第26話 行き着くべき場所

 風呂場の脱衣所にタオルを返すと。

 不意に、廊下からネコの声がした。


 こもっていて、少し太い、間の抜けた声。

 そんな声の主は僕の知りうる限り一匹だけだ。


「タマ? 居るのか?」


 廊下に顔を出す。

 すると、光る点が二つこちらを見つめていた。

 まん丸太ったデブ猫だ。


「どこ行ってたんだ、心配したんだぞ」


 僕が一歩近寄ると、タマは詰められた距離の分離れた。

 また一歩近づくと、その分距離が出来る。

 どうやら一定以上近づく気はないらしい。


 タマの動きは決して早くない。

 本気を出せばいくらでも捕まえられるのだが……。

 ここはあえてそれをしないことにした。


 僕はタマにゆっくり近寄った。

 タマもゆっくり僕から離れる。

 そのまま廊下を歩き、玄関へとやってきた。


 靴箱を開け、靴を履く。

 その間タマは僕を待つようにたたずんでいた。

 不意に、神社での出来事が思い起こされる。


「今度はどこに連れて行ってくれるんだ?」


 入り口にある足湯まで来ると、タマは急に駆け出した。

 とは言えボヨボヨしていて遅いので慌てる必要はない。


 タマが走っていく先には、一人の子供がいた。

 足湯につかる妖怪たちに囲まれて、一人だけ浮いている。

 朱色の和服を着た、おかっぱ頭の女の子。

 タマはその子供に近付いて行った。


「なんじゃタマ、どこ行っとたんじゃ」


 子供はタマを見つけると、その喉元を指でくすぐる。

 喉をくすぐられたタマは、目を細めて幸せそうに鳴いた。

 その仕草を見て女の子は優しい笑みを浮かべる。


「あの、そのネコ……」

「ん?」


 女の子はそっとこちらを見る。

 目が合った。


「こいつはタマじゃ。うちの飼い猫。今日はいないなと思っとったんやが、あんたがタマと遊んでくれたんか?」


 僕が黙って頷くと「そうか、ありがとう」と彼女は言った。


 タマの首輪の刺繍をしたのは彼女だろう。

 見た目こそ子供だが、おそらく中身は違う。

 自分よりもずっと年配の人みたいな、妙な風格が漂っている。

 そしてその予感は、おそらく勘違いじゃない。


「タマは人懐っこいで、いっつもどこかにフラフラと歩いては知り合いを作って来おる」

「不思議なネコですね」

「そこが良いんじゃ。こいつはいつも自由で、のんびりとしておるからの」


 足湯に浸かったまま、彼女はタマを撫でる。


「ただ、今日のタマは珍しいな。来た途端どこかにふらりと姿をくらませたかと思ったら、人を連れてきよった。こいつが知り合いをうちの所まで連れてくるなんて初めてじゃ」


 彼女は足湯から足を引き上げ、近くに置かれていた手拭いで赤くなった足を拭い、ゲタを履いた。


「あなたは……」

「座敷わらし」

「えっ?」

「座敷わらしじゃ、うちの名前」

「ああ、僕はコウヘイと言います」

「コウヘイか、人間らしい名前じゃな」


 座敷わらしは外へと歩き出す。

 タマもその足元に引っ付いている。


「美味い酒があるんじゃ。馳走するからついて来い」

「はあ……」


 ふと、弁天さんのことを思い出した。

 置きっぱなしにしていいものだろうか。

 僕は建物を振り返る。


「どうした? 来んのなら置いていくぞ?」

「あ、でも連れが……」


 そこまで言いかけて口をつぐむ。

 福禄寿や、鬼が言ってくれた言葉が頭に浮かんだ。



『宴を楽しめ』



 このまま進めば、行き着くべき場所に辿り着く。

 答えは見えない。

 でも、迷う必要もない。


「今行きます。待ってください」


 福禄寿の言葉に後押しされるように僕は駆け出した。

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