第42話 宴は続き、縁は巡る

 桜の花びらが頬に落ちて目が覚めた。

 眠気眼を擦りながら体を起こす。

 朝だった。

 夜が終わりを告げ、空が明るくなりだしている。

 ポッカリと浮かんでいた満月の姿は、もうない。


 ふと肩に重みを感じ、横を見ると先輩が僕にもたれ掛かるように眠っていた。

 どこに居るのだろうと周囲を見渡す。

 そこは、賀茂川のほとり。

 僕たちは最初に二人で飲んでいた、あのベンチに座っていた。


「先輩、起きてください」


 僕が肩を揺さぶると「うっさいわねぇ」と先輩が声を出す。


「もうちょっと寝かせなさいよ。こっちはもう若くないんだから……」

「何おっさんみたいな事言ってんですか。起きてください。帰ってきたんですよ」

「帰って来たぁ? えぇっ?」


 先輩は目をこすると、驚いたように顔を上げた。

 急な動きに反応できず、僕のアゴと彼女の頭がクリーンヒットする。

 しばし二人共、痛みに身もだえした。


「痛ぁ。……ここ、どこよ」

「賀茂川ですよ。僕らが最初に飲んでた」

「何で私たち賀茂川にいるのよ?」

「わからないですけど、街が閉じたってことじゃないですかね」

「そんな……、夢だったって事?」

「夢じゃないでしょ。現に僕たちの会話は噛み合ってますし。同じ光景を見ていたはずです」


「弁天」

「天狗」

「小梅」

「小結」

「蛙」

「乙姫」

「鬼」

「オーディン」

「座敷わらし」

「ヤマタノオロチ」


 街で知り合った異形たちの名前を告げ。

 僕らは呆けた顔でお互いの顔を見合い。

 やがて。


「プッ」


 と、どちらともなく吹き出した。

 納得したように先輩は顎に手を当て、小刻みに頷く。


「どうやら夢じゃないみたいね」

「宴が終わったんですよ」

「そっかぁ。もっと飲みたかったなぁ」


 先輩は気だるそうに頭を掻いた。

 僕は立ち上がると、体調を確認するようにグッと伸びをする。

 あれだけ飲んだのに、二日酔いの気配すらない。

 酒を飲んだ後によくある、独特の倦怠感もなかった。


「誰が私たちをここまで連れて来てくれたのかしら」

「さぁ」


 僕は首を傾げた。だが、何となくわかる。

 僕らをここに連れてきたのは、言うなれば街だ。

 街が閉まると同時に、僕らをここに送ってくれた。


 全部元通りになると、オカメが言っていたのを思い出す。

 宴が終わり、街が閉じた時。

 街の不思議な力が作用して、僕らは元の場所に戻されたのだろう。


「終わっちゃったんだ……。大してお別れも言えなかったわ」

「少し寂しいですね。けど、飲み会ってよく流れ解散みたくなりますし、仕方ないんじゃないですか?」

「そんなんだからあんたは駄目なのよ。風情がないのよ、風情が」


 先輩は僕を睨みつけると、ふっと顔を緩めた。


「あーあ、温泉も行ってないし、出店も巡ってないじゃない。せめてお酒の一本くらい持って帰ってきたら良かったなぁ」

「そう言えば弁天さん大丈夫かな……」

「呼んだ?」


 不意に背後から声を掛けられ、腰が抜けるかと思うほど飛び跳ねた。

 地面に尻餅をついた僕を見て、彼女は愉快そうにくすくす笑う。


 朝日に照らされ立っていたのは、紛うことなき弁天さんだった。


「驚いた?」


 僕と先輩は思わず顔を見合わせる。

 互いの頬をつねった。


 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い強すぎ。


「何やってるの、二人とも」

「こっちのセリフですよ。何やってんですか、こんな所で」

「あら、私は帰ってきたのよ? 二人と一緒に。私の住みは上賀茂だもの」


 弁天さんは飄々としている。

 そう言えば彼女が街に行く途中で僕らは出会ったのだ。

 どうやら彼女は神様の世界ではなく、普通の上賀茂の住民らしい。

 妙な話だ、と今更になって思う。


 すると後ろからカシュッと何やら心地よい音が聞こえた。

 振り返ると、先輩がビールの缶を開けている。


「どこから取り出したんですか、それ」

「ん? ここだけど。何かおいてあったから」


 先輩が指さした先には、スーパーの袋に入ったビール缶が置かれていた。

 その袋にはどこか見覚えがある。


「これ、弁天さんのお店で僕が預けてたやつだ……」

「あらホント。すっかり忘れてたわね」


 弁天さんが呑気な声を出した。


「どうしてここにあるんだろう」

「街は私達の意志を汲み取ってくれるから。必要な物はキチンと返してくれるのよ。私だって、ほら」


 弁天さんは店に置いていたはずのエコバッグを掲げた。

 恐らく中には例のぐい呑みが入っているはずだ。

 言われて見ると、先輩のすぐ横にも、彼女のリュックが置かれていた。


「細かい事は良いじゃない。飲みましょうよ」


 先輩は中から更に二本缶を取り出すと、僕と弁天さんに投げてよこした。

 ヱビスビールだ。きんきんに冷えている。


 僕は弁天さんと顔を見合って、フッと笑みを浮かべた。

 仕方がない、付き合おう。

 僕もプルタブを引っ張った。


 これはもしかしたら、街からの計らいかも知れない。

 僕たちがまたビールを飲むことを分かって届けてくれたのだろうか。

 酒の神からのちょっとしたサービスだったりして。

 ふと、そんなことを考えた。


「そう言えばコウヘイ君、私、昨日途中で潰れちゃったみたいだけど、あの後大丈夫だった?」

「そうよ、私もまだ聞いてないこと沢山あるし」

「じゃあ、まあ飲みながら話しましょうか」


 僕が缶を掲げると、先輩と弁天さんもそれに倣った。


 僕たちが過ごした不思議な一夜は、確かに夢じゃなかった。

 手に持ったビールは、そのことを教えてくれている気がする。

 不思議な住民たちの姿は、今も鮮明に脳裏に浮かぶ。

 脳髄まで突き抜けるようなお酒の味が、いつまでも僕の記憶に刻まれるだろう。


 また、あの街にいけるだろうか。

 いや、きっと行けるはずだ。

 確証はないが、少なくとも縁はまだ途切れていない。

 目の前にいる弁天さんがその証拠だ。


 桜の花びらが舞う中、風の香りに包まれ、僕らは小さく乾杯をした。



 ――了

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