第23話 宴の街の都市伝説

 二階の端の部屋へ案内された。

 広い和室で、奥の壁が一面窓になっている。

 そこからは、先程まで見ていた滝と湖と満月が一望出来た。

 部屋の中は、畳のい草の独特の香りが広がっている。


 オカメが布団を敷いてくれた布団に弁天さんを寝かせてくれた。

 完全に爆睡している。

 当分目覚めそうにない。


「弱ったな、宴が終わって起きなかったらどうしよう」


 僕がぼやくとオカメは「大丈夫よ」と僕の肩を叩いた。


「この街はね、月が沈むと全部元通りになるの。帰りのことは心配せんでもええの」

「どういう事ですか?」


 僕は眉をひそめるも、オカメは笑顔を崩さない。

 その表情はどこか不敵にも見えた。

 いたずらを企てた子供のような、相手を驚かせたいという含みが感じられる。


「まぁそのうち分かるさかい。先のことは気にせんでええんよ」

「はぁ……」


 どうも腑に落ちないが、ここは素直に受け入れるか。

 恐らくは、この街特有の不思議な効力が働くのだろう。

 実際どのようになるのかは分からないが、今まで散々似たような経験はしてきた。

 それが今更一つや二つ増えたところで、どうもしない。


 僕は窓の外に昇った満月を何気なく眺める。

 下で見るよりもずっと大きなものに見えた。


 いや……むしろ少し大きすぎるくらいだ。

 卓球のピン球くらいないか。

 それも、この街の不思議な効力によるものなのだろう。


「この街の人は皆、ホンマにお酒が好きな人ばっかりやねぇ」


 オカメが弁天さんの髪の毛を整えながら言った。


「宴の街、ですもんね」


 キツネの朱里がこの街をそう呼んでいた。

 その言葉は、まさしくこの街を表現するのにうってつけな文言の気がする。


「月が昇ったらお酒を飲んで、沈んだら帰る。たった一夜限りのお酒の縁で、うちらもこうして出会えた。ホンマ、何度来ても不思議なとこねぇ」

「きっと、お酒の神様のお陰ですね」

「お酒の神様?」

「この街を作った人がいるとしたら、お酒の神様かなって」

「ほな神さんに感謝せななぁ。こんな素敵な場所作ってもろて。それに、今日は例年以上に賑わってる気もするし、きっとお酒の神さんも微笑んだはる気がするわ」

「弁天さんいわく、今日の僕にもお酒の神様が宿ってるそうですよ」

「へぇ、ホンマに?」


 オカメはしばらく線のように細められた目でこちらをジッと見ると。

 やがて、「確かに」納得したように笑った。


「今日のあんさんはお酒に好かれとる気がするわぁ」

「本当ですか?」

「あくまでうちの勘やけどね」


 どうも適当に話を合わされているだけのような気もする。

 訝しく思ってると、オカメはそっと遠い目を浮かべた。


「……あんさんやったら、不思議な酒主に会えるかもしれへんねぇ」

「不思議な酒主?」

「せや。どんな種類のお酒でも持ってる酒の主。しかも全部えらい美味しいて言われてるんや」

「すごいですね。……でも、それってそんなに不思議ですか?」


 こんなに広い街で、酒好きが集まっているのだ。

 そんな酒主、一人くらい居そうな気がした。


「それがねぇ、噂は広まるんやけど、実際に見た人がおらんのよ。せやから、実在しているのかもわからへん。噂だけが一人歩きしてる。でも噂が廃れることはない」


 なるほど、そう聞くと確かに摩訶不思議な話だ。

 さながら、宴の街の都市伝説と言うところか。


「噂によるとね、その酒主はこの街の創設に関わってるって言われてるわねぇ」

「へぇ……。そこまで言われると、会ってみたいですね」


 不思議な店主……か。

 僕はそこでふとタマのことを思い出した。


 神社で遭遇した、尻尾意外は普通のネコ。

 しかし、それがこの街ではそれが普通ではない。


 人語を話さず、酒も飲まず。

 普通のネコとして街にいたタマは、この街にとって異質な存在だった。


 タマは僕をお酒の神様の所まで連れて行ってくれた。

 誰にも気付かれないような神社内部へと続く穴を見つけて。


 お酒の神様がタマを遣わせて僕を導いてくれた。

 そう思うのは、自惚れだろうか。


「なぁ、タマ?」


 僕は部屋を見渡し、タマに目を向けようとした。

 しかし、どこにもタマは居なかった。

 そういえば先ほどから姿を見ていない。

 ここに来るまでは僕の足元に引っ付いてきたのに。


 廊下だろうか。

 気になってドアを開ける。


 すると暗闇の中にヌッと顔が浮かび上がった。

 般若が立っている。

 予期せぬ来訪者に、思わず「ひぃ」と情けない悲鳴が出た。


 腰を抜かす僕を般若は見おろす。


「あら、般若ちゃん、どないしたん?」


 驚く僕をよそに、オカメが呑気な声を出した。

 すると般若は手に持っていた物を僕に差し出す。

 タオルだった。

 二枚ある。大きな物と、小さな物。


「風呂、入るのだろう?」


 酷くしゃがれた声とは裏腹に、かけられたのは優しい言葉。

 僕は思わず目を丸くした。


「へ? あ、はい。どうも」


 タオルを両手で受け取る。

 般若は小さく頷き、一階へと戻って行った。


 僕が汗だくだったのを見てタオルを用意してくれたのか。

 見た目に反して、温かい心配りだ。


「般若ちゃん、優しいやろ?」

「そうですね。僕、悲鳴とか上げちゃいましたけど」

「よくあることやさかい気にすることあらへんよ。般若ちゃんも慣れっこや」


 それでもやはりバツが悪い。

 後で謝ることにしようと思いながら、再び廊下に顔を出した。

 やはりタマの姿はない。

 どこかへ行ってしまったようだ。


「まぁ、そんな都合のいい話があるわけないか」


 独り呟くと、僕は立ち上がった。


「お風呂、入ってきます」

「いってらっしゃい」


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