第22話 不思議な風呂屋

 暖簾をくぐると石畳が奥へと続いている。

 オカメが僕の先に立ち、僕はその後をついて行った。

 右側には小さな屋根付きの足湯が設置されている。

 妖怪達がそこでのんびりとお酒を口にしていた。


 見ると奥にも更に別の足湯がある。

 どうやら足湯はいくつも用意されているらしい。


「ここは旅館なんですか?」

「そやねぇ。ご飯は出えへんけど、お酒飲めて休んでいける旅館やなぁ。正確には、風呂屋らしいけどね」

「風呂屋」


 僕が繰り返すとオカメは嬉しそうに頷いた。


「そ。ここに来るまでにいくつか見かけへんかった?」


 この街を通る際、明らかに普通の酒屋とは思えない店をいくつか見かけた。

 その謎がようやく解けた気がする。


 ここは酒の街でもあるが、温泉街でもあるのだ。


 オカメに連れられ、更に奥へと進む。

 しばらくして、ようやく建物の玄関へと辿り着いた。

 中に入ると、横に簡単な鍵つきの靴箱が設置されている。

 どうやら靴を脱がねばならないらしい。


 オカメが弁天さんの靴を脱がし、僕の脱いだ靴と一緒に靴箱に入れてくれた。


「ありがとうございます」

「ええんよ、これくらい」


 まるで本当の旅館の女将みたいな人だな、なんて思う。

 いや、人というよりは妖怪なのか。

 ここまで来るともはや人とか、妖怪とか、神様とか、そうした括りはどうでも良いことのように思えた。

 全員が全員、今はこの街を楽しむ関係にあるのだから。


 古びた木製の廊下を歩くとギシリと軋む。

 随分と古い頃からある建物らしい。

 それでもなお、漆黒のうるしに塗られた廊下は美しく、真新しさすら感じさせてくれた。


 廊下を歩くと暖簾のれんが見えてくる。

 右側に女湯、左側に男湯。

 それぞれ、青と赤の暖簾が架かっていた。


「風呂屋……か」

「あんさん随分汗かいてしもたし、後で入って行き?」

「でも僕、タオル持ってないんですが」

「タオルは貸し出しあるよ」

「貸し出しとかもやってるんですか?」

「せやで。便利やろ?」


 どうやらこのお店も誰かの厚意で運営されているらしい。

 お酒を人に飲ませたいというのは分かるが、風呂に入ってほしいという気持ちはよくわからない。


 でも、こうしてお店の運営が成り立っているところを見ると、需要と供給はたしかに存在している。


 弁天さんは『七福天』のお店を開いた時、仲間と集まる場所を作りたかったと言っていた。

 案外、きっかけというのはそんなものなのかもしれない。


「そういえば着替えもないな……。何かあったりします?」

「着替えはせやなぁ、お風呂に入ってる間に服干しといたら汗も乾くんちゃう?」

「……考えときます」


 浴衣でもあるかと期待したのだが、さすがに求め過ぎか。


 更に廊下を進むと、屋内から屋外へと飛び出た。

 中庭を抜ける渡り廊下となっている。

 左右にまた足湯が設置され、大きな唐傘からかさの下に赤い布をかけられた長椅子が置かれていた。

 ずいぶんと和風な装飾だ。


 庭には桜の木が数本。

 美しく咲き誇る桜の木々は、溜息が出そうなほど綺麗だった。

 桜の木の間からは、湖と滝の景色も見える。

 湯気が上がる巨大な温泉の滝は、何だか幻想的だ。


 ここでは風呂上りの客が涼んでいるらしい。

 空を見上げながら、タオルを首に巻いてお酒を飲んでいる姿がちらほら見られる。


「一体どこからお酒を持ってきてるんだろう……?」

「この先の離れでうちのお友達がお店してるから。そこでもらったんやろねぇ」

「なるほど」


 入口付近でもお酒を飲んでいたし、かなり大規模な店のようだ。


 中庭で長椅子に座りながら酒を飲む妖怪たちは、見惚れるように満月を眺める。

 妖怪たちに釣られ、僕も天を見上げた。


 丁度、滝の真上に満月が昇っている。

 風情を感じた。


 先輩がここにいたら、さぞかしはしゃいだことだろう。

 彼女はワビサビに関してうるさいからだ。

 今頃、彼女もこの街のどこかで口うるさく騒いでいるのだろうか。

 同じ時間を共有できないことを、少しだけもどかしく思う。


「……何で置いていっちゃったんですか、先輩」

「うん? 何か言った?」

「いえ、何も」


 そうだ。

 鬼が言っていたじゃないか。

 僕は僕の夜を楽しめば良いと。


 弁天さんが酔いつぶれたことも。

 オカメと出会ったことも。

 不思議な風呂屋にたどり着いたことも。


 後で目一杯、土産話にしてやれば良い。


 渡り廊下の先の建物へ入る。

 離れと言うよりは、サイズ的に本館と呼んだほうが良いだろう。

 ここに仮眠室なり、寝室なりがあるのだと推察される。


 中に入ると、縦長の広い部屋が視界に広がった。

 食事処の様に小さな四人がけの机がいくつも並べられ、奥にはバーカウンターのようなものが設置されている。


 あそこでお酒をもらって、席で飲むという感じだろう。


「ちょっとここで待っててね」


 廊下を更に進もうとする僕を制してオカメは奥へ歩いて行く。

 彼女はカウンターの向こうにいる異形に声をかけていた。


 射抜かれそうな目つきに形相、するどい二本の角。

 般若だ。

 遠目でもかなり怖い。

 刺されそうな迫力があった。


 オカメはこちらを向いて般若に何事か言っている。

 おそらく、これまでの事情を説明しているのだろう。


 説明を受けて般若はこちらをジロリと見つめた。

 ギクッとして、軽く会釈する。

 あの形相で見つめられると心臓に悪い。


 やがて話がついたのか、こちらに戻ってきたオカメが「上の部屋を使ってええやって」とニコニコしながら言った。

 ホッと安堵のため息が漏れる。

 これで大丈夫だと言う安心感と、般若の視線から逃れられる安堵が半々だった。


「お二階にお客さんが寝泊りするお部屋があるんやけど、今日は空いてるって」

「助かりました、ありがとうございます」

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