第37話 記憶の中華街

「ここが龍穴……?」


 あまりに想像と異なる目の前の情景に言葉が漏れる。


 派手な装飾。

 それまでの温泉街にかけられていたものとはまた違う、楕円形の提灯。

 朦々と立ち込めた湯気に、見覚えのある中華用のせいろ。


 小さな出店がこれでもかと出店されており、立っているのはどれも服を着た龍ばかり。

 暖簾がかけられたり、パラソルがつけられていたり、独特の装飾が施されたり。

 とにかくどの店も派手だ、と言うのが第一印象。


 このゴチャ付いた街並みは先程までとはまた違う。

 そこにあるのは、どう見ても中華街だった。


「ここが龍の飲み場だっていうの? こいつら全員龍神?」


 すると天狗が「いや」と首を振った。


「ここは外向けの店だ。全部が全部神ではない。龍にもピンからキリまで居る」

「龍の世界にも階級があんのね」


 人間からしたら龍が一体居るだけでも重宝されそうなものだが。

 竜の世界にも、力ある龍とそうでない龍が居るのだろう。


「俺らの目的は一番最奥の大龍よ。あいつらが独占している龍酒が美味いんだ」


 オーディンはずるりと舌なめずりした。

 神様とは思えない意地汚さを感じる。

 そして堪えきれなくなったのか、オーディンは「行こうぜ」と私たちを促した。

 言われるがまま私たちは歩き進む。


 街並みを眺めながらしばらく歩き、ふと気付く。

 この街並、どこか見覚えがあると思った。

 神戸の南京街じゃないか。

 昔一度、コウヘイやサークル仲間と遠征がてら足を運んだ。

 ビール片手に、街を練り歩いたのをよく覚えている。


 湯気が広がり、熱気に満ち、活気ある街並み。

 それはどこか私を懐かしい気持ちにする。

 大学か……。


「あぁ、そう言えば私留年したんだった……」


 膝をついた私に小結が目を丸くする。


「トモ姉さんどうしはったんです?」

「別に。何でもないわよ。ちょっと嫌なこと思い出しただけ。思い出したくないことをね」


 親にはどう言ったものかな。

 まぁ普通に留年したって言えば「やっぱり」って返ってきそうだけど。


 うちの親はかなり放任主義だ。

 だから留年に関しては、少し話せば何とかなると思う。


 大学に入った際「留年は二年で留めてね」と失笑されながら言われたのを覚えている。

 そもそも私がこんなだから、現役で大学合格できるとも思われてなかった。


 あの時は誰が留年なんかするかと怒ったものだが、結局酒の飲み過ぎで留年してるのだからわけない。


 今日の飲み会もやけ酒のつもりで始めたんだった。

 すっかり忘れていた現実を思い出し、不意に気分がダダ下がりする。

 まさかこんな異界の街に来てまで思い出から現実へ戻らされるとは。

 記憶のトリガーはどこにあるかわからぬものだ。


 ふらふら歩くと、中華飯店が広がっていた。

 中華まんや北京ダック、小籠包なんかを街頭販売する店が点在している。


「おさん!」


 不意に呼び止められ足を止めた。

 目の細く長い二本の髭をはやした、いかにも中華の龍という感じの龍だ。

 片言なのが余計に中華の印象を加速させる。


「珍しね人間は。中華まん! 食べる良いヨ」

「ふぅん? じゃあいただこうかしら」

「トモ姉さん! あたいも食べてみたいです」

「じゃあ二つ。キツネって豚肉食べるの?」

「あたいなんでも食べます!」

「ビールもあるヨ」

「じゃあそれも。至れり尽くせりね」


 手に渡された中華まんは熱々で、湯気が出ている。

 気落ちしていたが、食べると元気が出てきた。


「これ、お代は?」


 一応尋ねると、龍は首を振った。


「誰かがウチのお酒飲むのを見るのが好きなのヨ。お酒飲んでる姿だけ見せてほしネ」


 そう言いながら、目の前の龍はビール瓶の蓋を開けて手渡してきた。

 流されるまま、ビールを受け取る。


 本当にタダで良いんだろうか、と思いつつも特にお金は請求される様子はない。

 やはりここはそういう場所なのだ。

 手渡されたのは青島ちんたおビールだろうか。

 中国のビールだ。

 早速口にしてみる。


 口当たりが軽く、サラリと流れ込んでくる。

 薄いというよりは、軽いビールという印象。

 先程まで北欧の濃いビールを飲んでいたこともあってかなり飲みやすさを感じた。


「あら、美味しい」


 次に中華まんを口にする。

 龍が作ったものだから、変な肉の可能性もあったが、私に渡されたのは普通の豚まんだった。

 しかし肉汁が濃厚で、噛めば噛むほど旨味が出てくる。

 独特の肉餡の香りと旨味が、口の中に広がった。


「美味ぁ」


 思わず小結と共に目が輝く。

 幸せが口の中に広がる。

 その様子を見て細目の龍は嬉しそうにニコニコ笑みを浮かべた。


「おさん美味しそうに飲むから酒も喜んでるネ」

「さっきはがぶ飲みしたけど、本来酒ってのは敬意を払って飲むべきもんなのよ」

「ほっほ、良いこという若者じゃなぁ」


 不意に声がして見ると、いつの間にか横にニコニコした黒い鱗の龍が立っていた。

 黒龍というやつだ。

 立派な髭を携えており、顔にはシワが多い。

 ひと目見て、老人の龍だと分かった。


 黒龍は不思議そうな顔の私と小結を見て「すまんすまん」と笑みを崩さず言う。


「人はこのあたりでは珍しくてなぁ。ついつい声を掛けてしまった」

「別に良いわよ。せっかくだから、じいさんも一緒に飲みましょうよ」

「ほっほ、構わんよ」

「じゃあ青島ビールで良いカ? 黒龍さん」

「いつも通りな」

「何、知り合いなんだ?」


 私が尋ねると店主は頷いた。


「ウチの常連ネ」

「ここの中華まんは絶品じゃからのう」

「へぇ、じゃあ私たちは当たりの店に呼ばれたってわけだ」

「おさん、酒に好かれてる匂いがしたからネ。声かけるべき思たヨ」


 すると黒龍は「確かにのう」と言って目を細め、私を見つめた。


「今宵、お嬢さんには酒がまとわりついておるわ」

「酒がまとわりつく?」

「酒に引っ張られとるんじゃよ。こっちへ来いとな。でも、お前さんは酒の誘いに負ける気配がない。誘いに乗りながら、酒を総べておるんじゃ」

「私って酒の王ってこと?」

「ある意味ではそうかもしれんのう」


 黒龍は「ほっほっほ」と楽しげに笑う。

 すると小結と目が合った。

 彼女はそっと肩をすくめる。


「あたいにはとても見えへんのです」

「なによぉ」

「お嬢さん方、今日はここへは遊びに来られたのかね?」


 そこで天狗とオーディンのことを思い出した。

 色々考えてるうちにいつの間にか逸れてしまっている。


「そうだ、龍と飲み比べに来たんだった」

「ほう、龍と?」

「そ。龍のお酒を飲ませてもらおうと思って。龍って酒豪なんでしょ? ついでに飲み比べもしたいなって」

「面白いお嬢さんじゃのう」


 私の言葉を聞いて、黒龍はどこかおかしそうに、嬉しそうに笑みを浮かべた。


「最奥の龍に会うって言って道案内してもらってたんだけど、逸れちゃったわねぇ」

「私が声かけたせいネ。ごめんヨ」

「別に良いわよ。私も考え事してたし、どのみち逸れてたでしょ」

「でもトモ姉さん? どうしましょう」

「それなら心配要らん。わしが案内してやろう」

「本当?」


 黒龍の提案に思わず目を見開く。


「どのみち、龍酒が置いてある場所は一箇所じゃからのう」

「じゃあお願いするわ」

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