第21話 オカメの水先案内

 どうにか外まで戻って来ると、立ち上がってぐっと伸びをした。

 足元にはタマもいる。

 すっかり懐かれてしまったらしい。


 神様も、妖怪も、動物も。

 幽霊だっているかもしれないこの奇妙な街。

 その街を守るのは、お酒の神様だった。


 妙な話だな、と思う。


 さっき見たお酒の神様は、まるでこの街の支配者のように見えた。

 いや、支配という言葉はあまりふさわしくない。

 管理者とか、創設者と読んだほうが方が正しいかもしれない。


 この街には七福神を始めとして、たくさんの神様が居るみたいだが。

 パワーバランス的なものはどうなっているのだろう。

 甚だ疑問だが、気にしたところで答えは得られない気がした。


 僕はポケットに入っていた財布から五百円を取り出し、賽銭箱に投げ込む。

 鈴を鳴らして静かに手を合わせた。


 この街と、今日の縁と、お酒と。

 様々なものへ巡り合わせてもらったせめてもの感謝の礼だ。


「じゃあ、弁天さんのところへ戻ろうか」

「みゃあ」


 僕の足元でタマが目を細めた。


 ○


 弁天さんがいるベンチへ戻る。

 すると弁天さんは真新しい紙コップを手に持っていた。

 待っている間にまたお酒をもらったらしい。


「また飲んでるんですか」

「近くの店の人がね、お暇ならどうぞってくれたのよ?」


 その言い方は、神様ならぬ言い訳じみた物言いだった。

 おもわず呆れ笑いが浮かぶ。


「それで、神社の中はどうだったの?」

「神様が祭られてましたよ」


 僕は弁天さんの横に座ると、境内の中に酒の神様の像があったことを話した。


「まさか神社の底に穴が開いているとは思いませんでしたけど」

「神様に呼ばれたのかもしれないわね」


 弁天さんはお酒を飲みながら月を見上げる。

 タマが膝に乗りたそうにしていたので乗せてやると、嬉しそうに目を細めた。


 しばらく眺めていると、不意に肩に重みを感じる。

 見ると弁天さんが僕の肩に頭を乗せて眠り込んでいた。

 スゥスゥと、安からな寝息を立てている。


「弁天さん? 寝ちゃったんですか?」


 声をかけるも、彼女が起きる様子はない。


「随分飲んだもんなぁ……」


 むしろまだほとんど素面の自分が異常なのか。

 よく考えてみたが、確かに普通の人なら酔いつぶれてもおかしくない量を飲んでいる気がした。

 もう少し気を配って上げたら良かったな、と内心反省する。


 近くに彼女の顔があり、少し胸が高鳴る。

 垂れる髪の隙間から覗く弁天さんの表情は安らかで、まるであどけない子供だ。

 でもその目鼻立ちは美しく、月明かりに産毛が浮かんでいるようにすら見えた。


 こうして近くで見ると、案外まつ毛が長いのだなと気づく。

 あれだけ飲んだのに彼女はちっともお酒臭くない。

 むしろ、澄んだ優しい石鹸の香りがフワリと漂っていた。


 これからどうしようか。

 月を眺めながら、少し考える。


 ずっとこのままこうしているわけにもいかない。

 こう言う時天狗や先輩がいてくれたらと思う。


 天狗なら軽々と弁天さんを運んでくれるだろうし、先輩なら誰か連れてきて手伝わせそうだ。


「二人とも、どこ行っちゃったんだよ……」

「あらあら、眠ってしまわはったん?」


 不意に視界にヌッと女性が割り込んでくる。

 予期せぬことだったので心臓が飛び跳ねるかと思った。


 ニコニコとした、目尻の下がった穏やかな表情の女性。

 この顔は見たことある。

 オカメだ。


 彼女は右手に酒ビンを持っていた。

 ビンの口の部分には紙コップが引っ掛けられている。

 どうやら弁天さんにお酒を飲ませたのはこの人らしい。


「ちょっと飲みすぎちゃったみたいです」

「あらぁ……多分うちのせいやわ。さっきお酒上げてしもたんよ。ごめんなさいね」

「ああ、いえ。潰れるくらい飲んだこっちが悪いんで」

「でも大変やろ、表はこの人混みやさかい。ここらへんは出店ばっかりで休める場所もあんまりないしねぇ」


 そこまで言うとオカメは何かを思い出したのか「せや」と声を出した。


「お兄さん、ちょっと歩ける? うちに心当たりがあるの。広いお店やし、休ませてくれるはず」

「歩けはしますけど……ご迷惑じゃないですか?」

「ええんよ、誰かれ構わず飲ませてしもたうちが悪いんやし。やっぱり配り歩くのはあんまりよろしないんやわ。お店でお客さんを待つのが一番ええみたいね」


 独り言のように呟くと、オカメは「喋らんネコがおるなんて、妙なこともあるもんやねぇ」と空いた手でタマを僕の膝から降ろしてくれた。


「それじゃ、道案内してあげるさかいに行きまひょ」


 ○


 神社を出て左に曲がる。

 こちらにも出店が多くある。

 その通りをオカメと共に奥へと進んだ。


 少しだけ、後悔していた。

 意識のない人間を運ぶという作業が、これほどまでに大変だと思わなかったのだ。


 全身に力が入っていないため、非常に体が重い。

 背中に担ぐ事でも一苦労だ。


「よっと」


 弁天さんを背負うと、背中に温もりを感じた。

 結構胸あるんだな、などと下世話な事を考えてしまう。

 いや、これは不可抗力で仕方ない話なのだ。

 そう、仕方ない。


「大変やと思うけど、お気張りやす」


 オカメは僕の横に並んで歩き、タマは僕あとをついてくる。

 誘導されるまま、人混みを縫うようにして歩いた。


 ぎゅうぎゅう詰めというほど人が居るわけではないが、やはり混雑していることに変わりないので歩き辛い。

 今はまだ平気だが、そのうち体力的に辛くなる予感がした。


「お知り合いの店は近いんですか?」

「せやねぇ、ちょっと坂上るけど、そんなに遠くはあらへん」


 すると何か思い出したように「そう言えば」とオカメが表情を変える。


「まだ自己紹介してへんね。あんさん、お名前は?」

「あ、コウヘイと申します。この背中の人は弁天」

「コウヘイ君と弁天さんやね。うちは見たまま、オカメ言います。あんじゅうよろしゅう」


 ここまでコテコテの京都弁の人も珍しい。

 一見して人間に見えなくもないが、彼女もやはり妖怪の類なのだろう。

 顔にオカメの面を貼り付けたように、表情が一切崩れないからだ。

 自然な人の顔立ち、と捉えるにはすこし違和感があった。


「オカメさんはどこでお店をされてるんですか」

「今日は端の方で出店をしてたの。いつもは友達のお店で自分のお酒配ってるんやけどね。今日はええ天気やさかい、たまには出店でもって思ったんやけどねぇ。あんまりお客さん来てくれへんかったの」


 それで配り歩いていた、という訳か。


「じゃあ、今から行くお店って言うのは……」

「うちがいつも出入りしてる、お友達のお店やね」


 オカメは僕に合わせてゆっくり歩いてくれたが、さすがに大の大人を一人担いでいるとなると体力の消耗も早い。

 徐々に腕も疲れ、足も痛くなってきた。

 視線も落ちてくる。

 額から汗が流れるのが分かった。


「大丈夫? もう少しやし気張りや?」

「何だか、妙に足が重くなったように感じます」

「それは坂のせいやね」

「坂?」


 どこに坂が、と顔を上げて気づく。

 出店の提燈が、本当に極僅かに斜めを向いていた。

 どうも道の構造上、坂を平坦な道と錯覚してしまう造りになっているらしい。


 上り坂から平坦な道に変わると目の錯覚で下り坂に見えるという現象がある。

 今はそれとよく似た状態だ。

 ごく緩やかな坂が長く緩く続いているらしい。


「お店はこの坂を上りきったすぐそこやで」


 僕は道の先に目をやる。

 なるほど、確かに出店の列が止まっていた。

 あそこが坂の終わりか。


 歩きながら、ふと気になる。


「何か音が聞こえるんですが」

「水の流れる音やろね。この先に温泉があるんや」

「温泉?」

「ほら、街に入ったところに大きい温泉の川あったでしょう? それがここに流れてくるんやろねぇ」


 じゃあこの激しい流水の音は滝か。

 その音に呼ばれるように、僕は重い足を一歩ずつ踏み出した。


「やっと坂を抜けた……」


 ぜぇぜぇと呼吸が荒れ、僕は顔を上げる。


 息を飲んだ。


 温泉の湖が、目の前に広がっていたから。


 坂を抜けた先は大きな広場となっており、さらにその広場を包むように温泉が辺り一帯を取り囲んでいる。

 まるで海に浮かぶ孤島みたいだ。


 大きな滝が三つほど流れ込んでいる。

 あそこがお湯の供給源か。


「すごい景色ですね」

「綺麗やろ? お客さんもこの景色に見惚れてね、よくお店に遊びに来はるのよ」


 オカメは広場の奥、湖に接すらように建つ大きな館へと歩いて行く。

 キツネの屋敷より大きい。

 居酒屋と言うより、旅館のような印象を受けた。


 先に歩くオカメを追いかけて、僕も旅館の中へ足を踏み入れた。

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