥か向こうで、ぽっかり空いた岩の隙間から滝が流れている。

 岩が涙しているようにも思えた。


 この建物は、ほとんどの場所から滝を眺められる。

 恐らく、景観を考えて建物が造られているのだろう。

 ただ、この建物を作ったのは街の人ではない。

 もともとある箱庭に、外部の人間たちが装飾して完成された印象だ。


 じゃあ、誰がその箱庭を作ったのか。


「酒の神様……か」


 今日は、なんだか不思議な導きを受けている気がする。

 それもひょっとしたら、酒の神様による導きなのかもしれない……なんて。

 我ながら少し思想が宗教的かもしれない。


 それにしてもこれからどうしようか。

 弁天さんも潰れてしまい、先輩たちは見つからず。

 独りで行動するには不安も大きい。


 そもそもこの街は入り組んでいる。

 弁天さんのお店に戻るにしても、道を間違えればどこにいるか分からなくなるだろう。


「誰か知り合いでも居たらいいんだけどな……」


 滝を見ながら呆けていると、不意に肩を叩かれた。

 視線をやり、ぎょっと目を見開く。


「いた……」


 妙に頭部の長い、にこやかな笑顔を浮かべた老人。

 福禄寿との再会だった。

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