第25話 思い出は酒と共に
――おじいさん達は少しお酒を嗜んでからお風呂に行く。
薄ぼんやりと、七福天を出た時に弁天さんが言っていたことを思い出した。
あの後、福禄寿は一人でここまでお風呂に入りに来たのだろう。
ここで出会えたのは、幸運だったのかもしれない。
「はて、他の皆はどうしたのかね?」
福禄寿は、まず皆の所在を尋ねてくる。
僕はかいつまんで、これまでの経緯を話した。
天狗や先輩とはぐれたこと。
弁天さんが酔いつぶれたこと。
オカメと出会って、ここに連れてきてもらったこと。
「酒を飲み歩きながらここまで来たという訳か。それは愉快」
僕の話を聞き終えた福禄寿は、何故か嬉しそうに目を細める。
「酔っ払いに振り回されただけですけどね」
「弁天がそこまで乱れるというのもまた、楽しい話なのだよ」
「そうなんですかね……。ところで、お一人なんですか? 他の七福神の人は……」
福禄寿は髭を触ると月を見上げた。
「今日はどうにも長風呂がしたくてね、寿老人と布袋には先に帰ってもらった。今頃出店でも回ってるじゃろて」
そして福禄寿はこちらに向き直る。
「どれ、まだ飲めますかな。一杯やろうじゃないか、コウヘイ君」
風呂を出て、二人で中庭に向かう。
すると向かい側から般若がヌッと姿を現した。
毎度思うが心臓に悪い。
福禄寿が親しげに手を上げると、般若は軽くお辞儀した。
「先生、お連れさんたちが先に行ってると仰っていました」
「知っておるよ」
先生と呼ばれ、福禄寿は頷く。
「どれ、これからこの若者と庭で一杯やるのだが、お前さんもどうかね」
般若はそう言われ、しばらく僕の方をジッと見つめてきた。
射抜くような鋭い視線。
やっぱり慣れない。
僕がたじろいでいると、般若は小さく頷いた。
「ええ、お付き合いします」
こうして三人でお酒を飲むことになった。
「ほれ、お前さん、飲みなされ」
「ああ、ありがとうございます」
桜の花びらが舞う中庭で、福禄寿とお酒を飲む。
僕たちの背後には、般若も立っていた。
器を差し出すと、福禄寿がお酒を入れてくれる。
優しい風がそっと肌を撫でた。
火照った肌を冷やしてくれ、心地が良い。
差し出された酒を手に取る。
中に桜の花びらが入っていた。
散った花びらが入ったらしい。
どうにも綺麗だ。
「桜酒になった。これは風流」
愉快そうに福禄寿は顔を緩める。
相手の心を開かせる、ホッと安心できる顔だ。
人の良さがにじみ出ている。
浮かぶ花びらを見て、何となく賀茂川のことを思う。
あそこの桜も綺麗だったな、などと考えた。
僕は小さな陶器の器に入った酒を口に運ぶ。
梅の澄んだ香りが、一陣の風のごとく鼻孔を抜けた。
「華、と言う酒だ」
酒瓶を持って背後に立っていた般若が静かに言った。
「今年の酒は良い出来だな」
「ええ、先生に喜んでいただきたく、仕込みに時間をかけました」
「それは素晴らしい」
般若は福禄寿のことを『先生』と呼ぶ。
一体どの様な関係なのだろう。
「昔、弟子をしていてな」
察したのか、般若が口を開いた。
「何度も命を助けられた。ここで、こうして酒を振舞えるのも先生のおかげだ」
「お前さんの努力の賜物よ。わしは何もしとりゃせん」
「どうして弟子に?」
それほど深く考えもせず、僕は疑問を口にした。
「私の村は昔、野盗に襲われ滅びた。生き残った私を先生が見つけ、保護してくれた。私は先生に一人で生きていける力を与えて欲しいと望んだのだ」
「村が……辛いことを尋ねてしまいましたね」
般若はそっと首を振った。
「オカメともその頃会ってな。オカメも私と似た境遇だったのだ。先生の下で私たちは育てられた。オカメは妹のようなものであり、先生は師であり第二の家族だ」
「オカメと般若、不思議な組み合わせじゃのう。般若は笑えぬ一族、オカメは怒れぬ一族、二人はお互いに欠けている物を補っておるんだね」
言いにくそうなことを福禄寿はさらりと述べてみせる。
笑えないことや怒れないことを、馬鹿にする含みはない。
自然の摂理として正しいと肯定しているような物言いだ。
「わしが面倒を見た子たちが今では自分の暮らしをしておる。こうして共にお酒を飲めるのも喜びの一つじゃ」
福禄寿は一端言葉を切り、僕に視線を向けてきた。
「縁はゆっくり巡りおる。それは小さい輪がいくつも連なっているようなものだ。わしと般若とオカメの縁、七福神の縁。今夜、コウヘイ君はさながらその中に足を踏み入れた旅人のようなものだ」
「旅人、ですか」
面白い表現だなと思った。
「先ほどお前さんの話を聞いている時、数奇な運命の巡り合わせを感じた。今宵、コウヘイ君はこの街の縁の輪を渡り歩いておる。一見途絶えた縁が次へつながり、また次へと移ってゆく。コウヘイ君の行き着く先が一体どの様な場所なのか、わしは非常に気になるのだよ」
「大した所には行き着かないと思いますけど……」
妙な期待をされても困る。
「あら、コウヘイ君。こんな所に居はったん?」
不意に声をかけられる。
見るとオカメが離れの入り口に立っていた。
「あ、すいません。すっかり弁天さんを任せっぱなしで」
「ええのよ。静かに寝てはるさかい、うちもお酒飲もかな思て降りてきたの」
オカメはカラカラと下駄の音を鳴らしながらこちらにやってきた。
途中、福禄寿に気付て「まあ」と声を挙げる。
「せんせえ、今年も来てくれはったんやねぇ。ありがとうございます」
「久しぶりじゃのう。オカメも元気そうで何より」
「せんせえもお変わりなく」
礼儀はしっかりしているものの、まるで家族の様な親しみを感じた。
長い間同じ時を過ごした者の間に漂う、独特の緩やかな空気が漂う。
この三人が一緒に暮らしていたのは、もう何年も前だろう。
でも、その繋がりは未だに消えていない。
絆は並々ならぬ深さに違いなかった。
僕はそっと立ち上がる。
「あら、どうしはったん?」
「トイレ行って来ます」
確か風呂場の近くにそれらしきものがあった。
ついでにタオルも脱衣所の洗濯カゴに返しておこう。
その場を離れようと歩きだすと「コウヘイ君」と背後から福禄寿の声がする。
「宴を楽しむんだよ」
意味深な彼の言葉に僕は笑みで返し、風呂場へ向かった。
気を使ってしばらく席を外そうと思っていたのだが、見抜かれていたらしい。
「ちょっと格好悪いな……」
薄暗い廊下を歩きながら、僕は一人苦い顔をした。
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